SM
公園のベンチに座る、二人の若い男女は無表情であった。この二人は俗にいう恋人である。
梢が風に揺れる中、女性の方がへの字に曲げていた口を開く。
「マコトくんってさ。SかMどっち?」
「なんだい、レイコさん。藪から棒に」
「いや、この手の話ってよく会話で出てくるじゃない? だからふと、使ってみたくなったの」
「なるほど。確かによく聞くね。でも、僕、その聞き方ってあまり適切じゃないと思うんだよ」
「適切じゃない?」
「選択肢が足りない気がするんだ」
「ほうほう、じゃあ何て聞けば?」
「SかMかLって聞くね」
「それって飲み物の話よね」
「え、服のサイズの話じゃないの?」
「違うわよ。サドかマゾかって聞いてるの」
「あ、そうなの。いじめたいか、いじめられたいかってことだよね? うーん……」
「どうしたの?」
「僕って一体、どっちなんだろうと思って……」
「マコトくんはそうね……見た感じクールだからS寄りな気がするけど……」
「そうなのかな? 見た目と中身がかみ合わない場合もあるし」
「じゃあ、一度、Sっぽいクールな男性を演じてみて。それでしっくりきたのなら、きっとそれがマコトくんに合ってるんだろうと思うよ」
「なるほど。いいね。やってみよう」
「はい、じゃアクション」
「なぁ、レイコ……」
「なぁに、マコトくん」
「僕ってさ……冷え性なんだぜ?」
「え、うん」
「冬場には、手も足もストーブ無しではいられないほど冷たくなるんだ」
「そ、そうなの?」
「…………」
「…………」
「クールだろ?」
「ストップ」
「どうしたのさ、レイコさん」
「むしろコッチが聞きたいくらいよ、マコトくん」
「僕に落ち度があったのかい?」
「落ち度しかないわね。あなた、完全にクールを勘違いしてるわ」
「え、クールって冷たいってことでしょ?」
「いや、確かに単語的には合ってるわよ。けど物理的な冷たさは求めてないの。もっとこう、態度的なクールを求めているの」
「あ、そういうことだったの。分かった。なら、それで頑張ってみるよ」
「いい? はい、じゃアクション」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あの、マコトくん?」
「…………」
「もしもーし?」
「…………」
「えーっと、マコトくん?」
「……あのさ。話しかけないでくれる?」
「いや、でも、今デート中……」
「はぁ、何言ってるの?」
「え」
「そもそも君、誰さ。吐く息が臭いよ?」
「ストップ」
「ダメね」
「何がダメなんだい。今度はSっぽかったし、冷たい態度だったじゃないか」
「冷たすぎるわよ。あんな絶対零度に晒されたら凍死しちゃうわ」
「暖かければいいのかい?」
「冷たさを残しつつ、愛情と独占欲を持ってほしいのよ。そうすればきっといい感じになるから」
「難しいな。何とかやってみるよ」
「はい、じゃアクション」
「なぁ、レイコ……」
「なぁに、マコトくん」
「うぅ……」
「どうしたの、マコトくん?」
「さっきすれ違った男、君のことを見ていた。これはダメだよ」
「え、ダメなの?」
「だって君は僕のモノなんだ。誰にも渡しはしない。見るのだって許せない」
「おお、独占的じゃない……」
「うぅ……君に僕を刻みたい……」
「え、き、刻むって物騒ね。どうやって……?」
「油性ペンとかどう?」
「ストップ」
「私は小学生のハサミか」
「いい線いったと思うんだ」
「嫌いじゃなかったわよ。ただ最後の三割で台無しになっちゃっただけで」
「あれだね。半額シール一歩手前ってやつだね」
「うーん、よく分からない……それで実際、どうだった? マコトくんなりにSっぽい男性をやってみて」
「まだよくわからないなぁ。Mの方もやってみていいかい?」
「いいわよ。はい、じゃアクション」
「レイコさん」
「なぁに、マコトくん」
「ムチを買いにデパートにいきませんか?」
「すごいハシゴのつなぎ方ね」
「僕なりのアプローチさ」
「いやでも、デパートにムチなんて売ってないでしょ」
「そう言われればそうだね。じゃあ、殴ってください」
「おかしい。会話のつなぎがおかしいわ、マコトくん」
「あ、蹴りでもいいです。なんなら僕の背中に乗りますか、レイコ様」
「ストップ」
「ハードすぎるわ」
「Mと自称するならこれくらいは当たり前かと」
「ドMならね。ただ今は会話の中にあるM……ソフトなMの方なのよ。断じてハードコア方じゃないわ」
「えー、でもソフトMっぽい男性ってどんな感じさ」
「うーん……ちょっとオドオドして優柔不断なイメージ、かしらね」
「そういう感じか。なるほど。やってみるよ」
「はい、じゃアクション」
「レ、レイコさん」
「なぁに、マコトくん」
「あ、愛してる」
「え……あ、ありがとう」
「あ、いや、でもそれほどでもないなぁ」
「どっちなのよ」
「レ、レイコさん、本当にこんな僕と付き合ってくれていいのかい? 正直、君のこと好きじゃないけど……」
「なら何で付き合ったのよ。あ、いや、私はあなたのことが好きなの。あなたを誰にも渡したくない。だからお願い私の側を離れないで……」
「ありがとう。僕、レイコさんのこと好きになったよ」
「そう、よかった」
「いや、でもなぁ……」
「どうしたの?」
「やっぱ僕、レイコさんこと嫌いだわ」
「ストップ」
「情緒不安定か」
「優準不断な人の感情はすぐ変わるからね。ほら言うじゃないか。なんちゃらと秋の空ってね」
「変わりすぎよ。もはや異常気象じゃない。というかあなた、女性じゃないでしょ」
「どうすべきなんだい」
「そうね……もう少し、恥ずかしがり屋と無口の成分をいれるべきじゃないかしら。そうすれば受身の姿勢ができるはずだし……」
「なるほど。やってみよう」
「極端になりすぎないようにね。はい、じゃアクション」
「…………」
「…………」
「……え、えっと……その……レ、レイコさん……」
「なに、マコトくん」
「レ、レイコさんに話しかけちゃった……は、恥ずかしい……」
「いや、別に恥ずかしがることじゃないわよ」
「この恥ずかしさをとるためには……そうだ」
「何するの?」
「切腹しかないね」
「恥のそそぎ方が古風」
「レイコ殿、介錯はお頼み申す……」
「お断り申す」
「うむ。無口ゆえ辞世の句は白紙でいいだろう」
「せめて紙面では喋りなさいよ」
「では、レイコ殿。お達者で」
「ストップ」
「…………」
「言葉がなくとも君の気持ちが伝わってくるよ」
「……それでどうだっだ? かなり独特なSとMを体験したけれどれも」
「そうだなぁ。それぞれにしっくりくる点はあった。けれど――」
「けれど?」
「僕はLだ」
「服のサイズの話じゃない」
本日も彼らは平和である。