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最終電車

作者: だんぞう

 プァァァァァ!

 激しい警笛を鳴らしながら電車が目の前に滑り込んでくる。おおかた酔っ払いが白線の内側に下がってなかったのだろう。不注意な奴は死ぬまでその不注意が治らないのだ。運転手は事故が起きないよう気遣って親切心から鳴らしているというのに、中には怒り出すやつまで居る……ふらつきながら。

 ふぅ。

 この電車も、事故は起きなかったようだな。

 それにしても心臓に悪い音だ。

 深呼吸して時計を見る。暦の上ではもうすぐ明日。だけどまだ、最終電車どころか何本もの電車がこうしてこの駅に到着する。

 こんな時間に俺はホームのベンチに座り、通り過ぎる人々の流れを見送っていた。目の端では一人一人の姿や顔を注視しつつ、それでもぼんやりと考えていた。

 ……いいのかな、これで。

 いや、いいんだ。

 俺は電車が好きだ。その電車を、皆に嫌いになってほしくないし。

 向こう側の上りホームに停まっている電車がふと目に入る。

 小さい頃から電車が好きで、将来の夢は電車の運転手だった。いや、運転手には実際なれたんだ。

 だが俺が初めて一人での運転を任された日。

 俺の運転する電車が一人の青年を轢いてしまった。

 そいつは閉まっている踏切の中に無茶な入り方をして転び、固まった猫のように俺の顔を、目を、じっと見ていた。

 な、なんで、俺のことを見るんだよ!

 まるで俺を責めるみたいな目をしやがって。

 俺はちゃんと急ブレーキをかけたんだ……勝手に入り込んだのは、お前だろう? ……電車は急には止まれないんだよ……まだ若かったその男は、電車と線路の間でちりぢりに引き裂かれる最後の瞬間まで、ずっと俺の目を見つめていた。

 

 しばらくは運転どころか会社に行くことも出来なかった。

 何度も吐いては忘れようと必死になった……だがどうにも忘れることが出来ず酒に逃げる日々。

 それからの数年間はとにかくもうボロボロだ。あの事故のことを思い出すたびに体中が震える。やがて俺は酒を呑まないでいても体が震えるようになった。

 まったくのダメ人間だ。

 運がいいんだか悪いんだか俺の居た鉄道会社は同じように「ダメな」会社だったからね……失職だけはなんとか免れていた。

 そんなある日そんな俺の居たそんな会社が、民間企業となることが決定した。世間的にダメなままでは居られないらしく、国営というスタンスを維持できなくなったのだとか。

 それを知ったときも俺は病院のベッドの上だったから、もうてっきり切られるとばかり思ってた。見舞いに来た同僚だって首切候補の筆頭に俺の名前があるぜと教えてくれたっけ。

 そりゃそうだ。運転できない運転手なんて。

 しかし俺は切られなかった。腐りきっていた俺の元へ新しい配属通知が届いたのだ。

 配属通知。

 やけに白さが目立つ、四隅のエッジがぴんと立った封筒。開けてみても新しい会社名とか部署とか何も書いていない。怪しいことこの上ない。

 だが自分の現状を考えると、会社に見捨てられずに済んだということは素直に嬉しかった。

 どんな場所だったとしても頑張って働こう。どのみち運転手としての再起は出来る気がしない。

 退院した俺は早速その通知を持ち、指示された場所へと向かった。

 赤レンガに身を包んだ由緒も歴史もある駅。その輸送交通の要となるこの巨大な駅の地下に、その「新しい職場」はあったのだ。

 

 目立たない扉の向こう。コンクリ打ちっぱなしの細い狭い薄暗い地下通路を、時々階段を降りたり昇ったり降りたり降りたりしながら延々と歩き、ようやくその場所へと着く。

 通路の終点はアーチ型に抜けており、その向こうにちょっとしたホールのような部屋。殺風景なその部屋の中には頑丈そうな金属の扉がいくつも並ぶ。

 扉は全部で九つ。それぞれの扉にはそれぞれ漢数字で『壱』から『九』まで順番に番号が書かれていた。

 配属通知に書かれている番号は七番。『七』と書かれた扉をノックする。

 重厚なノック音。

「入りたまえ」

 中からの声に応えるべく重たい扉を開けると、さっきまで通ってきた通路よりも更に薄暗い小部屋。

 あれ? ……誰もいない?

 部屋の奥には大きめのテレビが壁にはめ込まれている。その画面は……これは……どこかの駅のホームが映っているのか?

 四分割された画面にはホームの端から端までの四箇所の映像がそれぞれ……さらに左下には小さく時間が……7:21……7:22……朝の通勤ラッシュの映像?

 脇には粗末なベッドと小さなテーブル。テーブルの上には何か乗っている。こっちは今の時間が表示されているデジタル時計と……あとは……

「ようこそ」

 突如、天井から声がして慌てて頭の上を見上げる。

 スピーカーが取り付けられていて、そこから声がするようだ。

「テーブルの上のマイクを胸元に着けたまえ」

 デジタル時計の横にあるクリップ付きの小型マイクがあった。

 言われるがままにそのクリップをシャツの襟に挟み込む。

「これでいいですか?」

「うむ。感度は良好だ」

 まったくわけが分からない。

 この駅にこんな部屋があることも知らなかったし……第一、何をするところなんだろう?

「……あの……ここは何をするところなんですか……」

「まずは慣れてもらう。仕事についてはそのうちに指示する」

「はあ……」

 なんとも不可解なことだ。慣れるっていってもなぁ……

 状況をよくのみこもうとするがどうにも分からないのは変わらない。仕方なく、ぼーっと駅のホームが映っている画面を眺める。

 改めて見るが、やっぱりこの駅のホームが映っているわけじゃない。

 ………………あ。

 しばらく眺めていると、どこの駅かは分かった。

 駅名は映りはしないのだが、そりゃ鉄道好きで運転手になったぐらいだからね。間違いない。各駅停車との乗換があるあの駅だ。

「これ、駅名を当てたりとかするんですか?」

 と、マイクに声をかけてみたものの特に返事はない。

 しばらく黙って見続けることに。

 ……これ……そのままダイレクトに映しているんじゃなく、朝晩の通勤時間帯……とても混雑している時間帯だけを編集して抜き出している様子。なんだろう。スリとか痴漢とかを探すのかな……

 

 その日から数週間は、その小部屋でぼんやりと過ごした。

 相変わらず何の指示もなく。何をするでもなく。ただ、じーっと、薄暗い部屋の中でぼーっとするだけ。することがないのと仕事内容が分からないのとで、駅のホームの通勤風景を眺めながら。

 あれからあの声が響いたのは、仕事については守秘義務を厳守することっていう内容ぐらい。

 そうそう。駅舎からそれほど遠くない場所に寮まで用意してもらえた。

 もっとも荷物なんて殆どなかったし、土日の二日かけただけで荷造りも引越し自体も荷解きもあっという間に終わってしまった。何度も入院ばかりだったから持ち物なんてあんまり持ってなかったし。

 しかし、ほとんどないのは俺の持ち物だけじゃなかった。この仕事にまつわる情報もまるでないまま。通勤の途中のあの細い路地でもあの扉がたくさんホールでも、寮ですら他の人に全く会わない毎日。

 扉、全部で九つもあるのに。

 そりゃ他の扉のこと調べてみたいって気持ちになるのもわかるよな?

 俺は間違えたフリして、隣の部屋の扉を開けようとしてみた。

 『六』の部屋。

 だが鍵がしっかりとかかっているのかびくりともしない。いや、あれ鍵がどーのこーのってレベルじゃあない。ノブ自体が回らなかったんだから。ひょっとして扉自体がニセモノ?

 もう一方の隣、『八』の部屋も試してみたが、こちらも全く開く気配がない。

 部屋の中から耳をあてて隣を探ってみたこともあった。

 おそらく分厚い、冷たさを含んだ壁。

 ……もちろん何も聞こえなかったけれどね。相当分厚い壁なんだろうな……そうでも思わないと寒気がしてくる。

 俺はいったい何してるんだろう。

 この「仕事」についてから、なんだか自分の存在感が希薄に感じられるようになってきた。それでも仕事の説明がないまま画面を眺める日々はまだ続く。

 画面には時間以外には他の表示はないのだが、朝の六時半から八時半、夜のほうは十九時から終電までの映像がみっちりと流れている。朝は上りホームの四箇所が、夜のは下りホームの四箇所の映像。

 トイレに行くとき、そしてランチタイムの時は画像を止めてよい。観終えたら帰ってよい。途中で休憩はどれだけ挟んでもよいが、全部観きるのがルールのようだ。

 トイレはあの長い通路の途中にあったが、食事はいったん駅構内まで戻らないと取れなかった。やがて俺は、通勤前にキヨスクで食事を買い込み、観ながらのランチを済ませることが多くなった。

 ずっと映像を見ているのは疲れるが、自分のペースで仕事が出来ることと週休二日という条件は俺にとってはありがたいものだった。

 やがて天気などの様子から、先週の平日五日間を観ているのだと気付く。不思議なもので、だんだん毎朝見る人々の顔を覚えてくるようになってきた。

 そうなってくると映像を観る疲れも随分と減った。

 いつも同じ時間にぴったり乗る人。時間はまちまちだけど乗る場所は同じ人。

 あの人は、いつもあそこで新聞を買う。

 この人は、いつもあの電車には間に合わない。

 あの人は、月曜日が仕事休みで。

 この人は、いつも終電の一本前。

 あ、あの男、いっつもあの女性のすぐ近くから乗るぞ……痴漢常習犯?

 そうやって個々の人々を「認識」した後は、より詳しく見えてくるものもある。

 風邪を引いているなとか、昨日徹夜をしたなとか、嬉しいことがあった人、哀しいことがあった人。

 いくつもの映画をオムニバスで観ている様に、交差する様々な物語を楽しみながら……幾分かは想像で補いながら。実際に人と触れ合っている気さえしてきたほど。

 

 そんなある日。

 また、突然に声がした。

「慣れてきたかね」

「……は! はい!」

 慌てて机の上のマイクを取り付ける。

「人々の背景が見えてきたかな?」

「は、はい……なんとなくですが……」

「では、君が株主様や、株主様の家族だな、と、感じる人を、報告してくれたまえ」

 声はゆっくりと、一語一語を区切りながら、静かに伝えた。

「? ……わ、わかりました」

 としか答えようがない。

 意図も不明のままだし、だいたい……どうやって……説明すりゃいいんだ。指差せばいいのかな。向こう側もこの画面に映っているものが見えているんだろうか。まあ時間と四分割のどれかまでは指定できるよな。

 まあいいや。そんなこと聞くのは見つけたあとで。とにかくやってみよう。

 それよりも、だ……。

 改めて「株主」という言葉を突きつけられると、何故か突き刺さる。

 かつて勤めていた会社は国営だった。それが、いまや、株式会社か……。

 いや「格が下がる」とかそういう風に考えていたわけじゃない。でも……なんとなく……言葉にできないやるせなさがあったのだ。

 時代に取り残されていく感じというか……普段、外界とは遮断されているようなものだから、なんとなく世間が動いているっていうのを感じさせられると、言葉にしにくい後味の悪さが残る。

 ……いや、気持ちを入れ替えよう。とにかくこの新しい仕事を行わなきゃ。

 株主……ってことは……お金持ちっぽい人を探せばいいのか?

 あ、そうか!

 新しく株式会社になったから株主を探しているのか?

 そうかそうか。株主ハンティング?

 なんだよ。俺の仕事ってけっこう重要じゃないか。そのことに気づいた途端に嬉しくなる。自分でも単純だなと苦笑する。

 お金をしっかり持ってそうな人……で、どうせなら育ちがよさそうな人を探せばいいんだな……我が社の新しい門出に相応しい人を!

 えーと。

 あの人なんか紳士っぽくていい感じだったな。

 あとはあの綺麗なお嬢さん。

 それと……いつも遅い時間に乗り換えするあの若者もいいスーツ着ていたからけっこう……

 

 それからの数日はこの仕事に移ってから、いや、あの事故以来、一番楽しく有意義な時間を過ごすことができた。何人かをピックアップして、マイクに特徴を吹き込む作業を行う。マイクの向こうの上司にちゃんと伝わっているかは分からないけれど。だいたいノルマ何人とかそれすらも全然わからなかったし。

 三日間かけ、これはと思う人を十人報告した。というより、十人目を報告したときにまた、あの声がしたのだ。

「ご苦労。これから一週間の特別休暇を与えよう。次はまた別の駅を見てもらう。ゆっくりリフレッシュしてくれたまえ」

 突然、時間が出来た。

 でも……何をしたらいいんだろう。

 ふと、自分を振り返る。

 何もない。

 あの時、あの事故に出遭ってから……恋人とも別れたし、田舎の家族とも連絡を取らなくなってしまった。

 自分が人殺しなのだと考えてしまってからは人の目がとても怖くなった。正直、警察官ですらも怖い。

 もう長いこと、かつての同僚とも顔を合わせてないし、そもそも俺って友達が少ないのかも……気にしたことなかったけれど……気がついたら場末のスナックで一人、酒を呑んでいた。

 自分の人生を振り返る……ろくなもんじゃなかったよ。

 あの時、人を轢いてしまいさえしなければ……

 何度も、忌まわしい呪いのように自分自身に浴びせた言葉。

 でもな。

 でも……俺が悪いわけじゃない。あいつが。

 勝手に飛び込んだあいつがいけないのに……でも……。

 久々の酒は、乾いていた俺の胃をあっという間に侵食し、もう何もかもどうでもよい気分がまた襲ってきた。

 そんな俺を救ったのは、俺が選んだあの十人だった。

 くさっている俺の前に幻覚のように現れた。

 前をちゃんと見ていて、日々を充実させながら生きている人たち。

 ずっと彼らを見つめ続けていた俺の記憶の中に、彼らのいきいきとした表情が見えた時、俺はお代わりをやめた。

 俺はもう、あの時の俺じゃない。

 新しい会社を支えているんだ。

 この俺が。

 そして俺の選んだ人々が支えてくれるんだ。この会社を。

 あはははは。

 自然に笑みがこぼれる。人事部長にでもなった気分だ。

 いいな。

 こういうのも。

 仕事に夢中になれる、っての。

 あの若者を思い出す。いいスーツを着て仕事の出来そうな若者。彼もいま夢中になって仕事をしているのかな。いつも遅くまで頑張ってる。株主になってくれたらいいなぁ。酔っているせいもあってか、俺は「あの駅」へと向かってしまった。

 ほんわりとした気持ちのまま電車を降りる。

 ここの駅は何度も通り過ぎたことがある。ただ、降りたことやホームに足を踏み入れることは初めて。

 俺、初めてなのか! すごく見慣れた駅になっちゃっているのに。

 独り、苦笑いを浮かべながらホームのベンチに腰掛けた。

 時間的には、終電にはまだまだ少しあるくらい。

 ……ああ、電車から降りて改札口に向かう人たちの顔のいくつもに見覚えがある。

 あの人とあの人は、ここで各駅停車に乗り換える……ほら!

 ぼんやりと座っているうちに、見慣れたスーツの……あの若者が降りてきた。

 そう、この人。いつかうちの株主になってくれるといいな。ここまで各駅停車で来るってことは……彼の職場は……あそこかあそこの駅あたりかな……

 特別快速がホームへと滑り込んでくる。

 彼はあれに乗り換えるはず……目で彼を追おうとしたその時だった。

 急ブレーキの音が俺の酔いを切り裂いた。

 

 一瞬、何があったか分からなかった。

 そして俺は理解した。

 あの若者が今、目の前に走りこんできた電車の下敷きになっていることを。

 電車は止まり時間をかけて復旧をする。時間がかかっているときは即死じゃないということ。

 手が震える。

 自分が轢いたわけじゃないのに、過去のあの、忌まわしい記憶が鮮明に蘇ってしまう。

 ああ。

 俺は……俺は……。

 彼を勝手に毎日、眺めていただけの俺。でも、彼にはなんとなく親しみを覚えていた。

 友人を急に亡くした気分。

 ……いや、まだ死んだって決まったわけじゃない……と自分に言い聞かせるのだが、気持ちが悪いのがどうにも止まらない……俺はそのまま改札を抜けた。

 寂しさと恐怖とが刃となり、ふりこのように交互に交差するその場所に、俺の心は縛り付けられている気分だった。

 どこかで酒を手に入れて……早く今のことを忘れたい……そうやって悪夢のぶり返す夜から隠れながら、酒の中へ沈んでいった。

 

 いつ寝たかは覚えてないが、目が覚めた時には電信柱にもたれかかるようにして寝ていた。

 頭が痛い。

 胃も痛い。

 キリキリと痛む体と心を抱えたまま辺りを見回す……朝か?

 電車の走る音。

 ああ、まだあの駅の近くに居たのか……出来ることなら昨日の内に遠ざかっておきたかった。

 ……帰ろう。今からでも遅くはない。帰ろう。

 陰鬱な気持ちを持ち上げるように起き上がり、再び改札をくぐった。

 今、何時だろう……時計を見る……だが時計よりも周囲を歩く人々の顔自体のほうが、より確実に今の時間を教えてくれる。

 もう『撮影』が始まっている時間だ。

 これから二時間くらいの間はずっと電車が混んでいる。特に予定もなく、ましてやこんな汚れた格好で満員電車には乗りたくない。

 俺はなんとかホームにまで辿りつくと、大海の漂流者が流木に身を委ねるように必死でベンチにしがみついた。

 景色がぐるぐると回る。

 ……俺は、何やってるんだ……。

 ぼんやりとこのホームを写すカメラを探す。俺が今あの部屋に居たら、こんな俺を眺めるのだろうか……あの部屋の俺はこんな俺をどう眺めるんだろう……ダメ人間に見えるだろうな……株主なんてもってのほかだ。

 そう。株主……昨日の若者のことが頭から離れない。

 ああ、どうして……俺は、ここに来てしまったんだろう……泣けてきた。

 そうやって痛みと涙の中ににじむ風景がまた、あの忌まわしい音で壊された。鼓膜が破れるんじゃないかってくらい軋んだうなり声をあげるブレーキの音。

 昨日も聞いた、このブレーキの音。同時に響く威嚇の警笛。

 一瞬、昨晩のあの瞬間へとタイムスリップしたのかとさえ思うほど。耳の奥にまだ別の軋みがこだましていた。

 ホームにアナウンスが鳴り響く。慌てた声。人身事故だ。

 思わず立ち上がる。

 周囲の「またかよ!」とか「昨日もあったわよね」とかいう怒りの混じった声をかきわけて階段を駆け上がる。

 ホームの端……入ってくる電車のスピードがまだ落ちきってない場所……向かいのホームからならよく見ることが出来るはず。

 階段を駆け下り、その事件の場所がよく見える場所へ。

 この場所から乗る人は……頭の中にいくつもの顔が浮かぶ……駅員が人を誘導しているその隙間から線路を覗き込んだ。

 ……ある意味、予想通りだった。最悪の予想だが。

 車輪と車輪の隙間から、線路と車体の間に巻き込まれた人物が見える。

 あの紳士だった……。

 友人をいきなり二人も亡くした気分。

 それなのにどうして周りの人々は怒っているのか……人が死んだんだぞ?

「お前ら!」

 自分の中から湧き出た怒声にしばし戸惑う。思わず大声を出してしまったのか。

 だが周囲はもっと戸惑っていた。もちろん野次馬連中は俺から距離を置く。だけどそれでいい。何が楽しくて人の傷ついてる様を眺めにわざわざ寄ってくるんだ……ハイエナどもめ。

 到着したレスキュー隊は、淡々と救助作業を始めている。

 ……そうだな。

 俺もここではこの野次馬と同じだ。

 舌打ちしてその場を去るしか出来なかった。

 寮に戻り、風呂に入り、それから疲れた体と心を休めるため布団につっぷした……その間もずっと、この信じられない一日のことが頭から離れない。

 気分を紛らわそうと天井を眺めていたら、そこにある染みのひとつが気になった。

 その染みは、じわじわと広がってゆくように感じる。

「そんなことはないだろ?」

 声に出してみる。

「その考えは、違うさ」

 声に出したのは、その自分の思考の中に生まれた「染み」を消し去りたかったから。

 ばかばかしいことだと自分自身に言い聞かせたかったから。

 でも。

 「染み」は俺の中に広がってゆく。

 昨晩から今朝にかけてのことが頭の中で回り始め、と同時に天井の染みも見つめれば見つめるほど大きくなる。

 ……やがてその染みは天井いっぱいに広がり、こらえきれなかのように俺の心の中にまで垂れてきた。

 染みがぽたぽたと俺の周囲を染めてゆく。俺の寝ている場所が不安の色に染まる。

 この呼吸している空気ですら、闇色の墨汁を混ぜられているみたいで。

 やがて俺自身をも、ひとつの色に染め抜いた。

 やっぱり偶然とは思えない。二人の死が、どうしても自分の報告に結びついてしまう。どうしても。

 どうしても。

 どうしても。

 どうしても、消し去れない。

 どこまでが妄想で、どこまでが本当で、どこまでが……俺が関係していることなのか……俺が運転手として轢き殺したあの青年の顔が浮かぶ。

 その顔が、あの若者の顔に変わり、紳士の顔にも変わる。

 ……俺なのか?

 俺のせいで、死んだのか?

 ……

 翌朝。

 仕事が休みとは聞いてはいたが、それでも確かめたくて職場へと急いだ。

 いつものあの陰鬱な長い通路を小走りに駆け抜ける。

 いつもの扉が並ぶ小ホールで……七番の扉に向かう途中、横目で他の部屋の扉が開きかけたのが見えた。わずかに迷ったあと、とにかくいったんいつものように七番の扉を開けた。

 部屋の中のマイクをひったくるなり俺は叫んだ。

「ど、どういことだ!」

 俺の声が震えている。なんで叫んでしまったのか分からない。直後にすぐさま後悔も生まれる。

 ……そうだよ。まだ、そうと決まったわけじゃないのに……というか、これ、向こうに聞こえているのか?

 だが、スピーカーからはあの声が流れてきた。しかもその内容は予想だにしていなかったものだった。

「君は優秀だよ!」

「……な、なんだと……?」

 テンションを一気に砕かれる。

「君の探しだした人材は実に素晴らしい!」

「……え? ……あの……あの報告の……?」

「うむ。彼等は、なかなかの資産を抱えた人材でね。君は人を見抜く力がある!」

「ど、どうもです」

 なんか……褒められているのか?

 でも……

「で、でも。昨日、事故で……」

「ほほう。君は確認しに行ったのか。なかなかに勉強熱心だ」

 その言葉がまた、俺の中の何かに火をつけた。

「確認って……! ……まさか? ……あんたらが!」

「我々が? 何か?」

「こここ、こ、こ殺したんだろ!」

 小さく咳払いが聞こえる。そしてあくまでもトーンの変わらない、いつもの冷めた声。

「事故だよ」

 無責任な響き。

 耳の中に何度もバウンドする。でも棘のついたボールのように耳の奥に跳ねるたびに俺の心に棘が刺さる。

「や、やっぱり! お前らが殺したんだ!」

「君が指名したばっかりに事故にあってしまったんだねぇ。可哀相に……」

 しらじらしい声を聞いたら、無性に腹が立ってきた。

「どうして……どうして人を殺しても平気なんだ!」

「君は適性があると思ったんだがね。既に経験があるだろう?」

 ……体中に漲っていた力が、怒りが、衝動が、その一言で全て霧散した……どういうことだ? いまなんて言った? ……経験?

 足の力が抜け、膝が床に音を立ててぶつかる。

 経験……殺し、の?

 そうだよ。俺は確かに「殺した」ことがある……い、いや違う。あれは事故だったんだ。俺のせいじゃない……。

「事故なんだよ」

 声はまた繰り返した。

「あの時の君も、今回の君も、もちろん我々も、手を下してはいない」

 その言葉を認めたくはなかったが、それでも自分の中の何かが、 それにすがろうとしているのを感じている。

「……じゃあ、誰が……」

「彼等は国民のために自らを犠牲にしてくれたのだよ」

「自らってそんなことはあるはず……」

「君ならわかるだろう? 最後まで見なかったのかい?……彼らは死んでないよ」

 死んでいない。そのコトバの真偽はともかく、ちょっとだけでも救われたと思った自分が情けない。

 だけど……だけどなにを言っているんだ……こいつは?

「さっきから聞いているとまるで死んでいてもらいたい、そんな口ぶりだね」

「ち、違う!」

「死なれてしまうとね、我々も困るんだよ。世の中には相続放棄っていう便利な決まりごともあってね。それを遺族に吹き込む輩も居るんだよ。けしからんことに」

 ……イカレてる……金を持っていそうなやつらを、殺さずに事故に巻き込みそして賠償金をふんだくる……?

「それが! 国営企業のすることかよ!」

「国だからこそ『できること』もあるのだよ。と……最早、国営ではないがね……さすがにこの部署を民間委託するわけにはいかなくてね。国の一機関として残された。もちろん収入は、補助金として民営化されたあの鉄道会社へと流れてゆく」

 声の言うことを理解すのには、少し時間がかかった。

 俺の勤めているのは……民営化されたあの会社ではなく、国? 国営って言った? え、どういうこと? 国が? 今回の事件を?

 頭の中が真っ白になった俺の記憶の中に、あの真っ白な封筒が浮かぶ。

 要領の得なかった配属通知……。

「なんで……なんで俺を巻き込んだ?!」

「ほら、君には素晴らしい適性があったじゃないか。優秀な錬金術師だよ」

 それ以上は聞いていたくなかった。マイクを投げ捨て外へ飛び出した。

 いまの、そしていままでの全てがにわかに信じられなくなる。

 俺は酔って……まだ幻覚を見ているのか?

 だが……さっきの声が、俺の中を、俺の内側を、蝕むように蠢いている。

 俺が。

 俺が、彼らを。

 彼らがあんなことになるきっかけを……生まれて初めて言われた『優秀』という言葉。

 こんなカタチで聞きたくはなかった。

 どうせ俺は人殺しだ。

 彼らが死んでいないにせよ、あれだけ酷い事故に巻き込まれたんなら相当な怪我をしている。あまつさえ賠償金まで吸い取られて……錬金術?

 ふざけるな!

 薄暗い通路の無機質なコンクリートの壁を力任せに殴る。鈍い音が俺の拳の中に響くだけ。

 ……どうして……どうしてその原因が俺……なんで、俺なんだよ。

 ギィィィ

 背後から音がして振り返る。

 だがそれと同じタイミングで扉が素早く閉められた。『四』番の扉だった。

 『四』という数字からは安易だけれど『死』という言葉を連想する。いままでしばらく通ったこの職場で、初めて開いているのを見た他の扉……まさか、あの二人を突き落とした実行犯が?

 さっきの声を思い出す。

「あの時の君も、今回の君も、もちろん我々も、手を下してはいない」

 それを信じたわけではなかった。絶対にやつらのはずなんだ。

 俺は急いで『四』の扉の前まで行く。そしてドアノブに手をかけた。

 ゾクリとする。

 異様に冷たい。

 ほんのわずかに触れただけなのに、その触れた手のひらから俺自身の体温が急激に吸い取られてゆくような恐怖に似た感覚。

 背中からぶるりと震え、思わずいったん手を離してしまう。

 深呼吸を何度かしてみるものの立ってしまったトリハダはおさまらない。

 いいのか? 開けるぞ?

 自身に三回確認して、それからまたドアノブへと手をかけた。

 ……冷たい。

 でも俺は、そのままガチャリとまわした。

 

 重たい扉。

 中は……広さは『七』の部屋と一緒。モニターも同じようにあり、あの駅が映っている……だけど。

 部屋の壁にはギッシリと御札が貼られていた。

 そして床には、何かの模様のようなものが描かれている……漫画の中に出てくるような、魔方陣のような。

 何よりも恐ろしかったのは、部屋の中に誰も居なかったこと。

 た、確かにさっき、この扉が開いたよね?

 全身が震える。部屋に一歩も踏み込む気になれない。

 俺はよろけながら必死に扉を閉めた。

 少しでも早く、遠く、この場を離れたくて、俺は壁を伝いながら通路を逃げた。

 いつものように薄暗いコンクリの細い通路。

 あの部屋はなんなんだ。

 なんなんだよ!

 すごく気になるのに、でも考えたくない。関わりたくない。そんな俺の視界がじわりとぼやける。

 ……俺は……泣いているのか?

 そのにじんだ視界の中に、景色が映る。

 あの、初めて一人で運転した路線の景色が。そして流れてゆく。あの時の景色が。

 この景色……ぐんぐんと近づいてくるあの場所が……もう、すぐだ。うなされて眠れない夜のプロローグとして幾度となく悪夢の中に観た景色。

 この景色からはいつも逃げることが出来ない。停まることも……轢くシーンを再び観るまでは。

 ああ。来た。

 青年が飛び出して。耳が痛くなるほどのリアリティで脳内に再生されるブレーキの音と警笛。

 青年と目が合って……

 見るな!

 見るな見るな見るな!

 俺じゃない……お前が、お前が勝手に……

 気付くとまだあの通路に居た。

 こんなところにしゃがみこんでいるなんて……『四』の部屋を思い出して俺は慌てて立ち上がり、急ぎ足でその場を去った。

 二つの異質な恐怖が、交互に俺に襲いかかる。

 得体の知れない部屋。そして、夜でもないのにあの幻覚を観るなんて……いよいよ俺も終わっている。

 あの時は、事故だ。仕方ない。

 ……でも……

 今回は、俺だ。

 今回のは……事故じゃない……むしろ陰謀……どうすりゃいいってんだ……

 マスコミに?

 でも信じてもらえるのか?

 運が悪ければ、俺が犯人扱いでおしまいってことだってあるよな……だって敵は国の一部なんだろ? ……警察だって奴らの仲間かもしれない。

 どうしよう……どうしたら……

 奴らに与えられた寮に戻る気にもなれず、俺はふらふらと街を彷徨った。

 

 ああ。

 何てことをしてしまったんだろう。

 俺は。

 何が出来るんだろう。

 俺に。

 壊れたレコードのように自分の中に繰り返し流れる問い。

 だが、答えは出ないまま。というか、自分の中に思考があったかどうかも怪しい。俺はただずっと、逃げ回っていただけだったんだ。

 どれだけ歩いただろうか……自分の影が少し伸びていることに気づいた。

 もうすぐ夕方か……

 ……夕方……

 夕方!

 帰りの通勤ラッシュの時間帯。また、やつらが「事故」を起こすかもしれない。

 そうだ。

 俺は行かなきゃ!

 救うんだ。俺が指定した他の人たちを!

 急に力が湧いてきた。俺に出来ることはまだある!

 駅まで走り出し、あの駅へと向かう。

 自分が選んだ人々。

 俺ならば、救うことが出来る! いや、俺にしか出来ない。

 行動パターンは分かっている。このくらいの時間だと……綺麗なお嬢さん……いつも女友達と二人で……居た!

 人ごみの流れを遡り、二人に近づいてゆく。

 彼女達よりホーム側に俺が割り込めば……彼女たちに近づこうとする。この混雑がもどかしい。

 動悸が、早く早く打ってゆく。

 時間の流れが随分とゆっくりに感じる。

 だがアナウンスはすらすらと電車の到着を告げる。

 もうすぐ電車がホームへと進入してきてしまう!

 急げ! 俺!

 人の流れに逆流する。

 意識だけが前へと行き、体はバランスを崩す。

 何かにつかまろうと無意識に伸びた手が……つかんだのは……そのお嬢さんの手だった。

 一瞬、彼女の表情がこわばる。

 しかし俺がすぐに手を放すと、「混んでますね」と微笑み行ってしまった。

 ……なんて、いい子なんだ……俺の見立ては間違ってない。恥ずかしさと嬉しさとが混ざった気持ちのまま、改札へつながる階段を上って行く彼女を見送る。ホッとしている間はない。あとは誰だっけ……

 俺の記憶の中にある「株主」候補の人たちのことを思い出しつつ、俺はずっとホームをうろうろしていた。

 

 プァァァァァ!

 

 警笛にビクっとして、目が覚める。

 ホームのベンチに座って休んでいたつもりが、いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。激しい音を立てて電車が目の前に滑り込んでくる。今日は事故は起きなかった。深呼吸して時計を見る。

 暦の上では、もう「明日」に。というか「今日」になってしまっていた。

 さっき時計を見たときはまだ「昨日」のままだったのに。

 ふぅ。

 ため息が出る。だけどまだだ。

 最終電車はまだ来ていないから。

 こんな時間だけれどいまだに、乗り降りする人の流れは少なくならない。「株主」候補……まだ一人残っていたような……あの人は最終電車のこともけっこう多いから、もう少しだけしっかり見ておかないと。

 次が何分後か確かめて、またベンチの方へと戻りはじめる。

 ……何やってるんだろう、俺。

 不意に胸に広がる焦燥感。

 いつだって目の前に問題がぶらさがると、それだけでいっぱいいっぱいになっちまう。また、ため息が出る。

 再びベンチへと崩れるように腰掛けた。

 ……いつまでやればいいんだろう。

 マスコミに伝えたほうがいいのだろうか。

 守りきれるのかな。

 それ以前に俺はもうクビだろうな。これからどうやって暮らしていけばいいんだろう。

 暗い考えばかり浮かんでは振り払っているうちに、再び電車が近づいてくる。ホームに流れるアナウンスが最終電車であることを告げる。

 終電か。

 俺は別にこれに乗らなくともいい。だけど。

 ……いったい……今日はどこに帰ればいいんだろう……

 立ち上がり、乗車位置を示すマークのところまで行く。

 俺は乗らない。

 けど。どこかへ、行きたかった。

 そのときだ。

 急に思い出した。

 あのスーツの若者。この場所は彼がいつも使っていた乗車口……各駅停車から快速へと乗り換えていた。

 その彼は今……

 ……気分が重くなる。なんで俺は……悔やんでも悔やみきれない。

 俺が選びさえしなければ……重たい気持ち。

 胃の中をぎりぎりと掻き毟るような辛い気持ち。

 しかし。

 何かが、おかしい。

 俺は気づいてしまった。

 その悪寒を、自分の内側からじゃなく外側から感じていることに。

 あの『四』の部屋で感じたのと同じ寒さが、俺を包む。

 嫌な雰囲気に吸い込まれるように、俺は線路を見た。

 というより、視線が勝手に、薄暗いレールとホームの間へと巻き取られた。

 何かが……

 え?

 なに? ……あれ、は?

 闇が、動いた?

 見間違いか? 確かにいまの自分はどうしょうもないほどに疲れている。

 だけど、自分でコントロールできない視線の先の闇がまた動いて……叫びたい気持ちなのに声も出ないことに気付く。

 闇……どろどろした……不定形の、塊?

 一瞬、目が霞んだんじゃないかと思ったくらい。でも俺は「それ」に魅入られた。

 「それ」もまるで俺を呼び込もうとするように体の一部を伸ばして……

 触手?

 するりと、刻が縮んだ。

 今まで味わったことのない恐怖が背中を抉る。本能的に体がすくむ。

 動けない。

 ……あの時、俺が轢いた青年も、こういう気分だったんだろうか……

 するすると伸びてきた「それ」の一部……黒い影が俺の足をつかむ。いくつもの指のような突起が影の中から次々と突き出しはじめ、幾重にも俺の脚にざわざわとしがみついてゆく。

 その、体が恐怖と絶望に支配された中で、俺は納得した。

 これか。

 これは、人じゃない……確かに「我々」ではない。

 ……これ? なんだ、これは……でもきっと、生きているもの、ではない。

 妙に冷静な自分が可笑しい。

 自分の脚が、ふらりと線路へと踏み出す。

 脚に巻きついた影は尚も引っ張り、俺は線路の上へ転落した。

 凄まじい金属音。ブレーキの音だ。同時に警笛。

 だが、あの距離であのスピード……もう、間に合わないのが分かる。

 影はいまや脚だけではなく、俺の下半身全てを覆っていた。

 やっぱり俺、妙に冷静だ。

 楽になれるのかもしれない、そう、本能的に感じたのかも。

 そうだ。

 せめて。

 俺は、運転手の目を、見つめないでおこう。

 ……なんとか目を閉じた。

 

 

 

 

 

【闇の中へ】


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