思い通りかは分からないけど、幕開け
「三年間ありがとうございました」
上ずって震える声があなたにちゃんと届きますように。
4月。快晴で、入学式に相応しい気候だろう。
深い水色の空に映える桜の花は、どれも綺麗に咲いている。
そんな自然も祝福しているような道を、今年度の新入生達が歩く。各々の友人と談笑しているのが目に入る。
アスファルトの地面をペタペタ踏みながら歩みを進めた。
私、八神亜季以外はね!と心の中で吐き捨てる。
話相手がいない訳ではない。母親である。
そう、中学校の時の友人は誰もいない。
1人だけ同じ中学校出身の人はいるが、異性かつ話したことすらない人だ。
せめてもの救いは、他校ではあるが、3人の知り合いがいることだろう。
自分で選んだ道であることを忘れてはいけないと思った亜季は
足元に視線を落とした。
黒く輝いている革靴がなぜだか虚しく感じさせる。
そんな亜季を横目に見た母親は、やはり心配なのだろう。
「…どうしたの?」
「…え?何でもないよ?」
心配されていると露ほども思っていない。
全然何でもなく無いんだけどね、と1番に思った。
軽くため息をこぼした瞬間。
「亜季ー!クラスの見た?」
横から高めの声が飛び込んで来た。反射的に驚く。
それの少しだけ後に茶色っぽい髪が揺れたのが見えた。
声の主を見た途端、亜季に安堵の表情が広がる。
「みなちゃん!見てないよ!良かった…寂しかった…」
周りの音に掻き消されない様にと、彼女なりに大きい声を出した。
それを聞いたみなも心なしか安心したような表情を見せた。
「ウチもまだ行ってないんだ、見に行かない?」
と二人で見に行くこととなった。
ちょっと待っててね、と母親に伝える。
嬉しそうに微笑んでいた。
友人がいたことが大きいのだろう。
同じクラスになれたら良いね!何て言い合っていた。
その数分後には絶望する。
全部で6組なので計6枚の紙が貼り出されていた。
順々に目を皿にして読む。
樋口みなの名前は1組の紙に載っていたので早々と見つけることが出来た。
しかし、亜季の名前は何度読んでも無い。
見つけたのは、3組の名簿だった。
更に追い討ちを掛けたのは、誰も知り合いがいないということだった。
他の二人の知り合いはというと、6組だった。卯月瑠奈、篠原泰葉と表記がある。
遠くを見るような目付きだったからか、みなが必死にフォローをする。
「でも高習熟だから良いじゃん!すごいよ!」
それを聞いたが、当の亜季は力無く笑い、
「うん、ありがとう…でもね…」
それ以降は何も言わなかった。
無機質な文字をただ眺めるだけであった。
暗い気持ちを圧し殺して、気持ちを持ち直した。
きっと友達くらいすぐ出来る!とこの時はまだ考えられていた。
お気に入りの腕時計を見ると、集合時間の10分程前だった。
「もう教室行く?」
「そうだね、そろそろ」
それぞれの親に伝えてから再び一緒に行動した。
少し早かったのか、下駄箱にはまだ靴をぱっと見て数えられる程しか入っていない。
校舎は少し古いが、何もかもが新鮮なものだと思える。
1組の教室は1階で、3組の教室は2階である。階段の下で二人は別れた。
「じゃあね」
と言った。
大きい声では無かったのだが、廊下の1番端まで響いたような気がした。
亜季は重い足取りでだが、教室まで歩いていった。
3組の教室は階段の手前の方に位置している。
教室には前方と後方にドアがある。両方とも解放されていた。ここは人間の性なのかもしれない。
迷わず後方のドアからひっそりと入っていった。
中には男子が既に何人かいたが、特には何の反応も無かった。黒板にはカラフルな「入学おめでとう」の字が踊っていた。
その黒板の端に少し申し訳なさそうに藁半紙が磁石で貼られている。
座席表である。
それを読んだ亜季の席は窓側で、心の中で小躍りした。
眠くなっちゃうけど、と思いながら幸せそうである。
荷物の整理をしていると、ぞくぞくと人が入ってきた。
それに構わず整理を続けていると亜季の視界に3人の姿が入った。
視界に入っただけでは無く、その場で足が止まり、互いの目が合う。
なぜか恐れおののいている亜季とは逆に、3人はにこにこしていた。
そして中央に立つ人が口を開いた。
「亜季ちゃん?」
その言葉に驚いているようだが、分かるに決まっている。
「あ、はい…」
少し挙動不審な亜季を3人は訝しげに見たが、また笑顔に戻った。
「初めまして!雨崎由良だよ、よろしくね!」
千裕です!舞です!と由良の両側に立っていた2人も名乗った。
ちょこんと手を挙げていて、親しみ易そうな印象を受けさせた。
「あ…はい…よろしく…」
亜季の絞り出す様な声でも聞き取れたらしい。
そして、また続々と色んな人に声を掛けに行った。
密かに感心していたのは言うまでも無いだろう。
驚きが1番大きい。
しかし、また違った感情が芽生えた。
何だかこれから3年間うまくいきそうだという根拠こそ無いが一種の自信。
単純に、話掛けてもらえたという喜び。
3つの感情が混ざっていたが、心の中は春の優しい色合いで
染まっているような気持ちだった。
そんな、自信と喜びの感情を抱いた時のこと。
亜季には見えないところで、桜の花びらが一枚散った。