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第五話 お魚の仕事

「セリ見学?」

「セリは水産の花形だから、人目を惹くでしょう?それに現場の雰囲気を生で感じてもらった方が、そこで働くイメージがつかめるじゃない」


 新しく、新卒・中途採用のためにセリ見学会を開くことになった。営業部に募集をかけるのは何年かぶりで、もし採用が決まれば坂名の下に後輩がつくことになる。


「で、私たちが学生さんたちをご案内するの」

「…私もセリが見れるってことですか?」

「当たり前じゃない。むしろ解説できるようにならないとね」

「はぁ」


 セリが見れるんだ…。今朝の夢が正夢になりそうな気がした。今度はあたしはお客じゃなくて、案内人だけど。学生じゃないけど、わくわくする。セリの現場に入ったことなんて無いから。坂名が働いている姿を見れるんだ。


 お昼に新しく始める見学会の話を坂名にした。坂名は得意げな様子だった。


「それじゃあ張り切らないとなぁ。いつから?」

「募集は今週末からで、最初の見学会は来月の第一水曜日」


 やっぱり坂名の普段のしゃべり方はのんびりしていると思う。疑問だったので坂名に自分の仕事っぷりをどう思うか聞いてみたら、


「セリが始まるとスイッチはいるんだよねー。俺が声かけてもお客が振り向いてくれないと、魚たちが日の目を見ないからさ。責任重大」

「お魚のためにスイッチ入れるんだ」

「そう」

 

 ためらいも無く頷くんだから、この男は。とことんお魚第一主義、お魚のために命かける人間。それでいて波乗りが上手いのが許せない。あれが本命じゃないなんて、あたしはどうしたらいいわけ。


「現場は結構ショッキングかもなー…」

「ショッキング?」

「ま、来てみてのお楽しみってこと」


 坂名はニヤリと笑った。何がショッキングなのかは現場に行ってすぐにわかった。けど、笑顔で「お楽しみ」なんて言える坂名の気が知れない。あんたはお魚大好きなんじゃなかったの?




 見学会の前に、あたしと先輩は案内できるように事前にセリを見ておくことになった。ちゃんとスタッフ用のネームプレートを下げていたけど、格好は制服のままだった。低温市場と呼ばれるセリ会場は温度が5℃に保たれていて、制服だけじゃ寒いので、真冬用のコートを着込んで向かった。

あたしはてっきり、坂名は声かけをするだけが仕事だと思っていた。魚の入った発泡スチロールの箱をいくつも運んだりはするだろうけれど、それ以上の仕事をしているとは思わなかった。


「…慣れないと残酷ね」

「…ええ」


 全くだ。こんなに血なまぐさい現場だとは思わなかった。コンクリートの床は血だらけで、動き回っている皆も、あちこちに血をくっつけたエプロンをしてた。地が真っ白なだけに汚れや血が目立つ。同じような格好の人間の中に、血だらけの包丁を持った坂名が居た。言葉は交わさないけれど、目線があって、一瞬笑顔になった。あたしが居るのに気付いたようだった。

 市場には活魚も居る。生きたまま生簀に放っている魚で、注文に応じて、その場でしめる。しめて、血抜きをすると床は必然的に血だらけになる、においもする。手早くてきぱき作業をこなさないと鮮度は落ちるし、お客さんが入るまでに準備が間に合わない。網ですくって、台に乗せて、しめると魚は動かなくなる。死んでしまったのだから当たり前だ。すぐに血を抜いて、次のお魚をしめる。

 単純作業でも、そこで命のやり取りが行われている。ぴちぴち跳ねていたお魚があっという間に動かなくなる。日に何十、何百の命を売っているのがあたしたち。そんなこと、深く考えたことがなかった。お魚を売るのが当たり前すぎて、それが生き物で命ってことを忘れてた。

 お魚大好きの坂名が、平気な顔でお魚を殺している。その事実が怖い。ショッキングってこういうことなのかな。ましてあいつはお昼になると、朝は血だらけだった生簀のあたりでおにぎりを齧っていたりするんだ。朝の光景が蘇ってきたりはしないんだろうか。もう慣れているから、なんとも思わないんだろうか。


 仕事の邪魔にならないような見学ルートを練って、どのへんに参加者を集めたらいいかとか、細かいところまで打ち合わせをした。そのうちにやけに市場が静かになっていた。いつの間にか空調が停まっていたらしい。どうやらセリの間は空調が停められて、セリ人の声だけが響き渡る緊迫した世界になるみたいだった。声が響いた方が価格に間違いないだろうけど、静かになるとなんだか緊張した。こんな静けさの中で声が張れるんだろうか、坂名は。


 お客さんが徐々に会場に集まってた。テレビで見るのと同じだ。セリ人は何人か居る。一番のベテランはこの道三十年で確か名前は抜崎さんとか言ったような。トップバッターはその人でだった。坂名はというと、伝票の束を集めていた。血だらけのエプロンは脱いだみたいで、ぱっと見は小奇麗だった。続いてバインダーをめくりながら、お客と談笑し始めた坂名は、それだけでも仕事人とお客の関係をしっかり築いているように見えた。何を話しているのかまではわからなかったけど、もしかしたら相場とか魚の脂のノリとか、面白おかしくしゃべっているのかもしれなかった。お客の中には、あったかいコーヒーでも入っているのか、紙コップ片手に魚を眺めてる人も居る。それを見てたらあたしも何か飲みたくなってしまった。空調は停まったと言っても、ここの温度はおおよそ5℃なのだ。

もっと緊張するのかと思ったのに、談笑してたり、コーヒー飲んだりしてるから、結構ユルいのかなとも思った。でも単にユルいわけじゃないと思う。信頼関係ってこういう小さいことから作られるはずだから。誰だって仏頂面の人間から買うより、笑顔の人間から楽しく買うほうが気分がいいに決まっている。それが友達のような関係だったら尚いいんじゃないかと思う。だって、そっちの方が楽しそうだし。

そのうちにどこかから、小学校とか、教育テレビでしか聞かないような、童謡みたいなサウンドが流れてきた。続いて避難訓練のサイレンみたいな音。それを境に談笑はちょっと収まった。その上、坂名の顔つきが変わった。ああ、始まるんだなって思った。あたしは知らず、生唾を飲み込んでた。


 セリ開始は突然だった。何をしゃべっているかわからなかった。値段を言ってるらしいところはかろうじて聞き取れたけど、残り半分は何か音のような楽器のような、独特のリズムの声だった。大きな声だ。会場がコンクリートで出来てるからよく反響する。身体がしびれるくらいだった。すごい。すごいとしか形容できない。テレビとかこの間の夢とか、比べ物にならないくらいだ。

 お客さんの動きも俊敏で、サッと手があがる。高齢に見える人でもすばやい動きだ。あたしはあんなに早く手をあげられるだろうか。少なくとも学生時代にあんなにすばやく手を上げた経験は無い。


 先輩もあたし同様に雰囲気に圧倒されてるみたいだった。あたしたちはただ無言でセリを見つめていた。これを学生さんなり、中途さんなりが見たらきっと刺激になると思う。何か言いようのない説得性みたいなものがセリにはある。憧れの芸能人とか、有名人を目の当たりにしたときに似たような、心に湧き上がる感動がある。ミーハーだけど、こんなにカッコイイ仕事があったんだって、そう思った。

 坂名の出番が来たら、もっとすごいのかも知れない。すごいというのは感動の度合いってことで、惚れた欲目もあって、多分、惚れ直すかもしれないくらいにかっこいいんではなかろうかと思う。


「続きまして、」


 ビクッとした。声のトーンが変わったからだ。抜崎さんの出番は終わったみたいで、次は坂名がしゃべっていた。坂名にとってはこれが日常で、これで食べているのだから、あたしが心配する必要はないんだろうけど、まるで授業参観中のお母さんみたいな心地で、といってもお母さんになった経験はないから全くの想像だけど、それくらいの緊張度で、ハラハラと坂名がしゃべる姿を見ていた。あまりにドキドキして心臓が痛い。思わず右手で胸を押さえた。とにかく上手くいきますように。


 始まったら、それはあっという間の出来事だった。実際セリの時間は全部で二時間くらいだ。そのうち坂名が担当したのは三十分かその辺で、体感時間的には五分とか、そのくらいに感じられた。あっという間に終わって、感想なんてすごいしかない。抜崎さんのようにすばやくはなかったけれど、坂名も同じようなリズムで、早口言葉かっ!ってくらいのスピードでしゃべっていた。あたしには無理だ。スイッチが入るってホントだ。これは本当に坂名だろうかと、途中で疑問になったから。

 途中といえば、合いの手みたいな言葉が入るのも面白い。相場近くになるとあんまり値段は下げられないから、ちょっとでもお客さんの気を惹くために、お得さを述べてみたりとか豆知識のようなものを交えてしゃべる。それも同じようにリズミカルだ。落語家のしゃべりにも似ているかもしれない。

 台本を読んでいるわけでもないのに、ぽんぽんとよくしゃべるものだ。よほど日頃からお魚知識を身に着けたり、お客さんと話していないと出来なさそうな仕事だ。その点、坂名は趣味と仕事を兼ね備えているだろうから、つくづく幸せな仕事をやっているやつなんだろう。

 自分が頑張らないと、お魚が日の目を見ない。危機感とかプレッシャーとか、いろいろ混ざった気持ちなんだろうか。夢で見た坂名の目は真剣で、まさに射抜くような瞳だった。けれど現実の坂名はそれ以上で、射抜くどころか射殺されるような目だった。普段から眼光は鋭いけど、今は怖いくらいだ。かといってお客さんに引かれるようなことはなくて、みんな興味津々って感じで坂名の周りに集まっている。それがとても嬉しかった。




 言うとおり、現場はショッキングだった。あらゆる意味でショッキングだった。あたしは自分がとても無自覚に生きていると自覚した。あたしは働くのはお金のためって思っていたけど、本当はそんな志でお魚を売ったりしちゃいけないんだ。お魚が何のために殺されて、誰がどうやって買い付けて、どこへ売られて、どうやってあたしの元にたどり着くのか、一から理解してこそだったんだ。


「どうだった?」

「………ショックだった」


 お昼に坂名がそう聞いてきた。あたしは思ったことを素直に言った。とにかくショックだった。


「でもわかんない」

「何が?」


 いつもの坂名に戻った坂名は、比較的のんびりしたしゃべりだ。あれがこうなるのも信じがたい、かっこよさではあっちのが何倍も上だ。けど、こっちの方があたしは好き。セリの坂名はちょっと怖い。

 わからないというのは、坂名がお魚好きなのに、どうして今の仕事をしてるのかってことだった。好きで愛しているなら、水族館の飼育員とか、そっちの方がいいんじゃないかと思う。

 そう言ったら、坂名は考えるように目線を上にあげた。あげてしばらく考え込んで、口を開いた。


「好きだから、他の人間に任せられないなーって思うよ。どうせ殺されるなら上手い殺し方してくれたほうがいいじゃん。病院の採血とかとおんなじ心理?実際魚がどう思うのかは想像でしかわからないけどさ。セリも同じ、できるなら高く売ってあげたいから、だから俺は頑張る」

「……お魚食べないなんて、人間世界じゃありえないしね」

「そうそう。水族館はかわいがってもらえるから、俺じゃなくても大丈夫。でも殺すのも売るのも下手なやつには任せられない。って、俺もまだまだだけどね」


 坂名はニヤッと笑った。でも勝ち誇った笑みじゃなかった。苦笑が混じったような情けない笑みだった。申し訳ないとでも言いたそうだった。

 多分、坂名は殺されて運ばれてくるお魚が放っておけないんだろう。水揚げされたお魚たちは生き返りはしない。だから命の代償に、自分が頑張って精一杯のことをして送り出す。結果として誰かが喜んでお魚を食べてくれれば大成功。

 好きだからこそ。どうしてお魚に惹かれるのか、根本的なことはわからないけど、あたしだって、どうして坂名に惹かれるのか、理由がわからないからそれと同じなのかもしれない。なんとなく目が向いてしまう、心がうきうきして仕方ないんだ。


「…じゃあ、生簀の前でおにぎり食べるのはなんで?殺しの現場だよ?」

「あれは弔いっていうか、仏壇にお供え物あげる心理?今日もごくろうさんって感じだ」

「…なんか、妙に割り切ってるわよね」

「そうかなー…?」


 ぽやーんって擬態語が付きそうなくらいふわふわした言い方だった。これで居てセリではあの気迫だ。詐欺にも近い。

 あたしはしばらく、お料理で魚を捌ける自信がなかった。包丁と生魚を見ると、血みどろの市場が思い浮かぶからだ。


「目指すはサカナクンだよね」

「ええ…?ハコフグの帽子は止めてよ……?」


 予想通り、お魚おバカに惚れ直したあたしは、そのうちにお魚への嫉妬を再開し、春に愚痴をこぼすのだった。

 最後まで読んで頂きありがとうございました。

 市場の様子は聞きかじった知識で想像して書いております。あくまでフィクションということで……。

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