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3−2

 万歩計でも括りつけたら関東一円は制覇しているのではないかというぐらい長年付添ってきたこの我が愚足(息?)なるランニングシューズ。だからこそ、たとえその靴紐が切れていたとしてもさして問題はないのかもしれないが。

 しかしだ。

 なぜ今日に限ってブチィーと切れてしまうわけなんだ? これは俺の血管でも切れちまう前兆なのかよ。こう考えると特に要注意は鼻であると思ってしまった俺の安直な考えに反吐へどが出そうにもなっちまうが。

 それにしても別にえっちらほっちら険しい山道を歩いていたのでもなく、そこらじゅうにそよいでいた風を背に従えて颯爽とチャリンコに乗っていただけなのにな。

 しかもこんな四月の良く晴れた朝に、ほのかに俺想い的な百パーセントの幼馴染と学校をサボタージュして会うことについての考察をしていたときにだ。

 あー、今この瞬間で世界中のプッチとした人を集めて靴紐切れた人協定同盟を結んだら、そん中でいの一番に不幸が訪れるような気がするね。もう全会一致の拍手喝采で称賛されるぐらいにな。

 だがこうして不自然ともいえる出来事をやっかみながらも、十分後には無事公園に着いたのだから良かったのかもしれない。

 現在の時刻は八時五十分。予定よりかは少し早めに到着することができた。

 ここ武蔵桜公園は外周したらハーフマラソン弱ぐらいの距離はあるだろう広い場所。

 敷地内には入学式の直後に行った『栞』という名の喫茶店があって、体育館なども備えつけられていて、しかもほぼ全面芝生でありボートが漕げるような池まであったりもする。

 やはり都内随所の公園で大きさの規模や雰囲気、どれをとっても完璧だ。

 そして、今はもう通学路として利用するがやがやとした生徒達の喧騒もなく、聞こえてくるのはただ蛍光色のボールをポーン、ポポーンと打ち合う音だけ。きっと卒業単位をしっかりとり終えた大学生か定年された年配の御方がテニスコートを悠々自適に使っているのだろう。

 俺は小早川との待ち合わせが時計台だったはずと再確認する。

 ようやくそこまでたどり着き、公園内の自転車道を縦横無尽にオーバドリフトで駆け回りながらも、ディングドングと小さくベルを鳴らしてスススススイシュとブレーキを掛けてみた。

 と、そんなふざけたことをしながらもチャリンコから降りて辺りを見回してみると、その時計台の反対で俺よりも早く来て健気に待っているユカリっぽくない小早川が立っていた(訳わかんない表現だが)。

 その天使のユカリ姫の格好はまるで楚々(そそ)とした美少女といった感じで、白を基調とした清楚なワンピース風の格好に、薄めの黄色やオレンジといった暖色系統をアクセントとして加えたチュニック丈のカーディガンみたいなのを羽織っていた。さらにいつもの長い黒髪は、はんなりとした京風大和撫子か使うべきであろうかんざしのみたいなものでサイドと後ろをゆるやかに結んでいて、なにか並々ならぬ決意を感じさせるような――しかしそうでもないような風変わりな髪型をしていた。また、胸には十字の形をした、どこか見た事があるような気がするペンダントもおしゃれに光らせている。それに左手に持っていた綿密に編み込まれているであろう底の深そうなフルーツバスケットが、お弁当的アイテムといった期待感を抱かせてくれるのだ。

 まあ、俺がとやかく述べることもなくばしっと言ってしまえば、そこには百二十パーセントの幼馴染が優美に立っていたといえるのだろう。


「よっ、紫」


「あっ、おはよー」


 そうゆるやかに振り向いた矢先、ほのかなラベンダーの香りがそよ風よりも優しく鼻腔をくすぐった。


「ん。おはよ、待ったか?」


「ううん、今来たとこ」


 ユカリはいたずらな笑みを浮かべてそう言った。


「それ、ほんとか?」


「ってやりとりがしたかったの」


「なんだよ、それは」


「だってね、ハルくん。待ち合わせっていったらそれが定番なんだもん。女の子はそういう待ち合わせが大好きなの。予定より少し先に来て何分か待ってみて今来たとことか、それかわざと遅れていってごめんね遅くなっちゃたとか」


 うむ、なんとなく分かる気はするが、まるでデートみたいな高揚感じゃないか。


「じゃあ、その言い方は――」


「ううん、今来たとこだよ」


 今度は心底嬉しそうに微笑んだ。


「そうか。それは良かった」


「でも、今日は晴れでよかったなぁー。雨だったらしようと思っていたことできなかったもんね」


「そうなのか?」


「うん」


「で、早速なんだけどさ、わざわざ手紙に書いてまでしてどうしたんだ? 携帯でも有無を言わさずでも良かったのだが」


 いや、そこまで思ってないのに言っちまった。


「あー、ハルくん。無理言ってごめん」


「あ、あのな、これ……んと、別に攻めているわけではないんだぜ」


 この辺の感覚、ユカリらしくない。だから調子が狂っちまう。


「うん。分かっているけど」


「で、ほら手紙に記してまでさ、なにをするんだ? それに話とか」


 それを聞いたユカリはタイミングを測るかのようにたっぷりと間を開けて、


「それはね、ちょこっとだけ悪いことしてみたくなっちゃたんだぁ、ハルくんと。だからそのための方便なの」


 ころっと首を傾けて見せた笑顔には昨日まで苛まれていた不安の全てを帳消しにしてしまうぐらいの破壊力があって、俺は呆けてしまう。

 例えば一般の男子高校生たるものの街頭調査アンケートでさりげなく青春を感じさせてくれる異性のセリフ部門ならば、堂々の一位になっちまうぐらい言われたいセリフかもしれんぞ。 ホントだったらこんなふうに変わったのは諸手もろてを挙げて喜ぶところかもしれねぇーが、しかしそうは問屋がおろさない事情があるのは残念でたまらない。

 

 するとユカリが「め、迷惑じゃなかった?」と言葉を繋げる。

 

 あー、俺はこんな野暮な事を言わせちまうぐらいボケーっとしていたのか。

 これではまるでダメなペケ人間だと瞬時に判断し、とりあえず目の前のお穣さんが「このナルチュー! バーカ! 別にあんたとなんて好きでこうしているわけではないんだからね、そんなこといってると手首をぎしぎしとひねるわよ! 勘違いしないでよね!」なんていいそうなセリフを探し出していた。ってなんでだー?


「なわけないだろ。紫、知らねぇーのか」


 で、またこれだ。巣に帰る帰属意識の習性にも似たたちどころに自分の落ち着く展開に持っていこうとする単細胞な俺。罵倒したかったらしてもよいぞ。てか、してくれー。ってなんでだー?


「えっ、なにを?」


「――人生ってのはな、思い出を作るために生きているんだぜ。気にするな」


 だがこうは言うものの、昨日からすでにおもいっきり異次元なレールへと方向転換している俺は、この点に関して言えば判を押された刻印のように思い出として残り続けるのだろう。最悪、思い出ではすまされないかもしれないが。

 そしてユカリはなぜか納得したような面持ちで、


「うん。ハルくんがそういってくれるなら、あたしがんばるよ」と唇をかみしめるようにいうから困ってしまう。


 いつもだったら罵詈雑言の嵐であるのだが、俺の言葉に疑いを持つこともなく……つまりは何をがんばるのだ? ユカリよ、ということになっちまう。


「――これからの思い出づくりに」


 一か月前の小早川なら絶対に言わないセリフである、やっぱり。

 だから俺は相反する二種類の感情を抱えつつ、少し遅めなまどろみの朝に決意をしたようにこう切り返す。


「なあ、ユカリ。ホントはさ、こんな状況はこのうえもなく嬉しいんだが、聞きたいことがあるんだよ?」


「ん、なぁーに?」


「あのさ、うんと……」


「ん?」


「なんかおかしなことは起こらなかったか?」


「えっ?」


 なに言ってんだろう、といった心底不思議そうな顔をしているユカリ。


「ほら、なんて言えばいいのか、えーとさ、――例えばな、新聞のページ全てが総理大臣の微笑み佇む似顔絵で埋め尽くされているとか、キプロス共和国が実は三十八カ国からなる魔界都市だーとか。サウナで眼鏡をかけながらピポランテ・さぷらいちぇーんまねじめんと、なんて言うと発汗作用の数値が大幅に上昇するとか、実はプレイングゲームの勇者が魔王の脳みそだったとか、そんなレヴェルの嘘みたいなくっだらないノリでさ、夢に襲われて現実世界に影響を及ぼしたなんてこととかあったりするか?」


 この時の俺はきっと不必要にも顔を強張らせていたのだが、小早川は一ミクロンも警戒することなく光の粒子が全て彼女に集まっているんではないかというぐらいの輝かしさで、そして優しげにこう言った。


「うー、うんとっ、そういうこと、さしあたってはないと思うけどな」


「…………」


「むー」


「え?」


「むー」


 不可解な表情を向けるので、


「あっ、ほら、前にそんなこといってなかったか?」と言ってやった。


「えっ、あたしそんなこと言ったっけ」


 気のせいだとしたら俺は相当いかれていたことになる。前からかもしれんが。


「んーごめんね、よくわからないの」


 怒鳴り散らされることもなくそう呟かれたので、やはりペースを乱されてしまいひとまずはそれっきりにして置いた。そしてもう少し建設的な聞き方ができやしないかと頭を悩ましてみる。

 あー、とりあえずはこんなギミック的な聞き方ではなくてもっと分かりやすい表現しなくてはいけないなー、なんてさ。





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