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「私と踊って下さいますか」
差し出された手に、リアロナは眉尻を下げる。
やはり、夜会は苦手だ。
一週間前、ヨーゼント公爵家から夜会にシグルドの婚約者として是非参加して欲しいと招待状が送られてきた。
夜会の会場はヨーゼント公爵家ではなく、ヨーゼント公爵家と縁のある別の公爵宅だった。
シグルドとリアロナが婚約したことを周知させる為だということは容易に考えられた。
そして今夜はその招待された夜会の日。
リアロナは夜会に参加している最中であった。
「申し訳ございませんが、私には婚約者の彼がおりますし、気分も優れないので」
婚約者がいる身であっても他の男性とダンスをすることは悪いことではないが、見知らぬ男性と踊ることはマナー違反。
勿論、出会いの場である夜会なので、婚約者のいない相手同士であれば寧ろ見知らぬ者同士が踊ることこそ意味がある。
リアロナに婚約者がいることを知った相手は知らずに誘ってしまったことを詫び、踵を返していった。
リアロナは近くにあったバルコニーへと出た。
人の多い場所は何だか息苦しくて、外の空気を吸いたいと思ったのだ。
季節は初夏。
夏の暑さが日に日に強くなりつつあるが、夜はまだひんやりと涼しい。
お酒でほんのりと火照った頬を少しだけ冷たい風が撫でる。
その気持ちよさを感じながら、同時に心の中にある不安がじわじわ溢れ、小さく溜め息を吐いた。
ここ最近、ヨーゼントの兄妹と上手くいっていない気がしていた。
ノウルはあまり一緒に話さなくなっていたし、以前は廊下ですれ違う時にも少しだけ立ち話をしたりすることがあったのに、最近ではごゆっくり、の一言で立ち去ってしまう。
忙しいのだろうと思うものの、何だか避けられているような気がしてならない。
フェリルに関しては目が合ってもふい、と逸らされてしまうし、何故か冷たい視線を受けることがしばしば。
肝心の婚約者であるシグルドとは話が続かず、お互い一緒にいながらも別々の趣味に没頭する。
彼は読書、リアロナは刺繍、といったように。
特に悪いことではなく、居心地の良い空間ではあるが、何とも進展の無さに淋しさを感じていた。
「ここにいたのか」
耳に届いた声に振り向けば、そこにはシグルドが立っていた。
夜会が始まる前、リアロナの家まで迎えにきたシグルドは丁寧にエスコートをしてこの夜会会場にやってきた。
その後暫くして、ダンスを一曲踊り終わると、他の公爵家の方々との挨拶を忙しそうにしていた。
最初はリアロナの紹介をしていたのだが、何やら難しい話をするとのことで、リアロナの側を離れていたのだ。
「少し、風にあたりたくて」
「確かに私も人が多いところは苦手だな」
リアロナの隣に立って夜空を見上げるシグルドの横顔を見つめる。
同じように思っていたことを嬉しく感じた。
視線に気付いたのか、こちらに向けるシグルドの視線から逃げるように前を向いた。
見つめていたことがバレてしまったことが恥ずかしい。
「リアロナ嬢、何か悩みごとでも?」
「え?」
「最近浮かない顔をしているから」
そんなに顔に出ていたのか、と申し訳なくなる。
シグルドの兄妹に避けられている気がすることと、シグルドとの仲を深められないことが悩みなので、それを本人に言うことは出来ない。
笑顔を作って、何でもありませんよと言えば、シグルドは本当か、と尋ねてくる。
ええ、と返せば、そうかとそこで会話は終わったが、何故かシグルドは悲しそうな表情をしていた。
どうしてシグルドがそんな顔をするのかわからない上、その表情はリアロナの心臓をキュッと掴むように痛めた。
だがもっと心臓を痛めることになるのは帰りの馬車の中であった。
向かい合わせで座るシグルドはどこか思い詰めたような表情をしており、リアロナは先程からそれが気になっていた。
悩みがあるのはシグルドの方じゃないかと聞こうと思うのだが、何だか声を掛け辛い。
沈黙を先に破ったのはシグルドだった。
「リアロナ嬢」
「はい?」
「今回の婚約はなかったことにしよう」
「……え?」
「きっと縁がなかったんだ」
少し歪な微笑みをするシグルドに違和感を感じたが、それよりも告げられた言葉にリアロナは頭を鈍器で殴られたようなショックを受けて言葉も出なかった。
無言でいるリアロナを肯定ととったのか、それではお元気で、とシグルドは馬車を出て行った。