2−2
あの時はこうやって休み時間が終わるはずだったんだ。
四月十八日火曜日、十時四十分の少し前。
あれから五時間が経ってもまだ腑に落ちない。
平凡でありきたりな。
なんてことはない。
そんなただの日常の一コマだった。
幼馴染の小早川 紫が、
無口系の新原 紗希が、
少し不思議だろうが許容範囲内的出来事であってもまだそこまでは問題がなかった。
しかし、いくら楽観的であんなにも面白いことを求めていた俺でさえも――
人生とはオカルティクであって通り一辺倒の生き方では物足りないと考えていたことでさえも――
全てを覆すような出来事が起き、そんな悠長なことは言ってられないかもしれないということを実感したのだった。
放課後の部室。一人 佇みながら五時間ほど前のあれを述懐してみる。
折り重なった読みかけの本を見て、えっちらほっちらと走ってたりしているだろう運動部の声を聞いて、はたや胡桃入りコーヒの香りが鼻腔をくすぐり、それを口に含んだときのなんともいえないほろ苦味を心地よくも感じながら、ぶり返すような不思議な感覚が襲ってきているこの現状である。そんな五感と一緒に成瀬 春彦と呼ばれるバカ野郎は、世界に数ある超常現象のうちのほんの一部を体験しちまったときに起こった自己の拒否反応についてを考えていた、とでも言えばいいのだろうか。
これがホントの序章だったら大変な事になるだろうと思いながらも。
時を遡る。
あの休み時間に。
あれが突然やってきたときに。
――ひゅん。
俺はあの時、小早川に廊下まで呼び出されて手紙を貰った。これは二日連続の出来事だった。相変わらずツンとした感じは一つも見せず、優しくおしとやかにそれでいて恥ずかしそうな初々しさのような仕草を見せていた。
二、三語さくさくっと言葉を交わし、丁度予鈴がなったため俺達は教室に向かって帰った。
何事もなく平和な世を謳歌しているのは今を生きている俺達の青春だとばかりに感じる穏やかな日常だった。
廊下側に近い小早川はもう先に席に着いていた。斎藤は少し離れたところでその近辺に座る奴らと話をしていた。比嘉は次の授業の準備をしていた。新原の様子は覚えていない。
そして俺はというと、もらったばかりの可愛らしいレターを大事にかばんの中へと収め、席について一段落をしようとしていた。
そう、その時だったんだ――。
――ひゅん。
そんな空気が旋回でもしてそうな音とともに万有引力の法則、慣性の法則、浮力の法則、その他もろもろの物理的法則を全て否定することが起こった。それはごくごく小さな俺の机の上の空間だけで発生した現象だったが、まるで磁石が砂鉄を吸いつけるかのように消しゴムや鉛筆といった小さな小物がくっついてきては体にのめり込んでいったのだ。しかも、それらがのめり込んでいき体内に吸い込まれていく割には全く痛みが感じないという奇妙なアイロニーにも直面していた。だが何よりもおかしいと思ったのは、誰一人としてこの現象には気がつかないことであった。
皆が平凡に日常を過ごしていて俺だけが場違いのように見える滑稽な感覚で、「にゃはは」なんて笑いながら「待ってましたよ、局地封鎖的ポルターガイストさん」と呑気に構えればいいのだろうかと感じてしまうほどであった。
結局その後は三分間近くもこの状態が続いていた。その間、俺は金縛りにでもあったかのように動けず息を潜めて見守っているだけだった。
この三分間の出来事をたかが三分間と思うかもしれない。でも、されど三分間なのである。
そんな長い長い超常的な感覚が抜けきった後は、体中全身に纏わりつくような悪寒と得体のしれない何か迫ってくるような戦慄が走っていた。
もちろんそれは科学では解明できないであろう未知というものを体験したことから来る恐怖だったのだろう。解らないことほど恐ろしいものはないということを身をもって体験した瞬間だった。
だがこれだけでなく――、
後ろの席からこんな呟きが聞こえてきたのだ。
「だいじょうぶ、まだへーき」
この新原 紗希のくちびるから零れた言葉は、どうやら俺の鼓膜まで届かせようとしたらしかった。
ただその時の様子が二週間前とは違いなんとなくアンニュイな言い草だったのと、「まだ」という言葉の部分に物凄い引っ掛かりを覚えてしまったのだった。