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Gate Works  作者: こめ丸 豊
3/5

序幕 異世界就職 ③

「よし、ちょっとここで待っていろ」


 俺と豚の亡骸を残し、ついでに俺を紐のようなもので括り付けて、メルシェさんは建物に入っていった。いきなりの緊縛プレイに驚きを隠せない。


 町に着いたはいいが、右も左も判らない……

 そこで何を言うわけでもなく、黙々と進んでいく彼女に付いて行ったらこうなった。どうしてこうなった。


 森を歩きながら聞いた話によると、ここはウァルファー王国という国で、俺が今いるこの街はシェスタという名の都市らしい。なんでも王都の近くにけっこうな規模の学校を造るに当たって、徐々に都市化していった街なんだそうだ。


 おそらく俺が空中で見たドでかい建物と敷地は、その学校とやらなのだろう。既に日は沈んでいるため、黒く染まった輪郭が朧気に判るといった程度だが、周りよりも一際大きく見える建物が遠くに見える。街の構造を見るに、奥の方が地盤も高いのかもしれない。


 鬱蒼と茂った森の中、ポッカリと開いた場所にある石造りの街は人の出入りが少なく、その景観は街というに相応しい。しかし、周囲が周囲だけに、やはり田舎であることも事実。

 それでも、今や世界に名を轟かせるくらいに有名な学校となり、それに伴って王都近郊都市、または魔法学園都市なんて大層な名で呼ばれるくらいにはなっているんだとか。


 そして、学校の名が世界中に知れわたっているということは、ウァルファー王国以外に国があることは言うまでも無く……

 メルシェさんによれば、ウァルファー王国の他にも、帝国、聖国、共和国などの国があるそうだ。


 彼方にみた世界樹らしきものもそうだが、帝国や聖国といったものは現在の地球に存在していない。

 地理関係など判らないことも多いが、ともかくこの世界が俺の生まれた世界とは異なる場所ということが確定したわけだ。


 まあ、それはともかくとして、メルシェさんはいったい何をしに建物に入って行ったのだろうか。


 想像してみてほしい。

 豚の亡骸と、その隣に佇む無職。それも暗闇の中、その身を縛られた不審者極まりない無職。


 なんとシュールな光景だろうか。

 建物の光により、照らされているところが余計に生々しい。時折、目の前を通りかかる人が俺を見ては、そそくさと立ち去っていく。


 街灯がポツポツと明かりを灯しているが、シェスタの街は星が空を彩る程度には暗い。

 ほんのりとした明るさは十八年過ごした土地と似たモノが在り、百万ドルの夜景とやらよりも、よほど心地良いのだが、その薄暗さが却って不審なところを際立たせている。


 俺がいったい何をしたというのか。誰か何とかしてくれ。


 メルシェさんが入った建物に吊り下げられている看板を見れば、何らかの紋章が一つに、解読不可能の文字が羅列しているだけで何も判らない。

 言語は通じるものの、文字体系はどうにも異なっているようだ。


 ご都合主義よ、手を抜くんじゃない。もっと熱くなれよ。


 心の内で愚痴を溢しながらも、実直に待っているとメルシェさんが戻ってきた。そこで歩き始めたと思えば、また別の建物へと入っていく。


 そして、再び生まれるシュールな光景。

 さながら健気に主人を待つ犬と死骸のようだ。いや、死骸は死んでいるだけなんだけども。

 彼女はけっこうサドッ気が強いのかもしれない。この状況に快楽も喜びも見出せない俺はきっとマゾではないはず……


 その後は三度目の正直なのか、寄り道することもなくメルシェさんの家、もといアジトへ向かう。

 大都市と言えるほど街の規模が大きくもないこともあって、わりと早く着いたその家を一言で表すなら……


「でけぇ……」


 これに尽きる。予想を遥かに上回る大きさだ。俺の家よりもずっと大きい。

 山や湖の付近に建てられた別荘とでもいうのか。森の中というロケーションを考えれば、ちょっと贅沢をしたコテージそのものであり、如何にもといった外装をしている。

 ただ、ここに来るまでに見た家屋の多くは石やレンガ主体で造られているものばかりだった。街の中心から少し外れた場所に建っているとはいえ、木材主体の建物はけっこう目立つかもしれない。


「一階は店だから、言うほど広くはないぞ」


「そう言えば、何かの店のオーナーって言ってましたね」


 居住スペースは二階のみということらしい。言うならば、宿酒場みたいな構造になっているようだ。

 しかし、この店はいったい何の店なんだろうか。酒場ならば、ちょうど日の暮れた今の時間は掻き入れ時のはずだ。

 そうでなくとも、飲食店なら開店していて、何らおかしいことはない。


「今日は店は休みなんですか?」


 けれど、店は灯りの一つも点いてなかった。見るからに休業状態。もしくは既に店を閉めたのか。

 豚を狩っているくらいだから毛皮でも売っているのかと思ったが、いくら猪に近いとはいえ、あの豚野郎の毛皮に需要があるのかは疑問が残る。 


「それも含めて話は後にしよう。私もそれなりに腹が減ったし、こいつを捌く必要もあるから調理場はまだ使えない。だから、私が捌いている間にお前は風呂に入ってこい。それからでも遅くはあるまい?」


「うす、了解です」


 それは暗に話が長くなるとも言っているように聞こえたが、どのみち俺に異存は無い。

 いや、一つだけ異存というか疑問があった。その豚、食うの……?


「おっと、その前にこれを渡しておこう」


 そう言われ、手渡されたものはメルシェさんが二つ目の建物に入って、調達してきた袋。

 てっきり惣菜か何かを買ったのだと思っていたが、豚を食うことからその線は消えた。


 中を見れば、適当に見繕われた男物の服が入っていた。

 当然、そこには下着も含まれており、えもいわれぬ恥ずかしさが込み上げてくる。よもや異世界に来て、パンツをプレゼントされるとは……予想外デス。


「無一文なうえに、見るからに荷物もないからな。一先ず今日はそれに着替えろ。それと、お前が今着ている服は後で洗うから、脱衣所に置いておくんだぞ」


「あ、ありがとうございます」


 いくら軽めとはいえ、先程まで緊縛放置プレイをしていた人とは思えない気遣いに、思わず畏まってしまった。

 正直、色々と都合が良すぎて疑いが生じるレベルではあるが、ここは素直に甘んじるとしよう。


 そもそもが話、今の俺から奪えるモノといったら、汚れた衣服に寿命付きである夢のアイテムと、前後の純潔ぐらいだ。失うものはあまりに少ない。いや、やっぱり後ろは止めていただきたいです。


 メルシェさんが入った後に続いて、その建物に入る。


「へぇ……」


 パッと灯りが点されたそこは喫茶店のような構造をしていた。

 いくつかのカウンター席に疎らに置かれたテーブル席。がらんどうなその空間には結構な数の座席がある。人がいれば、さぞ賑やかになることは想像に難くない。


 明らかに飲食店の体裁なのだが、風呂はそんな一階にあるとのことだった。

 どういう意図なのかは測りかねるが、その謎仕様に敢えて口を挟むつもりは無い。ちなみに地下もあるそうだが、そこには通してもらえなかった。


 二階には部屋が六つ備わっており、今日はその内の一つを貸してもらえるらしい。

 今はメルシェさんしかいないのか、大層静まり返っている。ただ、どの場所も掃除は行き届いているようで整然としていた。


 俺としては誰もいないのは好都合だ。伊達にオバタリアンズと三年間付き合ってきたわけじゃない。コミュニケーションには些か自信がある。

 しかし、初対面の人を気遣ってギクシャクするのは、やはり精神的に疲れてしまう。その点、初対面であるにもかかわらず、拳骨を噛ましてきたここのオーナーとの距離感はちょうどいいのかもしれない。


 自分が使わせてもらう部屋が判れば、それ以外にやることなど無く、そのまま風呂へ向かう。


 浴室はなぜか二つに別れており、一つはシャワーのみで、もう一つはちゃんと浴槽まで設置されていた。

 前者は漫画喫茶のシャワールーム。流し場も浴槽も、ついでに脱衣所も広めに作られた後者リフォームの広告とかで見るようなバスルームといったところだろう。

 設置場所といい、この差別化といい、何か宗教的な意味合いでもあるのかと勘繰ってしまうが、特にそういう意味も無いらしい。


 なんにせよ、見た感じは地球のモノとそう大差は無い。いつも長風呂決め込んで、ゆっくりとしている俺からすれば、非常にありがたいことだ。

 風呂に入ってまで、あくせくしたくは無い。今日も湯槽に浸かって、勇者王の誕生を謳うとしよう。


 我が家よりも広い浴室に、少し高揚しながら入る……

 そこまでは良かった。何てことはない、全裸になって入浴するという当たり前のことをしただけ。


 しかし、最初にシャワーを浴びようとしてところで、思わぬ問題が発生する。


「どうなってんだ、こりゃ?」


 この浴室、何をどう動かしてもお湯はおろか、水すら出てこない。


 シャワーとカランと一緒にある装置は三つ。

 中央部分がスイッチのようになっている掌大のダイヤルと、レバーが二つだ。


 レバーの片方はシャワーとカランの切り替えるためのもののようで、如何にもな印が刻まれている。しかし、もう一つは特に何も描かれていない。

 ダイヤルのようなものは外縁部を捻れば、それに応じて回転はするものの、回るだけで終わり、スイッチにも見える中央部分を押し込むことも出来なかった。


 なんだこれは……新手のいじめか?


『おめーの使えるシャワーねぇから!』


 とか言われると地味に困るわけだが、ちょっとピンポイント過ぎるだろう。仮にこれを仕込んだ奴がいたとして、いったい何を想定した犯行なのかが判らない。全裸の野郎を困らせて、何の得があるというのか。


 突っ立っていても、どうにもならないため、汚れた衣服の袖に腕を通し、メルシェさんに扱いを訊きに戻る。ファイ◯ルフュージョン承認を前に、とんだ誤算があったものだ。


 調理場に足を踏み入れれば、小気味良い音が聞こえてくる。

 釣り上げられた豚がファスナーを開くようにかっ捌かれている……なんてことはなく、既に肉塊と化した豚が風を切るような恐ろしい速度でスライスされていた。


 グロテスクな光景が広がっていないのは、ひとえにその速さによるものだろう。

 既に干されたり、大皿に盛られたりしている大量の腸詰めがそれを物語っている。色と処置が異なるのは、血を使っているゆえか。 

 

 赤色に塗れたおどろおどろしい現場を除けば、料理の下拵えをしている主婦と変わらない。目の前の肉を切ることに集中しているところを悪いが、さっさと聞いてしまおう。


「すいません、メルシェさん。風呂場のアレって、どうやったらお湯が出るんですかね?」


「うん? どうやってって……普通に魔力を込めればいいじゃないか」


 振り返りざま、華麗に包丁を回転させて、豚処理職人さんはそう言い放った。

 まさしく職人芸と言えるような手捌きなのだが、現状を見るにどうしても殺し屋のそれにしか見えない。


 一瞬、死を恐怖するのも無理はなかった。

 そして、その恐怖ゆえか、最も重要なはずの言葉を聞き逃した。


 ――いったい何を込めるって?


「だから魔力を……いや、もう見せた方が早いか。付いて来い」


 どうやら口に出ていたらしい。無意識に飛び出た言葉に彼女は律儀に答えてくれたが、俺の顔を見て、彼女はすぐに諦めた。

 手を洗い流した彼女は疎らに水を切り、どこか面倒くさそうに俺を風呂場へと連れて行く。そして、俺は濡れないように手早く位置取りしたメルシェさんを只々眺めていた。


「よく見ておけ。こうやるんだ」


 彼女はそのまま、丸いスイッチのような部分に手を翳す。すると、それに呼応するかのようにシャワーから待望のお湯が噴出された。


 何かグッと押し込むようにしたのは判ったが、俺がやったときに出なかったのはどういうことだってばよ?


「判っただろう? 同じようにやればいいんだ」


 メルシェさんと場所を代わり、俺は彼女がそうしたように手を翳し、再び押してみる。


『返事がない、ただの屍のようだ』


 そんなメッセージが浮かんできそうなほどに、まったく反応が無い。続けて角度を変えたり、お祈りしながら押してみたが、結果は変わらず。やはり何も起きることはなかった。


「あの、これっていったい――」


 そう言いかけて、俺の口は止まった。

 振り返って彼女を見れば、目を見開き、何かあり得ないものでも見たような表情で俺を凝視している。どうした、そんなディアボ〇モンがガ〇ルキャノンを喰らったような顔をして。

 

「お前……まさか魔力を扱えないのか?」


 その深刻な表情とは裏腹に、メルシェさんが何ともメルヘンチックなことを聞いてくる。


「いや……そんなの当たり前でしょう?」


 俺だって、期待してたよ。ここが地球とは違うどこかだと信じて、守護霊召喚の他にライ○インとか、ジ○ンガとか、PKサ○ダーとか、色々試してみたさ。バチバチしたかったさ。


 でも、ダメだったんだから、どうしようもない。いくら俺が厨二病紛いの思考回路を持っていようと、現実を直視せざるを得なかった。


 ――だから、魔法は使えないし、存在もしない。


 そう、結論に至ったはずなのに……

 目の前の人はバカな、と戦慄いている。その反応はあたかも魔法が存在しているかのようであり、寧ろ使えて当たり前といっているようでもあった。


 希望が見えたのは良い。しかし、同時に疑問も湧いてくる。


 仮に使えるとするならば、俺に使えないのはなぜだ?

 既に文字通りのフィジカル・フルバーストを手に入れているからか?

 それとも、単純に魔法を行使する素養が無いとか? 


 だが、もやしのように簡単に折れることを考慮すれば、無職が前衛に適しているはずがない。正直、戦力として数えられるのかすら疑問だ。


 無論、チート能力を踏まえれば、その限りではないだろう。それでも、可能性としては後衛たる魔法使いになる確率の、ほ……う、が……


「…………」


 そのときだった。

 一つの単語が鮮烈な輝きを帯びて、俺の頭を過る。

 そうだ、我らが祖国にも魔法使いは存在していた。


 その名を――童貞。


 この世にあまねく純潔を貫きし者たちへ贈られる称号にして、性なる聖職。

 年齢を重ねるにつれ、自動的に魔法使いから妖精、場合によっては仙人や賢者など、いくつかのクラスチェンジを備えた忌まわしきジョブの一つだ。


 最果ての高みに至った者は……そして伝説へ。


 その段階に至った歴史的な偉人だっているけれど、しがない無職が彼らと同じステージまで辿り着けるかと言えば、もちろん不可能であって……

 しかし、いまだ貞操を守りぬき、三十路という絶対境界線を越えていない俺が来たるべき未来にジョブを獲得することも事実。既にその道に片足突っ込んで、レールの上を走りだしている。


 とはいえ、それは俺がまだ魔法使いに至っていないということも意味している。

 残る十二年という歳月も、所詮は束の間の休息でしかないのかもしれない。それでも、メルシェさんに絶句されるようなことでは無いはずだ。

 そんな、「キモーい」、とでも言いたげな表情をされても、俺だって困る……ん? キモい……?


 ……………………………………………………

 ……………………………………………………。


「アハハ……」


「お、おい、どうした!?」


 膝から崩れ落ちるとは、まさしくこのことだった。

 点と点とが繋がり、生まれた仮説はいまだかつてないショックとなって、俺の中を駆け巡る。

 糸の切れたマペットのようになった俺を見て、メルシェさんが戸惑うも、壊れた人形に対応など出来るはずも無く……


「そうか…………そういうことだったのか……」


 一人、四つん這いになって、現状を何とか咀嚼していた。


 どうして気付かなかったんだろう。ここは異世界。祖国とは違うどこか別の場所だ。

 何もかもが当たり前で無くなった世界で、俺の知っている常識やルールがそのまま当てはまるなんてことがあるわけがない。

 ちょうど、ここへ辿り着く前に見た文字言語が、まさにそうであるように……


 そりゃ、メルシェさんだって驚くわけだ。


 ――まさか、まさか……この世界が、“童貞が許されるのは小学生まで時空”だったなんてっ!!


 思わず、両の拳を床に打ち付ける。

 俺は小学生以上の年を重ねた魔法使い。紛うことなき魔法使いのはずなのに魔法が使えないのであれば、バカにされるのも当然……


 そう、俺は許されない存在だったんだ。


 四つん這いになって大いに戦慄していると、メルシェさんが虫けらを見るかのような冷徹な瞳を携えて、こちらを見てくる。既に気遣う色は微塵も無い。


「お前は…………いや、この際お前がどこまでバカであろうと、どうでもよい」


 何やらこちらの情念が伝わっているらしい。また口に出していたのだろうか。

 動揺すると、口が緩む傾向にあるのかもしれない。気を付けるとしよう。だがしかし、駄菓子は美味い……じゃなかった。こっちはそれどころじゃない。

 ただでさえ、我が祖国ではチェリーがバカにされる傾向にあるというのに、この世界はそれ以上……


 かつて、人は問われた。

 どうして、処女と童貞が同価値だと思う、と。

 一度も侵入を許さない砦と、一度たりとて敵軍の砦を責めることの出来ない兵士が本当に同価値だと思うのか――と。


『ねぇ、ママー……あれ、なにぃ?』


『しっ、魔法使い(笑)なんか見ちゃいけません!』



『あらやだ、奥様。魔法も使えない魔法使い(笑)が歩いていましてよ』


『あーら、本当ざます』


『まあまあ、皆さま。いまだ誰とも契約(意味深)出来ていない殿方とはいえ、余り貶めるものではありませんわ。なにしろ……』


『『『古より伝わるカルマを背負った偉大なる魔法使い(爆)なのですから! オーホッホッホッホッホホホホッ!』』』


 想像、もとい妄想は止まることなく、俺の心を蝕んでゆく。


「うわぁ……うわああぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁ……っ!!」


 そんな中、メルシェさんは調理場に戻り、表情一つ変えずに豚を捌く作業を再開していた。



 ◆



「お恥ずかしいところをお見せしました」


 その後、無事に入浴は終わった。結局、原理はよく分からなかったが、メルシェさんがお湯を出せるようにしてくれたのだ。

 ちなみに片方のレバーがお湯や水の量を調節、ダイヤルは温度調節の役割を果たしていた。


 今は、店に数あるテーブルを挟んで対面に座っており、非常に居た堪れない空気が場を包んでいる。


「少なからず思っていたことだが……やはり、お前はけっこうな変人のようだな」


「返す言葉もございませぬ」


 童貞がどうとか、大っぴらに口に出し、なおかつ一人勝手に悶えていたのだ。ぐうの音も出ないとはこのことだろう。

 それにしても、もう少しオブラートに包むなり、歯に衣着せてほしい。“変わった人”と“変人”とでは、まるでイメージが異なってくる。


「……だが、お前が変人であることよりも、魔力を扱えないことの方がよほど問題だ」


 冷めきっていたその顔に刺さるような熱を灯して、メルシェさんは切り出した。

 彼女の口振りからして、魔力とやらは一般市民の生活に深く浸透しているモノらしい。どうやら、この世界は思った以上に剣と魔法の世界だったようだ。


 魔力といえば、魔法の源となるエネルギーを指していることが多い。となれば、魔法という存在があっても何らおかしくないはずだ。

 仮にそうでなかったとしても、認識が大きくズレているというようなことは無いだろう。


「それって、シャワーとかが使えないって意味ですか?」


 なにせ、風呂の機能が魔力によって、駆動する仕組みなのだから。

 選ばれし勇者にしか使えないポンコツシャワーかと思いきや、意外にそうでも無かったらしい。まあ、実際にそんな仕様だったら、嫌がらせどころの話ではないのだが。


 ただ、アンデッド系にお水は効果覿面だし、タンク背負ってゴーストバスターするような勇者でも、けっこうな活躍が見込めそうな気がする。


 ともかく、シャーッと出るシャワーの話はここまでにして、現実に戻ろう。現代人からすれば、風呂に入れないというのは、わりと致命的なことだ。


「そうだな……それも問題といえば、問題か……」


 どこか煮え切らない表情で、メルシェさんが呟く。

 予想通りというのか、やはりこの世界の物の多くは魔力によって動くらしい。それも、水道に電気やガスといった生活に要するエネルギーの全てが魔力で賄われているのだそうだ。


 まさしくオール電化住宅ならぬ、オール魔力住宅。それが、この世界における一般的な生活様式なのだから、なおさら驚きだろう。正直、仕組みについてはさっぱりだが、随分と家計に優しい社会なのは確かだ。


 けれど問題なのは、俺がそうした器具を使えないということであり……


「世に出回っている物の多くは、一応魔力は溜めておけるようになってはいる」


「ああ、シャワーが使えたのはそういうこと……」


「……だな。しかし、これは効率化を図っただけのことで、魔力が使えない事態を想定したわけではない」


 一人では何も出来ないという状況が、さらに悪化したことだった。


 メルシェさんがシャワーを使えるようにしてくれたのと同様に、助けの手を借りれば、さしたる問題でも無いのだろう。

 しかし、魔力が尽きたトイレで、待ち惚けを喰らってしまっては洒落にならない。そのうえ、ペーパーまでもが無くなっていたとすれば、絶望以外の何物でもない。


「何と言うか……思っていた以上に、マズいな」


 仙人か、花子さんか、神様か……

 なんにせよ、恐ろしく汚いナニカが爆誕してしまう。この問題は、それだけの危険性を秘めているのだ。


「そうか……魔力の存在すら知らないような素振りだったが、理解してくれたのか」


「ええ、いくらなんでも他人に排泄物を晒すような趣味は持ち合わせていません」


「まさしくクソ野郎だな、お前は」


「あれぇ?」


 クソ虫を見るような目で酷いことを言い放ったメルシェさんが、おもむろに額を押さえる。いったい今の発言のどこにクソ呼ばわりされる要素があったというのか。

 いやまあ、確かに綺麗な内容とは言えないのだけれども、出したら流すというのは常識だろう。割を食うのは、後に使う者なんだから。


「まあ……この際お前がなんであろうと、どうでもいい」


「いや、けっこう重要ですよ? ……人としての尊厳的な意味で」


「一つ聞くが、お前は魔力について、どの程度知っている?」


「魔法という夢のような現象を織り成す源といった程度ですが……それより、話聞いてます?」


 こちらがおずおずといった調子で答えれば、メルシェさんは舌を馴らして、そっぽを向く。しかし、その目は至って真剣で、「いったいどんな辺境で育ったんだ……」と、苦虫を潰したような顔をしていた。


「それでですね……」


「捨て置け。これ以上話を脱線させるのなら、尊厳を保つよりも前に死ぬぞ」


「謹んで拝聴させていただきます、サー」


 半ば脅しのように迫られ、俺はいとも容易く平伏した。というか、そうせざるを得なかった。

 一端、冷めたはずの灯が再び灯れば、こちらを見つめる双眸と共にも鋭くなる。その眼にある光は熱というよりも冷気に近く、背筋が思わず震えるほどの空気の変化に、それが冗談でないということがハッキリと判った。


「お前の指摘通り、魔力が扱えないということは生活に大きく支障をきたす……これは事実だ。だが、それ以上に何かの弾みで殺されかねん」


「えっ、この街ってそんなに荒れてんの!?」


「そうじゃない。死ぬのは、あくまでお前だけだ」


「旅に出ます。探さないでください」


 いくら余所者とはいえ、徹底的に村八分される謂われは無い。脱兎のごとく逃げ出そうとするも、それを見越していたのか、メルシェさんに襟首を捕まれてしまった。


「逃がさん」


「HA☆NA☆SE!」


 死ぬって、そういうことなの!? 村八分ならぬ、街八分!?

 欠片ほども面識の無い人間を、そうまでして徹底的に追い込むの!? 追い剥ぎでもそこまでしねぇよ!


「こら、落ち着け。暴れるな……っ!?」


「嫌だああああああああぁっ!」


 駄々をこねる幼児さながらに、がむしゃらに暴れれば、案外楽に抵抗することが出来た。しかし、それも一瞬のこと……


「……くっ」


 ひたすらに動かしているはずの足が空を切る。

 いや、実際には動いていた。それでも、重りでも括り付けられたかのように体が前へと進むことはない。


「大丈夫だ。何も獲って食おうってわけじゃない」


「嘘つけ! その手にある剣はなんだ!? つーか、どっから取り出した!?」


 そして、なぜかメルシェさんの手には武骨な片手剣が握られていた。チラッと目に入ったそれは華美な装飾など一切無く、明らかに相手を狩り殺すことに重きを置いている。


 これだけ状況証拠揃えておいて、信用しろって方が無理だろう。寧ろ、本性を表したとしか思えない。

 あたかも獰猛な獣と相対したかのような恐怖が、大いに心臓を駆り立ててきた。


「言葉の選択が悪かったな。お前が死ぬといったのは、ひとえに魔力が無いからだ」


 しかし、彼女はそう言って、手を離してくれた。といっても、既に力ずくで座らされていたのだが。

 油断させておいて……ということもないようで、既にその手から剣は消え失せている。どうやら本当にその気は無いらしい。剣呑とした空気はすぐにも消え去った。


「魔力を扱えるかどうかで、その耐久力は紙と鋼ほどに違ってくる。その意味で、ケンカとかのいざこざ巻き込まれれば、簡単に致命傷を負ってしまうんだ」


 曰く――魔力とは、秘められし命の原動力。

 たとえ知的生命体でなかろうと、この世に存在するモノ全てが有している潜在能力にして、本来ならば引き出す必要のない禁断の力らしい。


 人は呼吸することで酸素を体内へと取り入れ、様々な器官の機能を維持している。当然、それには食物を栄養やカロリーとして摂取することも含まれているわけだが、そうした肉体を機能させるエネルギーとは別にもう一つ、エネルギーが存在している。


 それこそが、魔力。目に見えない形無きモノを象る精神エネルギー。


 生命活動を維持するのに必要なのは、肉体の維持だけに留まらない。

 魂や心、感情に意志、時には本能や欲求とも言うだろう。少なくとも人類において、精神が機能しなくなっては、死んでしまったも同然となる。


 つまり、酸素や栄養といったエネルギーが肉体を維持しているのと同様、魔力は目に見えない精神の維持、機能を司っている――


「……らしいんだが、正直そこら辺はよく判っていない」


「俺の心にお出でなさったワクワクさんを返せ」


 恐怖が好奇心へと代わり、生まれた興奮が瞬く間に息を引き取った。

 確かに魔力は時に精神を汚染してしまうこともあるそうだが、それが精神を維持しているという明確な証拠にはならず。魔力を使えば、少なからず肉体の疲労も起こることからも、一概にそうとは言い切れないらしい。


 ただ一つ、もともと表に出てくることの無かった仮想霊的エネルギーのもたらす力は凄まじいということだけは確固とした事実だった。


「簡単に言うと、魔力を扱える者は草を毟る感覚で、お前の体に風穴を開けられる」


「だから、さっきから死ぬと……」


 一般的にケンカと呼ばれる殴り合い程度の諍いが、その実遥か昔にコロシアムで行われていたグラディエイターズアサルトよりもヤバいとなれば、当然の結果だ。

 というか、全ての一般人がゴン◯ん並みに恐怖を煽ってくるとなれば、俺の毛根がストレスでマッパ……いや、ウ〇ルフィンさんみたいになってしまう。さすがにこの年で、剥げるのは避けたい。


「だが、人との小競り合いなど、まだマシな方だ。魔獣は躊躇い無く殺しにかかってくる。お前を止めた一番の理由がそれだ」


 畳みかけるようにメルシェさんは言葉を紡ぐ。


 魔力や魔法といったものが存在しているこの世界には、やはりそういったモンスターの類いが実在するらしい。まあ、俺を丸飲み出来る豚がいるくらいだ。特別おかしなことはないだろう。

 その生態や性質は多様を極めるくらいの数を誇るけれど、どんな魔獣であろうとも共通している部分がある。


 そう、魔獣はほぼ例外無く、魔力や魔法を用いた攻撃を行ってくるということだ。


 読んで字のごとく魔法を使えるようになった獣、もしくは魔力そのものが具現化した意志ある化物。

 それ以外にも、まことしやかに提唱されている説はヤツ等の種類並みにあるそうだが……


 なんにせよ、そうした存在の多くは人を襲うのに躊躇が無い。寧ろ、絶好の獲物と認識し、嬉々として襲い掛かってくることも少なくないそうだ。


「仮に小石一粒程度の魔法だったとしても、心臓を貫かれれば即死。足を撃たれれば……折れるか、もげるかだな。魔獣だってバカじゃない。たとえ赤子であろうと、相手が自分よりも弱いと判れば、立派な捕食者に成り代わる」


「…………」


「あの森から無事に抜け出せたのは、本当に運が良かったんだ」


 要はしかるべき備えをしておかないと、スライム当たりの雑魚敵にすら一撃で殺されるということらしい。

 きっと初プレイのゲームを調子に乗って最高難易度で始めたら、最初の戦闘でボロクソに嬲り殺されたようなものだろう。下手をすれば、そこで捌かれ、山になっている豚にも殺されていたのかもしれない。


 小便、チビりそうになった。


「何か、こう……手っ取り早く魔力とやらを使えるようになる方法はないのか?」


 だからか、自然と口から言葉が漏れ出ていた。

 帰る方法が判らない以上、この世界で過ごさねばならない。しかし、当たり前が当たり前として機能していない俺には死活問題が山積みだ。


 イージーモードかと思いきや、生活基盤的にどう考えてもハードモード。

 パワーは手に入れたものの、しかるべきトレーニングを行わなければ、そこらの雑魚にすら瞬殺されるという紙防御。


 こうして考えてみると、俺の手に入れた力はプ◯トフォームであって、ア◯ティメットフォームじゃなかったのかもしれない。

 魔力操作ニダンギリ魔法サンダンギリも使えないなんて、どうしたらいいんだよ!


 もはや、美少女ちゃんとイチャコラする前にバッドエンドを迎えることも現実味を帯びて来てしまった。加えて、俺には“つづきから”なんて便利な選択肢は無い。

 NOW LOADINGとか表示された暁には、間違いなくあの世で目を醒ますだろう。誰か俺にもアカルイミライヲくれ。


「あるにはある。基本的に魔力そのものをぶつけて、刺激するというものだ」


「ぶつけるって……」


「お察しの通り、肉体を破壊する行為だ。成功する確率は低いし、仮に成功したとしても、後遺症が残る可能性が極めて高い。その意味で、自殺といっても差し支えないだろうな」


「……具体的には?」


「成功確率は良くて二割。後遺症としては肉体の部分欠損、機能障害、場合によっては精神汚染もあるといったところか。加えて、成功確率には目覚めた直後に死ぬケースも含まれている」


「いや、ちょっとなに言ってんのか判んないです」


「刺激して呼び起こせば、魔力は勢いよく噴出する。だが、そうなった場合の多くは魔力に耐えきれず、消し飛んでしまうんだ」


 頭の中で、メルシェさんの言葉がピンボールのようにあちらこちらを跳ね返っている。というか、ダ◯スダ◯スレボリューションしている。

 開いた口が塞がらない……なんて経験をするのは、マミさんのとき以来だろうか。


「えっ、え……え?」


 いや、感覚的には初めて新劇Qを見終わったときに近い。些か以上に事態を受け止めきれないでいる。おい、どういうことだ。説明しろ◯木!


「自分のエネルギーだろ……? そんなことって、有り得るのかよ……」


「当たり前だろう。人体を容易く破壊できるような力だぞ? 普段使わない筋肉を使っただけで痛むような我々の体が、どうしてそんなエネルギーに耐えられる?」



「…………」



「…………」



「…………」



「…………」





「……………………確かに」


 なんという説得力。そして、凄まじい敗北感。

 まさしくその通りだ。それだけ強力なエネルギーをノーリスクで、いきなり行使できる保証など、どこにもない。だからこそ、スポーツ選手は常日頃練習を重ね、科学だって実験を繰り返し、理論を現実に擦り合わせるのだ。


 緩やかな波のように、振れ幅を小さく、間隔を長く。

 長い年月を積み重ねてリスクを薄めることで、人間社会は発展を遂げてきた。そして、それは魔力にも通ずるところがあるのは言うまでも無く……


 メルシェさんがタイミングを見計らって、話を再開する。


「基本的には五、六歳で訓練を始め、どんなに遅くても十二歳にでもなれば、きちんと魔力を扱えるようになる。そこら辺は人によりけりだが、なんにせよ魔力を完全にコントロールするには、多くの時間を要する」


 つまり、魔力が扱えないなんて小学生まで……ということらしい。魔法科小学生にも後塵を拝する俺は、いったいどれほどの劣等生だというのか。

 いや、もう無職の時点で、色々とお察しレベルですけどね、ハイ。 


「……従って、今すぐどうこう出来るような問題でもないんだが、それだけに恐ろしく度し難い問題となっているわけだ」


「べ、別に、泣いてなんかいないんだからねっ!」


「私は何も言っていないが……まあ、泣きたい状況であるのは確かだ。しばらくは融通してやるから、じっくり考えるといい」


 どうでもいい理由で落ち込んでいると、それを見かねたのか、メルシェさんが優しい申し出をしてくれる。


 実際のところ、俺がお兄様になれないという事実よりも、生活の根幹を成しているのが科学では無く、魔力やら魔術やらの超常現象という現実の方が深刻な話だろう。

 というか、多方面においてハードル高過ぎだろ。あっちもこっちも死ぬ死ぬ死ぬって、どういうことだよ。ここまで分の悪い背水の陣も見たことないぞ。

 

「そういうわけだ。少し遅くなってしまったが……ともかく、食事としよう。少し待っていてくれ」


 そう言って、メルシェさんは立ち上がり、エプロンを身に付けると、キッチンで豚肉に火を通し始めた。


 身元不明、住所不明、無一文、その他諸々問題あり。事の大きさは異なれど、家出に近いような状況。

 どことなく気遣われているように感じるのも、当然のことかもしれない。そして、やはりどことなく暖かみを感じたのも気のせいではないのだろう。その姿はよくアニメに出てくるような、とびきり若く見えるオカンそのものだった。


「さあ、出来た」


 油の弾ける音と、何かを刻む包丁の音を聞きながら、ぼんやりと待つこと十数分。

 メルシェさんが皿を持って、こちらに歩いてくる。


 彼女の心遣いに感謝しつつ、運ばれてきた皿を覗いて、俺は絶句した。ついで、感謝の気持ちがスゥーッ、とフェードアウトしていった。


「すいません、この料理の品目はなんでしょうか?」


「豚肉のステーキに野菜を添えたものだが……どうした?」


「い、いや、どうしたも何も……」


 そこにあったのは、真っ黒な塊が二つ。

 なるほど……大きい塊が肉で、添えられているのが野菜か。いったいこれのどこにステーキの要素があるのか教えてほしい。その深淵のごとき黒さを誇った名状しがたいナニカは、白い皿の一部を黒く塗りつぶしたような、痛烈な存在感を放っている。


 肉汁なんて食欲をそそる物は無く、これだけ真っ黒にもかかわらず臭いもしない。

 試しにフォークで刺そうとしても、欠片ほどの弾力も無いそれが示す反応は、圧倒的な拒絶。抵抗ではなく、拒絶。

 あらゆる角度から試しても、フォークは刺さらず、何か硬質の物を削るような不快音を奏でながら前方へと滑ってゆく。


 対して、メルシェさんの皿をみれば、見た目からは判別の付かない物体が華麗に切り分けられていた。つまるところ、刺すのではなく、切れば良いらしい。

 しかし、手前にあるナイフを手に試してみれば、俺のナイフは刃毀れするだけ。


 どうなってんだよ、これ。

 丸焦げの肉が、アブソリュートかつテラーな心の壁を形成しているとでもいうのか。


「どうした、食べないのか?」


「その~、上手く切れなくてですね……」


「ああ、少しコツがいるんだ。貸してみろ」


 半ば強制的に皿を奪い、メルシェさんは暗黒物質を丁寧に食べやすい大きさに切り分けると、笑顔で返品してきた。そこはかとなく自決しろと、言われている気がしてならない。


 とはいえ、もう逃げ場は無くなってしまった。

 軽い深呼吸から決意を固め、いざ実食っ!


 三秒と経たずに吐き出した……


「げほっげほっ……な、なんだこれは」


 口いっぱいに広がる苦味、舌を蹂躙する痛み、噛み砕けない断片はひびすら入る気配が無い。

 肉の旨味はすべて削ぎ落とされ、残ったそれはただの消し炭。しかし、その硬度は増して、さながら苦味を凝縮した溶けない飴のようになっている。


 いくら一口サイズとはいえ、噛むという大前提を無視したこの食べ物をそのまま飲み込むことは叶わず。噛み砕けない以上、その逃げ道は吐き出すこと以外に無い。

 そして、その逃げ道を塞げば、おそらく舌が壊れるまで苦痛を与え続けることだろう。きっと、それは食用とは異なる使い道がある。


「やはり、ダメだったか……」


 俺の吐き出した様を見て、ボソッと独り言ちる諸悪の根源。


「おい、待て。どういうことだ、それは?」


 やはりって何だ。もしかしなくても、判ってて食わせたのか。


「すまないな。お前ならもしかしたらと思ったんだが……上手くいかないものだな」


「結果を語るよりも前に、考えることがあるでしょうに」


 毒にしろ、そうじゃないにしろ、劇物だと理解しながら、それを人体に盛るのはメシマズなんてレベルでは無い。ただの殺戮だ。


「私が料理すると、なぜか全部黒ずんでしまうんだ。何でなんだろうな……?」


「嘆くのは後にしろ」


 どこか遠くを見るような目をして、しれっと呟く食材を炭に変える能力者さん。さっきから敬語が外れてしまっていたが、もはや“さん”付けする必要もないかもしれない。

 ゴミを量産するその腕前を把握していながら、なぜ人様に振舞おうと思ったのか。心遣いどころか、隙に漬け込んだ悪意としか思えなくなってきたぞ。


「……とりあえず、これはゴミとして処理する方向で。それと、厨房使わせてもらっていいか?」


「それは構わないが、何をするつもりだ?」


 いやいや、そんなもん決まってんだろ。


「飯を作るんだよ」


 カーボンなんざ食ったら胃が壊れそうだ。

 たとえそうでなくとも、確実にもたれるだろうよ。


 そんなこんなでコンロやシンクなど、基本的な設備を使えるようにしてもらう。

 さっきの今で忘れていたが、水も火も全て魔力がないと使えない。正確には魔力を変換しているわけではないらしいが、その辺のレクチャーはまた今度だ。


 先ずは、備え付けの各種調味料はラベルの文字が読めないので、味を確認する。

 麻薬や青酸カリなんてことはなく、塩は塩、砂糖は砂糖だった。他にも胡椒や酢、マヨネーズにケチャップ、醤油と味噌らしきものまで完備している。

 お店とはいえ、ここまで揃っているということは地球と似たような文化水準なのかもしれない。言語といい、何かと共通点が多いのは不幸中の幸いといったところだろう。


 食材の方にも大した違いは無い。トマトなんか二本の見事な角が生えているが、日本でも奇異な形の野菜類を目にしたことは間々ある。食材は時に何か邪なモノをもたらすが、今更戸惑うこともない。


 先ずは命名、鬼トマトを洗ってから、スライスして塩を疎らに振る。

 渦巻きレタスは洗って、千切ればそれでいい。どこぞの素早いサボテンモンスターのような胡瓜は腕の部分を薄く斜めに切ってゆく。

 これらを器に盛って、軽くディティールを整えれば、手頃なサラダの完成となる。

 摘み食いをしたところ、どれもすこぶる美味しかった。それはもう呪われてるんじゃないかってぐらいに。


 ゆえに他に味を加えるかは当人に任せるとして、次はメインの豚もとい猪肉に塩と胡椒を振ってから焼いていく。まさか、こちらで初めて遭遇した存在を自らが調理するとは思わなかったが、正直なところ“ざまぁ”としか思えないので、容赦無くタンパク質を変化させていくとしよう。


 本当ならフランベとかやった方が美味く感じるのだろうが、今回は止めておいた。

 想定した味付けとは方向が異なるし、何より不慣れ極まる場所でやるには、些か以上に自信が無い。その昔、練習して家が惨事を迎えそうになったのは苦い思い出だ。


 適度に焼き目が付いたら、皿に移す。添え物にスパイラルレモンを使うなら、ソースに利用させてもらおう。漏れた肉汁と醤油、酢と摩り下ろした大根ブレードも加え、逐一味を確認しつつ、適当に混ぜれば、なんちゃって和風ソースの完成だ。 

 生粋の料理人からすれば、もっと拘るのだろうが、今回は空腹加減も限界に近い。それにいつもあの炭化料理を口にしているのなら、メルシェさんも文句は言わないはずだ。というか、言わせねぇよ。


「うし、出来上がりっと……」


 サラダとステーキとソース、それぞれが入った器を順次、メルシェさんの待つテーブルへと運んでいく。

 誰がどう見ても紛うこと無きステーキは自画自賛できるくらいに見栄えがいい。まあ、それほどまでに先の消し炭が酷かっただけなのだが……


 ある意味、あれも飯テロと言えるだろう。


「ほう、これはまた……予想外なものが出てきたな」


「ふっ、おあがりよっ!」


 グルメ漫画の主人公並みにドヤ顔で言ってみる。しかし、彼女は完全に料理に見入っていて、既に俺のことなど眼中になかった。


 一人、隔絶された世界に取り残されたようなこの空気。涙って、結構しょっぱいよね。


 そんな俺などお構いなしにメルシェさんは品定めをするように見回しては匂いを嗅ぐ。そのままどこか納得した顔付きでステーキを口に運んだ。

 途端、目を見開き、その表情を大きく変える。頬はほんのりと赤みを帯び、流行る気持ちが抑えられないかのように何度もその味を噛み締めていた。


「バカと変態は紙一重というやつか……」


「うん……きっと、そこには紙一枚分の境界線も無いと思うんだ」


「いやしかし、これなら……」


「聞けよ」


 恐ろしく取り違えた言葉を発しながらも、メルシェさんは無心に食べ続ける。どれだけ血迷った覚え方をしているんだ。

 しかし、いかにも手が止まらないといったようにフォークを動かし続けるのは、好意的に解釈してもいいだろう。ホッとしたような、寧ろ当然のような、言い知れぬ気持ちを胸に俺も食にありつく。


 とんだハプニングがあったが、なんだかんだ穏やかな夕食の時間を過ごした。


 ついでに言うと、あの豚野郎は中々に美味でございました。



 ◆



「さて、本題に入ろうか」


 大量の豚肉を出来る限り、腹に詰めたところで夕食は終わりを告げた。

 食器や調理器具を一通り“片付けさせられた”ところでメルシェさんがそう切り出してくる。


 本題……それが何を意味するのかはともかく、ドシッと腰を据えた彼女が醸し出す空気から、その話の程度も窺い知れる。要はここからが本番というわけだ。

 俺も俺でしっかりと座り直し、聞く体勢を整える。きっと先程の話よりもさらに重い話があるに違いない。


「この店のことなんだが……」


 そして、顔面からテーブルに突っ伏した。

 俺の覚悟もなんのその、話題は非常に軽そうなものだった。

 そう言えば、後で話すと言ってたな。でも、これは本題なのか? 


「どうした、バカみたいな顔をして? 只でさえ、変人なんだ……気を付けた方がいいぞ」


 忠告してくれるのは有り難いが、どんどん辛辣さを増している気がする。それも、時計の短針が動く度に酷くなっていっているレベルで。


 どうやら彼女の中で俺はもう完全にアホの子扱いらしい。出会いからまだ数時間でこの扱いは如何なものか。いや、出会い頭に拳骨噛まされている時点で、もう説得力がないんだけど。


「お前は今日、店が休みなのかと聞いたな? 答えはイエスだ。そもそもこの店はまだオープンしていない」


「そりゃ、店内も暗いはずだな」


 その割に機材等は一式揃っているようだが……

 まあ、気にしても仕方あるまい。きっと、思い立ったが吉日だったんだろう。


「それどころか、料理人や給仕はもとより食材の仕入れ先など、何一つ決まっていない状態だ」


「ぐだぐだ過ぎるだろ」


 あまり言えた立場に無いが、だいぶ酷いぞ。その状態でよく店のオーナーなんて名乗れたな。

 いや、決して間違ってはいないんだが、無性に切ない気がする。


「その点について言えることは何も無い。実際、その通りだからな……」


 そう言って、メルシェさんは一旦間を置いた。瞼を下し、深呼吸しているその面持は何かしらの決意をしているように見える。

 だからだろうか、再度開かれたその瞳に、力強い光が灯っていたように感じたのは。


 そして、彼女は俺に告げる。


「……だから、ニート。この店で、お前のその腕を振るってはくれないか?」


 俺氏、まさかのヘッドハンティング……

 いや、働いてないからハンティングもクソもなかった。

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