前編
秋めいた日が続いていたのに、今日は急に夏に戻ったかのような暑さで、学校から帰ると私はすぐさま自室のエアコンボタンに手をかけた。
ほどなく快適な空間となった部屋で、ベッドに寝転がりながら、お菓子をつまみに本を読む。
なんとも至福のひととき。
「お姉ちゃん!」
けたたましい音でもってそれが突然に破られた。
勢いよく開けられたドアから、熱の篭った空気と共に妹――杏果が侵入してきた。
何事かと、私はベッドに寝転がったまま一瞥を投げたが、何も言わず本へと戻る。
何やらよく分からない決意のようなものを前面に押し出した顔をしている。なんか面倒くさそう。よって無視。
「お姉ちゃん、私の話を聞いて」
縋るような声を出されても知ったこっちゃない。冷たい? どんとこいだ。
それよりも。ドアが開きっぱなしなせいで、折角の冷えた空気がどんどん部屋から逃げていく。早くドア閉めて、ついでに自分の部屋に帰ってくれないだろうか。
「お姉ちゃん!!」
「ぅおっっ?!」
視界が強制的に反転させられた。
さっきまでうつ伏せだったはずなのに、どうやったのか綺麗に仰向けに変わっていたのだ。そして何故か、私の手首を掴み、顔の横あたりでベッドに縫い付ける杏果に馬乗りにされている。
馬鹿な! こんな早業ができる運動神経など持ち合わせていないはずなのに。
あ、本がベッドから滑り落ちた……変な風に折り目ついたらどうしてくれる。
睨んでやろうとしたはずなのに、強制的に視界に入り込んできた杏果を見た瞬間、それを忘れて顔が引き攣った。
何だか熱を孕んだような潤んだ瞳に、興奮しているのかいつもより紅潮している頬。近付く顔。上体を屈めたことで流れてきた背の中ほどまである艶やかな黒髪が私の頬にかかる。
くすぐったい。
じゃなくて! なんだこの誤解を招きそうなシチュエーションは!!
「ちょっ! 何してんの?! やめな!!」
「いやっ!」
「いや?! いやって何だ?!」
今家には母もいる。そして部屋のドアは未だに開け放たれたまま。
万が一にも母がやって来て私達の姿を目にしたら……母のことだ。ただの姉妹のじゃれ合いだと思うだろう。いやでもなんか色々とダメだ! 主に私の精神が!!
なんとか手だけでも抜け出そうともがくが、体重を乗せて押さえ付けられている為びくともしない。
「私やっぱりお姉ちゃんとじゃなきゃ嫌なの。だから!」
「どういう意味?! いや、待って。ちょっと落ち着こう!」
「私は落ち着いてるよ。だってずっと思ってたことだもん! 後はお姉ちゃんさえ頷いてくれれば」
「いやいやいや、落ち着いてないって。そうだ、まずはゆっくりと話を聞こうじゃないか! ね、そうしようっ」
「本当っ!」
一転、杏果は花が咲いたみたいな満面の笑顔を浮かべ、手首も開放してくれた。まだ馬乗りのまんまだけど。
別に強く握られていたわけではないし、痛くもないけど、何となく手首を擦る。何か言いしれぬ危機を感じたんだよ。怖かったよ。
そんな私を杏果は胸の前で手を組み、嬉しそうに見下ろしている。
いいから早く退いて欲しい……
「とりあえずこの態勢じゃ何もできないから退いて。それに、ドア開きっぱでエアコンが勿体ない。ちゃんと閉めてきて」
「……逃げたりしない?」
「どこによ?」
不安そうに小首を傾げてきたので、そう返すと、そそくさと私から降りてドアを閉めに行った。
その隙に私は体を起こして、本を救出してからベッドの上に座る。
2階のこの部屋に逃げ道なんかないだろうに。いや、窓から屋根伝いならいけるか? まあだからって実際にそれをやる人間はいないだろうけど。
「お願いがあるの」
あ、話を聞いてからお願いに進化した。
ていうか近い。なんで杏果までベッドの上に座ってるか、そしてなんで正座。
とは思ったけど言えない。なんか怖いから。
「とりあえず、何?」
「それは……」
逡巡するように杏果の視線が揺れる。だがすぐに決意を新たにしたようで、強い視線が向けられた。
ごくり、と私の喉が微かに鳴った。
「お姉ちゃん。お願い、私と一緒に魔法少女になって!」
「……………………は?」
たっぷり溜めた挙句、これしか言えなかった私は絶対に悪くない。
杏果は夢見る女の子だった。いやもう脳内お花畑と言っても過言ではないほどに。
『魔法少女になってみんなを守るの!』
幼児期の女の子の一定数が憧れる夢。しかしそれは年齢が上がるにつれ、現実という地に足を着けることで気恥ずかしい思い出となる夢――。
のはずなのに、杏果は一向にその夢が思い出になることはなかった。
金城鉄壁と言える夢は、私と母の再三にわたる諭しにも決して揺らぐことはなった。
過去私と母は首を捻った。
そもそも母は夢見るタイプではない。私もそれを受け継いでいて、幼児期ですら魔法少女に憧れたことはなかったのだ。
なのに何故?
そう思いながら杏果を諭していたある日。父がそれはもう微笑ましそうな顔で言ったのだ。
――素敵な夢だと思うよ、と。
父の遺伝子だった。
母も同じように驚愕していたので聞けば、空想的だとは思っていたがここまでとは思っていなかったとのこと。
そして、それなら仕方ないと母は容認した。いや諦めた。
とはいえ、それ以外のところではきちんと成長しているのが救いだった。
『魔法少女』という単語が与える周囲への影響を正しく理解しているらしく、家族以外にむやみやたらとその夢を口にすることはない。部屋だって、クローゼットの奥に、それに関連する物が慎ましやかに納まっている程度で、誰に見せても全く問題ないものになっている。
だが、だからこそ、何故その一点のみを信じ続けられるのかが甚だ疑問ではあるのだが……
未だその牙城を崩すこと能わず、杏果が高1になった今も現在進行形で夢は続いている。
「ごっこ遊びする年でもないでしょ。勘弁してよ」
私は腕を組み、足を組み、これみよがしに大きな溜息を吐く。
ちなみに杏果は床に移動させた。もちろん正座のまま。
だが私の言葉を受けても、見上げてくる瞳は全く揺らがない。ま、これはいつも通りなわけで。
「ごっこ遊びじゃなくて。本物の魔法少女になって欲しいの!」
「杏果、何度も言ったよね? この世界に魔法少女なんてものは存在しないの。あれは作り話、物語、フィクション。本物になんてなれないのよ。高1にもなった妹にこんな事言わなきゃいけないの、いい加減辛いんだけど」
「……ねえ、お姉ちゃん。この広い宇宙の中、私達よりもはるかに技術の進んだ生物がいてもおかしくないよね?」
全然いつも通りじゃなかったー!!
今までも色々反論してきたことはあったけど、返しに宇宙を持ち出してきたのは初めてだ。何この変化球。あれ? そういや魔法少女になる! はいつものことだけど、一緒になってってのは初めて言われた?
とりあえずそれは置いといて。改めて杏果の顔を見据える。
「今それ全然関係ないよね?」
「関係なくないよ。その技術を使って一瞬で服を着替えてみたり、何もないと思えるところから火を起こしてみたり。それって、そんな技術を知らない私達からしたら、もう魔法みたいなものじゃない?」
いやそれはこじつけだろう。一体どこでそんな知識拾ってきたのか。そんなことひとりで考え付くようなタイプじゃない。
私はもう一度、大きく溜息を落とした。
「仮にそうだとしても、今現在そんな宇宙人はいないし証明することはできない。ならそれはないのと同じよ」
「じゃあ、証明できたら一緒に魔法少女になってくれる?」
懸命に見返してくる杏果の瞳は澄んでいた。それはもう全てを信じきっているかのように。お願いだからもう少しでいい、濁ってくれないかな。将来が不安になるわ。
「いやなるわけないでしょ。それにね、杏果。大事なこと忘れてる。あんた今いくつよ?」
「15」
「そうよね? そして高校生なわけ。さすがに少女って名乗るのはもう苦しいわ。それを名乗れるのはよくて中学生まででしょ」
それ以前に、魔法の部分で苦しいとかイタイとかはこの際置いておく。
だがそんな私の言葉に杏果は打ち拉がれるどころかにっこりと笑い返してきた。
「なんだそんなことか。そもそも少女の年齢定義って辞書によっては18歳前後なんだよ? だからお姉ちゃんだってまだまだ少女なの。それに、少女って漢字で『おとめ』とも読めるよね。それだと未婚の女の人とか、処女の人も含まれるし。何の問題もないよ?」
「しょ…………」
私がしたのは一般論であって、辞書定義ではない。漢字表記とかなんだそれ。
腕組みが自然に解けて、手がこめかみに移動した。頭痛い。
そういえば杏果は別に頭が悪いわけではなかった。むしろそれなりに成績はいい。なのに、だから何で……
打ち拉がれたのは私の方だった。
「ねえ、だからお願い。お姉ちゃん、一緒に魔法少女になって!」
「だーかーらー! なっても何も魔法なんてないんだから無理でしょ」
結局ループか。
「じゃあ今から見せるから! だから、だから魔法があるって分かったらお姉ちゃんもなって!!」
「はぁっ?!」
ループと見せかけてぶっこんできた! 見せるって何だ?!
「杏果! それはダメだって言ったポコ!!」
…………………………ポコ?
杏果の声ではない。
甲高い、男の裏声みたい奇妙な声。そして沈黙。
時間が止まったような部屋の中で、エアコンの稼働音だけが響く。
「プレダ!」
たっぷり何拍もおいてから、慌てた声を挙げて杏果が下を向く。その視線を追い掛けてみると、正座する杏果の膝の上に何かがいた。
そして私に背中を向けていたそれは、半回転してこちらを向いた。
一見するとアヒルの子みたいな後ろ姿のやつは、だが全く未知なる生き物だった。
全身ふわふわの薄黄色い毛に覆われている。愛らしいお尻と小さな翼はまさにアヒルの子のそれ。しかし足はオレンジの水かき付鳥足ではなく、黒っぽい少しだけぷっくりとした楕円形。そして頭。なんだあれ? 一番近いのはハムスターだろうか?
なんかぬいぐるみみたいにも見える。
だがこれが絶妙に可愛くない。パーツの造形、配置さまざまな理由はあれど、やはり一番は瞳か。澄んだつぶらな瞳ならそれでも可愛かったかもしれない。なのになんだ。その酸いも甘いも噛み分けた、みたいな濁った瞳は。
「はじめましてポコ! ボクはプレダポコ」
体が錆びたようにうまく動かないので、その姿を観察しながら、何これ? とか、いつの間に? とか考えていると、謎生物が自己紹介してきた。
この状況でよどみなくとかコミュニケーションスキル高いな。そしてその語尾なんだ? まさかのツッコミ待ち?
大体濁った瞳をしてるくせに喋り方はマスコットキャラ的とか。何のまねだ。
「何……これ……?」
それをまるっと無視して、困ったような笑顔でその背中を撫でていた杏果に聞く。
「私に魔法少女になる力を授けてくれた子なの」
「ん? ん? なんて?」
「プレダのおかげで私魔法少女になれたの」
「…………ほおー…………」
頬を上気させて本当に嬉しそうな笑顔だね!
謎生物を見てみれば、こっちも笑顔で、さらに羽をパタパタと動かしていた。
うわーすごい! 全然可愛くないや!!
今すぐその首根っこを引っ掴んで窓から投げ捨てたい衝動を何とか押さえ込む。耐えろ私の腕。
こんなものがいきなり降ってきたら、外で健やかに遊ぶお子様が恐怖に泣き叫びかねない。
いや……まてよ。キモキャラブームの昨今。むしろ嬉々としてこれに群がる可能性も……。
押さえ込んだはずのものが再び蠢き私の腕を動かす。しかし敏感にその気配を察知したらしい杏果が、庇うようにそれを胸に掻き抱いた。ちっ。
「魔法少女の力は無闇に使っちゃダメでしょ。だから魔法を使わないで説得するっていう約束だったの」
「そうポコ。それなのに使おうとしちゃって、まったく杏果はドジだポコ。お陰でボクも姿を見せることになったポコ」
「だって、どうしてもお姉ちゃんと一緒になりたかったんだもん。そう言うならプレダが話してくれればよかったのに」
「前にも言ったポコ! 魔法少女を助けるボクの存在も、あんまり知られちゃダメなんだポコ」
「確かに聞いたけど……だってお姉ちゃんってばすごく頑固なんだもん!!」
「それは同感ポコ。まだ若いのに、桃果は思考の柔軟性がいまいち足りないポコ」
「ね、そうでしょ」
変な生物と妹がきゃっきゃうふふしてる。辛い。
ていうか知り合いでもないのに何勝手に人の名前を呼び捨てにしている。私は名乗っていないし、名を呼ぶことを許可した覚えもない。
それにこんな妹を持ったお陰で、私は17歳の平均よりは柔軟な思考をしている。目の前の規格外と比べないで欲しい。
杏果とキモキャラ生物が一頻り笑いあった後、私の腕は活動停止し半眼になっていた。
さて。と鷹揚に呟いたキモ(略)は、杏果の柔らかな腕の中から飛び出し私の膝の上へとやってきた。
「こうして姿を見られたからには、是非桃果にも助けて貰いたいポコ。まだ魔法を疑うならこの際見せてもいいポコ。だから、ボクとけいやぐっっ?!」
「お姉ちゃん?!」
完全に沈黙したと思われた私の腕が再起動した。暴走ではない。
台詞に破滅への片鱗が見えたのだ。気のせいだとしてもかまわない。みなまで言われておかしなフラグが立ってしまうよりは少ない犠牲だ。
そして今度は見事その首根っこを捕まえることに成功した。が、同時に杏果に私の足を掴まれた。しまった投げられない!
遠投練習を諦めて手の中のキモ(略)を目の高さまで持ち上げる。
だがキモ(略)は何故掴まれたのか分からないらしい。私の手の中で小首を傾げている。
フォルムだけなら愛らしいそれはしかし欠片も癒やし成分を含んでいなかった。やっぱりキ(略)
「いきなり何するポコ。びっくりするポコ」
「そっちこそいきなりおかしな事言わないで。見られたも何も勝手に人の前に出て来たのはそっちでしょ? 魔法も見せて貰わなくても結構。だから私を巻き込まないで」
「そんな! 憧れの魔法少女になれるチャンスを棒に振るポコ?!」
「私は一度も憧れた事ないから。ていうかそうよ。そもそも何で魔法少女なワケ? そしてあんたは何なのよ?」
「話したらなってくれるポコ?」
「なるわけないでしょ。でもあんたは人の妹をおかしな道に引き込んだんだから、家族である私に対して説明責任があるの。だからそれを果たしなさい」
「杏果は自分から望ん゛…………わかったポコ」
動揺して少しだけ手に力が入ってしまった。するとキモが説明すると私の手を羽で数回タップしたので離してやる。
あれ、今の羽の可動域おかしくないか? ……いやもうそんな瑣末な事は気にすまい。
キモは私の手がすぐには届かない、杏果の傍へと移動した。そして杏果はそんなキモの背を労るように撫でている。何となく納得いかない光景だ。
それから一呼吸して、キモは引き締めた顔を私へと向けた。
どこからともなく流れ出す音楽。これは……禿山の一夜?
「今、地球が狙われ、侵略されようとしているポコ。そしてボクは、それを阻止する為に来たポコ!」
「はいストップ。とりあえず音楽消そうか」
杏果の手元にあるスマホ。そしてそこに表示されているのはミュージックプレイヤーアプリ。もしやこれは父所蔵の音の魔術師たる異名を持つ指揮者のCDか! というかなんでそんな物を仕込んでるんだよ……魔術師か。魔術師だからか。
それにしてもいちいちこれでは話が進まない。
私は正面のふたりに近付き、肩に手を置き、目を見て、笑顔で、余計な演出をせず、端的に説明するようお願いした。
それに対して、何度も首を縦に振って了解してくれた。分かって貰えたようで何より。
それから話された内容は荒唐無稽な、でも魔法少女の物語としては王道な内容だった。




