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2−1 錯綜する春のこもれび

 入学式からはもう二週間が経ち四月の中旬になっていた。

 桜はものの見事に散ってしまったのだが、春爛漫で新緑若葉が溢れんばかりの勢いであることは変わらない。そして、その若葉の柔らかな色合いはたなびくような斜光を浴びて透明感のある緑を一層引き立たせていた。それは春の陽気に誘われた山の木々や街の緑が本格的に芽生えたかのようにも思わせるもので、こんな若葉の想いが人々の心にも新しい何かを芽生えさせているのかもしれない。

 ――なーんてな。

 俺が少々エラそうに季節の移り変わりを二流(自分で三流と言っちまうののはそこはかとなく許せなかった)ポエマー風に語ろうともそれに呼応してくれる人はいないね。だいたい取るに足らない一介の高校生が朝っぱらからそんなことをのたまっていたら気味が悪い。まあこうやってせいぜい胸の内に感じるしかないんだな、残念ながら。


「なあ成瀬ー。どうだ? 文芸部は誰か入ってきたのか?」

 

 どうやら斎藤が休み時間の合間を縫って話しかけてきたようだった。


「んー」


 最近の俺はこのコメディー斎藤と隣の席のさわやか比嘉とでつるんでいて、こう休憩時間となればしょっちゅう三人寄れば文殊の知恵にもとうてい及ばない普通の会話をするようになった。勉強がどうだの世間がどうだの、ドラマ、スポーツがどうだったとかとりとめもないことを話すんだが良いことには変わりない。

 しかし、世の中ってーのはそう都合よくできているわけではない。人生とは微積分のグラフのように波打っていて良いこともあれば悪いことも交互に起こるものだ。

 つまりは、いまだに懸案事項が続いていたことである。

 まず、あれからの小早川は文芸部の下見に行った次の日からまた沈黙の羊になってしまった。そして休みを挟んでその四日後に天使のユカリがやってきた。ということはその状況が月、火と二日連続で続いているのだ。

 例えば昨日の彼女の様子はこうだった。

 朝挨拶を交わすときはその相手には興味があるけど話しかけられない的な微笑みを浮かべて、休み時間は昨日の一日を綴ったようなラブレター?(というよりは日記風)を渡してきて、昼休みは奥ゆかしくも恥らいながら成瀬 春彦という人物のためにお弁当を作ってくれた。 そこの部分だけをとびっきりに誇張させて言わせてもらえば、舞踏会にでも行くかのような足取りで誰もいない屋上へと俺を優しく連れだし、これから口移しでも始めるんではないかというぐらいの勢いで物凄く照れてちょぴっとだけ食べさせてくれる感じであった。

 あの「ナルのバカッ!」とか「ナルチュー男」とか言いそうな雰囲気は一切影をひそめてしまったのだ。


 ――なあ、ここは喜ぶべきじゃねーのか?

 ――あんなにも素直でおしとやかな幼馴染をのぞんでいたんだぜ?

 ――ましてや俺をほのかに想ってくれているような感じの幼馴染だぞ? 


 だけど俺は傲慢ごうまんにもこう思ってしまう。

 なぜだかあまり喜べないと。

 それはひとえに小早川の中に錯綜さくそうしている感情が多すぎることであった。彼女はこれまでに三種類の人格を露呈している、というよりも三つの自我が混在しているといえばいいのだろうか。

 そう、一つ目はわがままな小早川、二つ目は沈黙のユカリ、三つ目は天使なユカリ姫。

 それもふざけているとか、そういうたぐいのもんじゃーない。あの真剣な様子を見ていたらなんだか胸が苦しくなっちまうぐらいだ。

 それに、妙に心地よかったかもしんないあの罵声を浴びなくなっちまったのはなんとなく落ち着かんもんだな。ユカリ。

 この部分は失ってみて初めてわかるなんとかってやつか?


「どうした? 成瀬ー。文芸部に誰も入ってくれる人がいなくて拗ねているのか?」


 うわの空だった俺に向かってさらに話しかけてきた斎藤。

 そういえば俺が始めて文芸部に足を踏み入れた日に、なぜか気になってしまったヴォネガットの創作理論とかいう本。あれは摩訶不思議なものであった。その本をよく見れば題名が記されてなく、三ページ以降は白紙であったのだ。

 そして――その次の日からは行方不明になってしまった。

 不思議なことだが誰かの私物だったのだろう。それしかあの本が無くなってしまう理由が思いつかないのだ。


「いいや。そんなわけはねぇけどな」


 気づけば俺は、齋藤の問いかけを適当にあしらっていた。


「まあまあ、そう強がるなって。誰もいないのは心細くて寂しいだろ。だからこの際、おまえも天文部に入るか? かっわいいー女の子がいるんだぜ」

 

 齋藤があの時思った事は間違いではなかったのか。天文部に入る理由。


「それでな、聞いてくれよ。この前なんか星をロマンチックに勉強しながら、その子が『ゆうじくんあたしの顔にも星型のホクロがあるんだー』なんて笑顔でいうんだよ。俺のこと好きなんじゃねーかその子は、と思ってしまうわけさ」


 斎藤は愉快にそう言うが、俺は思う。

 なんていう妄想だ。おそらく。

 ――いや、それよりもおまえの名が“ゆうじ”だったとはな。

 知っていたようで知らなかったようで、まあ結局はどっちでもいいなんてあっけない結論に落ち着きそうなので、形式だけでも謝罪という事をしてやろう。

 そう、こうして奥歯に物が挟まったような口ぶりで、それでいてこれからシチューの具にでもされちまいそうな悲壮感を漂わせて、


「す、すまなかった」


「はっ?」


「なんて……」


 しかし齋藤は、何をどうはかり間違って勘違いしたのか、


「あーそういうことか成瀬……。いいよ、謝ることはないぜ。俺の幸せそうでエンジョイな部活ぶりを聞いちまったら羨ましくなるのは当然だろ。それに世の中生きてりゃー多少見栄や意地も張りたくなるときがあるからな。それにそれに人間一人では生きていけないって事は充分理解しているからな」


 なにいってんだか。まあこれでいい。

 それは世の中知らなくていいことの方が多いからだ。そのうち薬学がありえないほど進歩して人の心が読めるような薬でもできちまったらもう終わりだぜ。

 ん? 前にもこんなことがあった気がしないでもないが。


「だからな、何も一人でいることはないんだぜ」


 どうだと言わんばかりの露骨な感情表現をしてくる齋藤。

 その言い草は酔狂しているようだった、というよりか単にノー天気なだけだろう。


「あのな、斎藤、そうは言うけれど一人で独占できる城というのもなかなか居心地がいいもんだぜ」


 まあ半分は本音なんだがな。半分は。

 文芸室には入部希望者はいないものの、あそこの空間はなかなか心地よいもんだ。


「そうかぁー? 語らう相手がいたほうがいいに決まってらぁー。今度、学校に居残って星を観測するんだよ。誰か知りあいでも連れてくるのがありらしいから成瀬、一緒に来いよ。小早川と仲直りもしたことだし丁度いい機会だろ」


「ん。そうか?」


 あー、齋藤も齋藤なりに気を使ってんだな。

 小早川とは中学の時からいつも一緒にいたからそんな仲に見えたのだろう。

 それがここ最近、一切会話をしなくなったり急に従順になったりするユカリを見てこう勘違いしているんだ、きっと。

 だが、実際はどういう関係だったのだろうか。ユカリがどう思っているかは知らないけど、俺達はそれなりに上手くやっていた幼馴染だよな。

 俺はあいつのわがままにさまざまな対処を施しながら付き合ってきた。そこまで家が近いというわけではないが、小学の時も中学の時も一緒に帰っていたりもしていた。


『女の子なんだから危ない目にあったら大変でしょ!』


『大丈夫だ、お前の間接技のレパートリーを駆使すれば――いてーておい』


『さいてぇ――! だいたいね、ナルは男の子のくせに女の子一人も守れないとかどういうことなの? いつもありえない空想ばかりにかまけているからよ!』


『そんなこと関係ないだろ。だいだいおまえに関していえば誰が襲ってこようと一生大丈夫だ、っていってーよ、やめろ、やめてくれ――それ』てな感じで。


 帰りにはユカリの家で半ば強引に勉強を教えさせられたり、夕暮れの公園で馬鹿話に終始したこともあった。まあ、その雰囲気は断じてデートじゃないことはもちろん宣誓しておくが。

 

「しっかしなー、成瀬ーおかしいよなー。俺は確かに聞いたんだけどよー。あの時の小早川は確かにサッカーを止めて文芸部に入るってさ。ほら、学級委員長の金井っているじゃん。あのめがねを掛けてみつあみの女の子。あーあれこそ文学少女の鑑ーなんて感じの子。彼女だってそう言ったんだから間違いないはずなんだよ」


 ならばその話、俺はな本人から直接聞いた。ただし、あの時は惚れ薬を飲まされているときだったがな。

 ん?

 ――おい、それなら成瀬 春彦よ。今はどうなんだ? 小早川の惚れ薬状態が続いているこの二日間どうなっているんだ? 一週間前は一時間で効果が切れたのになぜ今は二日間も続いているんだ。


 俺はこの時、もう一人の冷静な自分が冷静でない自分に問いかけていた。

 だけど、だけど。分からんよ。

 どう考えたって納得いく答えは出てこない。


「そう思うだろー?」


 それに斎藤。おまえは何度同じことを言ったら気が済むんだ。

 とりあえず分かっていることはサッカー部で元気にやっている。しかも仮入部の時点で即FWのレギュラー候補らしい。それでいいじゃないか。問題なしだ。

 待てよ?

 あの時に言った本が読みたいな発言を今回は聞いていないこと。

 ここに前までの小早川らしさがあったじゃーないか。


「斎藤君、その話は耳にタコができるほど聞いたよ」


 すると隣の席の比嘉が会話に割り込んできた。おそらく彼も同じことを思っていたんだろう。


「そうかあ〜? そこまで俺しつこく話した? すまんな」


 ああ、話したぜ。

 しかし申し訳そうな顔していた斎藤は、あんだけ選挙前は公約掲げていたのに当選すると全てを投げちまう議員みたいな素晴らしい手のひら返しを見せやがってきた。


「まあ、そんなことはこれっぽっちのかけらも思っていないけどな。アハハハハッー」


 おまえ、そんなに手のひらをひっくり返していたらユカリの立派な関節技になっちまう。


「でさー、そういえば比嘉はどうだ? 天文観測会これそうか?」


「いつ? 斎藤君」


「来週の土曜日だよ」


「あーその日? ダメだよ。僕だって今のクラブで忙しいからね」


 そうだ。このさわやかサトウキビ少年はこの学校で一、二を争う変なクラブに仮入部していることを忘れてはいけない。

 一つは弓道部。

 しかし、今やっていることは弓が放たれる音を研究しているらしい。

 詳細を聞いたところによれば、何種類かの共鳴する音を区別して正しい音を見極めたり、音の周波数などを調べたりしているという。これをムー大陸の発見に匹敵する謎といわずになんと呼べばいいのだろうか、なんていいすぎだが。

 そして、前述したとおり比嘉の入っている部活はもう一つあって、それは弁論部である。

 最近は三角形の角度について生成される言葉の意味を議論の対象にしている、と。

 なんだかこれを聞いていると『トライ! アングル!』なんていう写真部のキャッチコピーであったり、『わたしたち、そのあなたたちのトライアングルを直します!』みたいな三角関係改善計画を促すカウンセラー部みたいのがあったり、とそんな馬鹿な事が思い浮かぶがな、俺の場合は。

 ただ、弁論部の皆様方は三角形の角度について生成される言葉の意味を、どこぞかのテレビ番組みたいにすちゃっかめっちゃか白熱な議論を展開するだけらしい。

 なんだかなあ……。ゆえに、結局はここから導き出される結論は、


「つねづね思うけどこの学校の部活はおかしいよな」で、


「んー、それには別に異論はないなー」と比嘉の返答だった。


 やはりここの学校はおかしな部活が多すぎるということ。

 だいたい女子サッカー部だってそうだろう。なかなかお目にかかれるものではない。

 なのに文芸部はさ、俺以外一人もいないってどういうことなんだよ。


「で、成瀬君、文芸部のほうは本当に誰も入ってないのかい?」


 少々涼しげな目線で文芸部の件に話題を戻してきた比嘉。


「ああ、しょうがないよな」


 俺は肩をすくめて返答する。


「それならね、唐突なんだけど朗報だよ。僕が所属している弓道部の先輩で、文芸部――というよりは君に物凄い興味を示す人がいるんだ」


「えっ? なんだ、それ?」


「近いうちにひょっこりと現れるかもしれないよ」


 どうも腑に落ちないが、まあいいことじゃないか部員が増えるのは。


「ほー、よかったじゃん成瀬。ついでに後ろの席の新原も誘っちゃえばいいだろ。入学式の日はおまえら二人あやしかったからな。あっ、もう小早川とは上手くいったから余計なことを考えたらあきませんでぇ〜〜てか?」


 …………。

 斎藤。おまえはその風貌といい、なんか西部劇にでもでてきそうな陽気なギャングそのものだぜ。

 でもよ。これだけは言わせてくれ。

 そもそも後ろの席に座っている新原 紗希は、初めて文芸室に足を踏み入れた次の日からだぞ。授業中でも休み時間でも見境なく本を読みはじめたのは。明らかにおかしいことだ。

 それに彼女は相変わらず誰が話しかけても答えず、その人物にちらりと一瞥視線をくべるだけ。さらに放課後には存在がなくなるんだぞ。

 それにな、お前は知らないのかもしれないが昼食時には唐辛子を食してもいるんだ。そう、俺はあれから一週間毎日のように一人でぽつねんと座っている新原の様子を、究極のチラリズム感覚で――例えるなら一夜一夜人見ごろ具合(ルート2である)の秒数で覗き見て、偶然のように毎回唐辛子を目撃してしまうというわけなんだ。 


「ハルくん、ちょっと」 


 すると小早川が話す機会を窺っていたかのように呼びだしてきた。

 二人は目線だけで小早川の方へと行くように促したので俺はそれに従う。戻る頃にはタイミング良くキンコカンコと予鈴がなっているだろうか、と思い学校の椅子特有のガラガラガラなんて大きな音を出して立ち上がっていたのだった。





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