2−4
――コンコンコンコンコン――
一クッションも持たせない連続動作でドアが唸りをあげゆっくりと解き放たれる。
なんと!
この少しネジのずれた先輩(まあ、俺よりか幾分はマシだが)でさえ社会の一般常識に通じていて基本であるノックアンドウエイトの手順を守り通したっていうのに、扉の向こうでせわしなくしているであろう二匹目のキツネはいまにもドアを開けようとしていたのだ。
俺達はというと、ドアから背を向けて床に座り込んだままの姿勢でいたためもちろん大慌てで振り返り立ちあがろうとする。
だが、そこからが悲劇の始まりだった。
それは平素から機敏な動作が取れるような運動神経を持ち合わせていない俺が起立をしようとしたときに、運動神経系統の信号の伝達がうまく伝わらず先輩の方に向かってすっ転んでしまい、緊急避難的にポケットへと押しこもうとした紅の鮮血改めブラッディーノ・ティッシューノを床におもいっきりぶちまけてしまう。
そして俺の重力抵抗を受けた先輩はというとなんとかそれをこらえようとして、近くにあった机に手をかけ自身のバランスを必死に保とうしていたが、それも見事なまでの裏目にでてしまいコーヒセットまでもこれまたぶちまげてしまうという最悪な展開となってしまったのだ。
まさに漫画的擬音にすればどんがらがっしゃーんという感じの音が鳴った。
しかも獣耳先輩は「キャン」とか「アーン」なんて正に本物ばりのお耳生え小動物みたいな鳴き声か、あるいは可愛らしい嬌声かのどちらかに分類されるような悲鳴をあげ、こっちから見るとビデオ的なスローモーションで一足先に仰向けで寝ころんぢまった俺のほうへと倒れこんでくる。
こうして俺達はものの二、三秒の短い間に見事なまでの相互結合シンクロをしてしまい、まるで夜の縦四方固めみたいになっちまった今の状態は俺の人生経験においてはこの上もなく素晴らしい柔肌の感触を堪能できるユートピアタイムではあったのだが、それはピンポイントで落ちたいかずちぐらい質の悪すぎるタイミング。
結局、双方唖然とするお暇さえも与えてもらえず、円周率の切り捨てられた部分すらの秒単位的時間の猶予もないままにあのドアが、
――ガッチャリ、と開いちまった。
かくして賽は投げられたみたいな、どうにも弁解ができないまさにあれよ的な場面でのご対面になってしまって、
「なななな、成瀬君――――っ!」という悲鳴がけたたましく鳴り響いたのである。
「はひーっ!」と獣耳先輩。
もちろん俺たちはといえば、誰だか分からない声が聞こえたか聞こえないかのうちにとりあえずは神速(誇張であるが)で、双方合意のもとで獣耳先輩とは距離をとっていた。
そしておそるおそる俺の名前を呼んだ人物を仰視すると、それはまさかまさかの金井さんだった。そう、今日のあの世にも奇妙な休み時間を体験する前に斎藤が話題に挙げていた人だ。
彼女は、まさに委員長ですというようなみつあみくるくるの中わけヘアースタイルに、掛けているメガネがとても似合う文学少女的な女の子。そしてやっぱり我がクラスの学級委員長でもある。
う〜む、彼女ならば本がぴったしだ。むしろ委員長じゃなくて図書委員の方が雰囲気的に合っている。そして将来は図書館の司書になるのであろう。見た目だけならば司書マイスターの称号を与えても良いぐらいだ。なんて穏やかな状況ではない。
「ああああ、ああなたは、いやあなたたちはいいい今」
「あはあはははにゃ〜?」
この鳴き声は獣耳のお穣さん。だが「あはあはははにゃ〜」ってなんだよ。
「いやあなたたちは、いい、い今なにを」
「か、金井さん……」
「あああ、なっ、成瀬くん、は――、あのですね、ね、ゆかりちゃんという相手がいながらも斎藤君があんなにも成瀬君のことを心配していたから様子を見にやってきたははははっはー、なななんでここに、ここにこ、ここに血のついたティッシュが……うはっ!」
まさかまさかの意外性で参上しなさった金井はさらにまくし立てるよう喋り始めたが、乱雑しているティッシュを見てから急に様子がおかしくなった。さらにはどっかのあほ面みたいに今から鼻血を出すんじゃないかという勢いで顔全体が真っ赤に染まり、それを両手で必死に隠そうと不完全なしぐさでいないいないばーを繰り返しながら、「しょしょしょ」と……。
はっ? 月夜か? ポンポンポンか?
「こここここんな、ところで、捧げ――」
って、ん?
「こ、こんな、学校のなかでふふふふしだらな……ことを」
お、おいっ、金井さん! そういう勘違いねぇーぞ!! もしや、そのメガネは視力を大幅に退化させるだてメガネであって、状況判断に重大なる支障をきたすのか? ならば仕方がないが、それは全く持ってありえない。
「かっ、金井さん! ちょい、ちょっと――そ、それはごか――」
俺が意図的にこんな状況に陥ったわけではないことを言いかけようとしたが、それすらも最後まで言わせない矢継ぎ早さで、
「ななあ成瀬君はきっとこういうんでしょうね。キキミが見たのはほんの些細な幻さ! キラリーンみたいな……あーあれね、あれね、懐から快刀をとりだすようにバラなんかを取り出してこんな状況でも取り繕うとするんでしょ、このナルシスタンス! わたしなんかわたしなんかを、だってさっきまでこの人と――あー、この人のみみだ、みみ付けてる。なんと、なんというプレイ……ネ、ネコ、ネコニャーン。ニャン? ああああ、そとニャン、ニャンニャンプレイなんて――――っ!」と。
完璧なまでの一人合点である。彼女の俺に対するイメージと俺の彼女に対するイメージはどんどんと崩れていく。ベルリンの壁が崩壊するぐらい崩れていくな。
「うぅ〜うにゅ〜」
そうやってぽかーんとしていると、隣は隣で軟体動物を連想させるようなふにゃんとしたふにゃり声を挙げていた獣耳先輩。これでは彼女がますます助長してまくしたててくるのは火を見るよりも明らかだった。
「ししししかも……」
「うぅうう〜」
案の定彼女の喋りはまだ止まらなかったようで、その焦点が定まらなくなった目線は再度驚倒で見開かれていく。そしてなぜかそれに呼応するよう乞驚し始める変な輩は、もちろん俺ではなく獣耳の先輩。
「はあ……」
なんだかなあ、これ。
まるで眼球飛び出せ選手権でもしているかのごとく二人は互いに見合って競い合っているみたいだった。
そして金井は、その状況から往年のカール・ルイス――いや、モーリスグリーンにも負けず劣らずの後ろ向きなスタートダッシュで去っていこうとし始めたのだ。こちら側の積もりに積もった海よりも山よりも深い話を受け入れずに。
「あ――――っ、金井。ちょっと!」
「もももぉーわたしには、は、むりです、しこーのはんちゅうからいつだつしていまし――――わ、わたしにはついていけなーいんですぅー。ね、なな成瀬くん、だまってるからだまっているからね、この秘密はちゅりかごから、かかばまで持っていくからっ、ごしょー大事に抱え込んで死に至る病として受け止めますから。ね、わったちぃを追わないでぇ――。おわないでぇください、そ、そとで、そとニャンさんにんニャンニャンプレイなんて――――――――――っ!」
あーあー、まったく意味がわかんねぇーよ、と心の内で嘆く。
俺は再度「待ってくれー」と声をあげたのだったが、それはやまびこに話しかけていた人と同様の切なさであって、去っていた金井がこれから短距離界の女神として向こう十年ぐらいは君臨してくれなければ心がまるで休まらないだろうなんて考えていた。
やがて本日何度目かになる呆然自失と言う状態が訪れ、獣耳先輩は気を利かしたのか、
「か、彼女、まるで連続のようなマシンガンの弾丸だったねっ」
と、いったいどこに修飾が掛かっているのかも分からないジョークをぶっ放していた。こうして金井とは完璧なまでの勘違いというしこりを残したままで明日から学校で顔を合わさなければいけないと考えながら、はたまた床一面に散乱したティッシュやらコーヒセットやら本なんかを直さなくてはと思いながらも仰々しい動作で後ろを振り向く。
「…………」
しかしだ――。
俺は、
獣耳先輩は、
そうやって振り向いたのだったが――、
その瞬間。これこそが一番の驚きであってそこには俺と獣耳先輩の他にもう一人の人物がいたことを本気で思い知らせてしまう。
――新原 紗希。
金井の「そとニャンさんにんニャンニャンプレイなんて――――――――――っ!」という二度と思い返したくもないような微妙な言葉が、「三人」の部分だけを切り取ったように脳内をリピートする。
「…………」
俺は首を百七十度ぐらいはひんまげて考える(もちろんそんなには曲がらないが)。
どうしてだよ。
そこに人がいてはならないだろ?
これじゃあ密室トリックの均衡状態は成り立たんし、演繹三段論法としての推理小説的トリックが捻じ曲げられちまうじゃーないか。つまりはだな、思弁カタルシスを得られんだろ……ってそんな問題じゃない!
しかも服が微妙にはだけていて切り刻んだような――というのは大げさではあるが、カリブ海に浮かぶ小さな島の民族衣装ぐらいの制服ぐにゃぐにや感は何をしていたことを表しているんだ!
――なあ、新原? おまえはまさか、俺が無意識化状態のうちにこのようなことをしてしまい、世の中の都合の良いことしか写さないゴールデンタイムのテレビのように――今頃になってポンっと都合よく俺の視界に入ってきたわけではあるまいよな。
いや、それともあれか? これが噂のテレポーテーションというものか?
ああ、絶対にそうだ。こいつなら直接的にしろ間接的にしろ、あの十時四十分前の中休みのようにまた変なサイコキネシスでも使ったのかもしれない。
こうして俺がつれづれとなさそうでありえそうなパターンを再思三考していたら、
「でてって」と言う新原の声が聞こえた。
すると、いかにも人畜無害な感じのする――あのお姉さんっぽい風貌なのにしゃべり方が子供みたいな先輩はロクに反論することもできず、むしろ新原にお辞儀でもしそうな勢いでいびつな格好となりひしゃげてしまう。
――マジかよ、新原のほうがぜってぇーにおかしいはず、だぞ?
どうやら俺は先ほどの一連の出来事であの獣耳先輩に一種の共犯的感情が芽生えてしまったのか、最初の時の素っ頓狂さと比べて次あったときにはもっと悠揚に構えてあげたいなんて思ってしまったようだった。
「ごご、ごめんなさい」
そう言ってこの場から、立つ鳥跡を濁さすを心掛けるように去ろうとする(既に見事なまでの濁し方であったが)先輩を横目で見てしまう。
「なー、なるせっちにもごーごめんなさい」
それを最後にネコ耳だけはらりと落として部屋を後にしていき、刃のような視線を向ける新原 紗希とがちで向かい合っていたのだ。
最初に比べて文体が変化してるような気が……というよりかはアドバイスを受けまして、独白の部分に若干の変化をくわえてみたつもりです。(それでもまだ軽薄な素の文章が多いかもしれません)ですがどうなんでしょう、と疑問に思う今日この頃、――でした。