第一話 坂名とあたし
坂名は海好きの男だった。初めて会ったとき、海の話で意気投合した。波の話はもちろんのこと、黒潮の話とか、水温の話もしたし、海岸に流れ着く漂流物の話とか、あの海岸って混んでるよねとか、釣りをするならあそこが穴場だとか、自分しか知らないお得情報までいつの間にかしゃべってた。
あたしは波乗りが好きだった。大波を捌くのが快感で、他のサーファーが次々波に飲まれていく中、一人颯爽と波に乗ってる瞬間が大好きだった。
坂名もまた波乗りをする人間だった。あいつは波に乗らせたらすごく絵になるやつだった。何であんなに爽やかなんだ ろう、何であんなに上手いんだろう、どうして人の目を惹きつけるんだろう、考えてもわからないけど、あいつに目を向けない人間は、あたしが見た中では一人も居やしなかった。だから悔しくて、あたしはあいつにくっつきながら、盗める技術は全部盗んだ。自分も目立ちたくて仕方なかった。何度も何度も、数え切れないくらい一緒に波に乗った。乗りながらあたしはいつでもあいつをライバル視してた。どうにかあいつを負かしてやろうと、そればっかり考えてた。
いつだったか、あいつが珍しく波に飲まれて、あたしだけが最後まで捌けたときがあった。勝ったと思った瞬間だった。けどあいつは、そんなことは全く気にした素振りもなくて、すごいとかよく乗れたなとか、そんな言葉はくれたけど、悔しがる様子が全然なかった。
なんで悔しくないんだろう。負けたのはたったの一回だから、まぐれに違いないとでも思っているのだろうか。せっかく勝てたのに、全然嬉しくなかった。ニコニコ笑って、また来ようとか言うあいつにむかついて仕方なかった。
でもどこかで、あたしはあいつに惹かれてしょうがなかった。そんな自分があたしは嫌いだった。ライバルに惚れてるなんて、悔しくてたまらなかった。しかも最悪なことに、惚れてるのはあたしだけだった。あいつは掃いて捨てるほど女が寄ってくる男で、その中の一人でしかない自分が、恥ずかしくて嫌だった。あいつにはあたしに対する恋愛感情なんて欠片もないってわかってた。だって、あいつが心から愛するものは、すでに決まっていたからだ。
「俺と結婚するってことは、魚と結婚するってことだ」
去年の暮れ、坂名にしつこく付きまとった女が居た。それは嫌がらせにも近いくらい、しつこくしつこく、付き合ってとか、愛してるとか、結婚してなんて言葉を言い続けてた。あたしはその女と坂名とのやり取りを間近で見ていたので、どれだけしつこかったかは嫌と言うほどわかってた。坂名本人はしつこい女にも親切で、毎回丁寧すぎるくらいにやんわりとお断りをしてた。あたしだったらいい加減にしろっ!!って怒鳴ったに違いない場面でも、あいつはニコニコしながらやんわりと、でも確かに、想いには拒否をしていた。
ついには家とか職場にまで女が顔を出すようになって、ようやく坂名も女と関わり合いになりたくないと思ったのか、真面目に、そんなことを言い放った。
「は?」
「だから、俺イコール魚なんだ。魚そのものに愛を感じてくれないと、俺とは合わないと思う」
「………魚は、好きよ。よく食べるし」
「食べる以外にも、愛を感じてくれないと困る」
「愛って…?」
「いっそ魚になりたいとか、魚がどんな気持ちで泳いでるかとか、真剣に考えて欲しい」
大真面目にそんなことを言ったらしい。あたしは後から、坂名本人に話を聞いて、飽きれて仕方なかった。




