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大きな三日月だ。昼間の太陽よりもずっと大きく見える。
私はなんだか少し、懐かしい気分になった。
昔みた絵本には、月がこんな風に大きく描かれていた。分からないことばかりだけど、ここはそういう世界なのかもしれない。つまり少年の家族は、この世界に閉じ込められているのだ。
そう思い、振り返ると、教室はどこも真っ暗だったけれど、その中に一つだけ明かりのついた窓を見つける。
行っても大丈夫だろうか。
と、考えるころには、私は再び校舎に足を踏み入れていた。
先程まで響いていた声はもう無く、月明かりがぼんやりとその静寂を照らす。
時計は見ていないが、恐らくあてにならないだろう。もうしばらくすれば朝が来て、そうなれば助け出せなくなる。
私は明かりの点いていた二階の奥の部屋に向かって走った。
校舎の真ん中の階段を上がると、奥の方で光が見えた。
よし、あそこに行けさえすれば――。
……ひそひそ……
はっと、私は立ち止まった。
…………ひそひそ……
……ケタケタ…………
声が、聞こえた。
そしてふわりと、わらわらと、人形たちは現れた。
月光に照らされた彼女らはつややかで、
いっそうゴムのようにしなやかで、
その眼はガラス玉のように光っている。
私はとにかく光が見えた方に走った。
行く手にはまだ他の人形があって、私はそれをよけて走るが、
駄目だ、ぶつかる!
ぐっと前のめりで私は立ち止まった。何かに触れた感覚は無い。
目を開けると、視界は、何かの容器の中のような――
私はそのまま見渡した。これは……人形の身体の中……?
脚があって、胸があって――、
見上げる。
腕がある。そして、首の上に、
ガラスのような眼球が、ぎょろりと身体の内側を向いていた。
跳び上がるように私は離れた。
しかし光る巨大な目は私の姿を捉え、ゆっくりとぎこちなく、近づいてくる。
「あ……ああ………」
もう、身がすくみあがって声が出ない。
逃げなきゃ。でも足をもつらせて、私は尻もちをついた。それでもずりずりと後退して、ついには壁に阻まれる。そして人形が、私の前で立ち止まった。
私は思わずぎゅっと目をつむった。
「あなた、大丈夫?」
「えっ?」
意外にも、彼女から発せられたのはそんな言葉だった。
「迷ったのかしら。どこか怪我はしていない?」
「い……いえ、大丈夫です」
「立てる?」
そう言って彼女は私に手を差し伸べた。月明かりの逆光で顔は見えない。
私はその手を取ろうと、手を伸ばす。
だが視界に入った腕は、人工樹脂のような無機的な立体は、
まぎれも無い、私の腕であった。
「いやっ!」私はその手を払いのけた。
「もう、どうしたの?」
人形が不満気な声を上げた。甲高く不自然な声を。
もう嫌だ!
壁を背に立ち上がると、脇にドアノブのようなものが見えた。
私はそれを無我夢中で回し、倒れ込むようにその中へ入った。
急いで戸を閉め、私は自分の腕を見る。ちゃんとしわが出来て、血が通っている。
良かった。
この部屋明らかに他とは異質に見える。
いいや、きっと今までが異質だったのだ。
奥の部屋の明かりに照らされて、薄汚れたキッチンとバズルームの戸が見える。
ここは――アパートの一室だろうか。
短い廊下を歩き、部屋に入ると、液晶画面を食い入るように見る一人の男がいた。
「――あの、」
声をかけると、男はびくりと動きを止め、驚いてこちらを振り向いた。
「き、君は? どうしてここに?」
男の顔は、やはりどこか少年に似ている。
それならここまで来て、私のすることは一つだ。
「私は、あなたを連れ出しに来たの。さあ早く、こんなところから出ましょう」
「なに?」男は更に目を丸くした。
「だって、ここにいたって何もならないから。それに家族の人が心配しているわ」
「いや……でも……」
そう口ごもって、男は立ち上がろうとしなかった。
しかし、もう時間が無い。
私は近づいて、男の手を引っ張る。
「とにかく出なきゃ。彼女たちの優しい言葉に惑わされなければ、きっと大丈夫だわ」
「え? ああ……そうかもしれないけど」
「怖ければ人形だと思えばいいの。だから大丈夫」
そう言うと男がようやく立ち上がる。
私はその手を引いて、急いで部屋から出た。
そして、視界はまた、真っ白な光で埋め尽くされていった。
その夜から一ヶ月が経った。
あれ以来、もう声は聞こえてこない。
例の部屋に住んでいた人は別の場所に引っ越したようだ。
噂によると、アパートに住んでいた男性は、
働き口を探しに実家に帰った、とのことだった。
しょーもない話で申し訳ありません……。
自分はアニメ声で話す女の子も良いと思います。