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思い出は菜の花畑の

作者: 天野 進志

 思い出は菜の花畑の



 連休に夫と三歳になる子どもと連れ立って、菜の花畑に行きました。

 道は混雑していましたが、家族で出かけられるのは嬉しいものです。

 予定よりも遅くそこに着くと、朝からずっと運転していた夫は「ちょっと疲れた」と車の中で少し休むと言います。

 私は、待ちきれずにはしゃぐ子どもと一緒に、先に車を出ました。

 そこは小さな黄色い菜の花がいっぱい咲いた、可愛らしい森のようでした。

 子どもが早速、蝶を見つけて追いかけます。

 「気をつけてねー」

 私の言葉も耳に入らないくらい走り回って、楽しそうです。

 やはり来てよかったと思いました。

 私たちと同じような家族連れ、恋人同士、夫婦。いろんな人たちが思い思いに歩いています。

 「おかあしゃん、これ、何ー?」

 子どもが小さな虫を捕まえ、私の所に戻ってきました。

 私は屈んで、子どもの手のひらの小さな虫を見てみました。

 その時、私の胸の扉がふわっと音を立てて開きました。



 私がまだ小学4年生の頃、クラスにとても面白い男の子がいました。

 その子は授業中でもよく冗談を言い、授業が終わってからもみんなを笑わせていました。

 4年生にもなると授業では、勉強以外のこともやるようになります。

 みんなで物語を作ってみたり、自己紹介を書いてみたりと。

 ところが私は家にいる時に、足の骨を折る怪我をしてしまいました。

 診断は4ヶ月の入院。

 私は病室で友だちが持ってきてくれる宿題をやることで、勉強に遅れないようにしていましたが、思いっきり遊べなかった辛さは今も忘れられません。

 ある時、友だちと先生が大きな紙束を抱えて、病室にやって来ました。

 それは先生がみんなに、私のためにお見舞いを書きましょうと言って書かせた画用紙の束でした。

 「教室でみんなが待ってるからね」

 そう言い残して先生と友だちは帰って行きました。

 私はみんながどんなことを書いてくれたのかどきどきしながら、それを一枚一枚読み始めました。

 その中に、あの子のお見舞いもありました。

 画用紙半分にもなる大きなナナホシテントウムシの絵と、「早く元気に」と言う言葉。

 そして

 『テントウムシの好きな女の子』

と、書かれていました。

 この言葉は私が自己紹介の授業の時に、自分で書いた言葉でした。

 その自己紹介は教室の壁に張り出して、みんなのも見られるようになっていました。

 私はあの子のものは覚えていなかったのに、あの子は私のものを読んで覚えていてくれたのです。

 私は誰のお見舞いよりも嬉しくて、恥ずかしくなりました。


 やがて足も治り、私は学校に戻りました。

 以来、私はその子とよく話すようになりました。

 学年が上がってもその子と同じクラスになった時は、少し嬉しかった。

 修学旅行のバスの中で近くになった時は、バスの中でふざけ合いました。


 そして6年生になり。小学生最後の2月。

 授業後、私はその子を階段の隅に呼び出して

 「これ、あげる」

と、生まれて初めて男の子にチョコレートを上げました。

 その子はもらえるとは思ってもみなかったのでしょう。

 すごく戸惑って私のチョコレートを受け取った後、

 「あ、ありがとう」

と、だけ言いました。

 私もそれ以上何も言わなかったし、聞きませんでした。

 いえ、出来なかったのです。

 私もチョコを上げるだけで精一杯だったのですから。

 それ以来、私はその子を強く意識するようになって話せなくなってしまいました。

 その子もまた、私を意識するようになったようで、お互いに何となく距離が出来てしまいました。

 そして時々、その子の視線を感じながらも、それでも何も起きることはなく、残りの日々はなくなっていきました。

 

 卒業して、中学、高校、大学。

 そしてー。

 その子との縁は、あのチョコレートで切れてしまいました。

 今、あの子はどうしているのでしょう。

 私の事、覚えていてくれるのかな。

 小学生の頃、好きだったあの子。

 たくさんの思い出が、胸の奥からこぼれてきます。



 「おかあしゃんっ、これは?」

 子どもが私を呼びました。

 私は思い出から子どもに目を移して、答えました。

 「これはね、てんとうむし、って言うのよ」

 「てんとむし?」

 「そう、てんとうむし。お母さんの大好きな虫さん」

 私はにっこりとうなずきました。

 そして、胸の奥の大切な扉をそっと閉めました。

 季節は移り変わっていきます。

 「てんとむしー」

 子どもが大きな声ではしゃぎ、菜の花畑に向って駈けて行きます。

 私は立ち上がって、子どもを追いかけました。

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