初期設定で魅力値を最大にしてから嫌われ悪役令嬢に転生してしまったようです
気分で書いたのでおかしいところがあるかもしれません。
誤字脱字などは報告してくださると良いです。
感想などもよろしくお願いします。
ではでは、楽しんでくだされ。
ピピピーーピピッーー。
ピーー。
【起動を確認しました。ソフトの差し込みを確認しました。ソフト『星降る夜に願いを届けよう』を起動します】
・・・ーーー
『ようこそ!星降る夜に願いを届けよう~没入版~へ!キャラクター初期設定を行ってください』
天音は視線の前に映る色々な数値が書かれている画面を一瞥した後、辺りを見渡した。パステルカラーに包まれたその空間に彼女は浮かんでいた。白い光のようなものがひらひらと宙を舞い、可愛い雰囲気を作り出している。
没入型ゲーム機でなく、普通のゲーム機で遊んだ時、こんなものは存在しなかった。乙女ゲームなので主人公は最初から決まっており、キャラクターの初期設定などという概念はない。
没入型はどうやらキャラクリの要素があるみたいだ。
そういえばこのゲームの没入型の紹介サイトを見た時、初期設定値によりセリフが変わったりするというのを彼女は思い出した。そのための設定か、と彼女は心の中で頷く。
様々なカテゴリーがある中で、彼女は魅力値に目をつけた。
とりあえず今回は魅力値を極限まで上げ、2回目を遊ぶ時に別の値を極限まで上げてセリフの違いを試せばいい。そうやってゆっくりと全てのセリフを回収していくのだ。
彼女は指を魅力値のところに当て、上に滑らせると魅力値にポイントが振り分けられる。上限である10ポイントを振り分けたところで、彼女は完了というボタンを押した。押した直後、彼女はふと指を止める。
自分の名前入力の場所がなかったような?
『ステータスの入力を確認しました。それではゲームをお楽しみくだ・・ーー、〇:×▽サ××◇%”;≒』
機械の音が割れ、説明が途切れた。
途端に周りの景色がパステルカラーから赤色に変わる。真っ赤な視界に天音は体を震わせたが、すぐに冷静になり一旦ログアウトして状況を整理しようと考えた。
ログアウト画面はログアウトしたいと念じた後に目の前に出てくる。説明書にはそう書かれていた。
だが、彼女がどう心の中から願ってもログアウト画面は現れない。
ログアウトできないという恐怖が彼女の冷静さを上書する。
恐慌が限界に達しそうなところで、彼女の目の前に文字が現れた。赤い空間の中で、読みやすい白色の文字は嫌でも視線を引く。
『これから異世界に転生されます。転生まで3…………2………』
♦♦
「ゲㇹ!ゴホッ!」
喉が熱い感覚がして天音は我に返る。彼女が一番先に目に映したのはほっそりとした手が握っているワイングラスだった。中には赤黒いワインがゆらゆらと月光に当てられ輝いている。ワイングラスの縁から薄赤色の雫がグラスの外側を下になぞり落ちていった。
彼女の口の中もワインの味が広がっている。
辺りを見渡すと、彼女はベランダのような場所に立っていた。建物は西洋の宮殿を連想させるような豪華さがあり、どの角度から見ても圧倒されてしまう。
現代社会のコンクリートボックスたちとは大違いだ。ここはベランダの支柱ですら丁寧にデザインが彫られている。
彼女は自分が着ている服にも目線を落とした。現代でこんな服を着ていたら変に見られるに違いないと確信できる赤いドレスに身を包まれている。ところどころにルビーとパールが施され、夜の光にキラキラと美しく輝いていた。
「………」
天音は一度目を瞑って大きく息をする。
ここはどこ彼女は誰どうしてここにいるの本当に意味が分からないあのゲームはどうなったの誰も助けてくれないのこれも全部ゲームの設定それとも本当に異世界に飛ばされてしまったとかなのというかどうして彼女がこんな目に遭わなければいけないのふざけるな家に帰らせろ。
手すりに乗っている彼女の手の小指が何かに当る。そのままそれを手に取って見ると、それは白地にオパールが目の周りに程よく散りばめられている仮面だった。誰にでもわかるぐらい綺麗に装飾されていて、汚い箇所が一つも見つからない。
この美しい仮面は、彼女のものなのだろうか。
そんなことを考えていると、外から誰かの足音がした。反射的に彼女はその仮面を顔に取り付ける。仮面は顔にフィットする上に、なぜか被っている時の方が被らない時よりもしっくりとくる感覚があった。
「アマネリス様、こちらにいらっしゃいましたか。大広間でリアム殿下がお探しです」
アマネリス?
天音は首を傾げた。
はて、どこかで聞いたことあるような。それにリアムって言葉も妙に聞き覚えが…。
なんて悩む必要なんてない。天音は目の前の従者を知っている。リアムの右腕で、グスタフという名前だ。
そしてリアム王太子…にアマネリス侯爵令嬢。
彼女は間違いなく『星降る夜に願いを届けよう』の世界にいる。だが、主人公としてではなく悪役令嬢アマネリスとして。
天音はゆっくりとため息をつく。そして持っているワインをグスタフに伸ばした。彼はそれを一礼して受け取る。彼はあともう少しで飲み終わりそうなワインを一瞥した。
天音もそのワインを必要以上に見つめる。
従者も連れずにベランダで一人酒を飲んでいる時点で察するはずだった。アマネリスは最初からわかっていたのだ、これから大広間で何をされるのか。天音という記憶からではない。これはアマネリス自身がたどり着いた考えだ。
アマネリスは決して馬鹿ではない。むしろその逆だ。侯爵として教養というのは幼少期から叩き込まれていた。加え、王太子妃となることが子供の時に定められてから彼女の教育の量は更に増えている。
グスタフの冷たい目線を横目に、彼女はヒールを履いた足を一歩一歩前に出した。
踏み込むごとに彼女の足に痛みが走る。
誰も、彼女の靴擦れになんて興味ない。誰も彼女を助けるようなことはしないのだろう。
豪華なシャンデリアが並んでいる廊下を彼女はドレスの生地を掴みながらコトコトと歩く。できるだけ自分の足が発している痛みを隠しながら。
人が多くいるところではなおさら弱い態度は取れない。
例え涙が出るほど痛くても。
大きな扉の前にいる衛兵がグスタフと同じような冷たい視線を彼女に向ける。彼女もそれらの視線には慣れていた。
そういえばアマネリスはいつからこのような冷たい態度を取られていたのだろうか。彼女が皆に嫌われ始めたのは平民でゲームの主人公であるリースが登場してからのような気がする。
リースが登場する前まで、アマネリスが嫌われたなんて情報は天音の脳内には存在しない。
嫉妬からだろうか?いや、妃教育を受けているぐらいのアマネリスがそんなことでリースをいじめるようなことはしないはずだ。やったとしても、うまく隠すだろう。
そんなことを考えているうちに大広間への扉が衛兵によって開かれた。廊下よりも一層明るい部屋が彼女を歓迎する。仮面のおかげか、光の眩しさは多少抑えられた。
これから起きることなんてゲームで何度体験したことか。だが、断罪される側に立つのはまた新鮮な体験だ。
大広間から甘いフラワーブーケの香りがする。心なしか、おいしいスイーツの甘い匂いも混ざっているような気がした。そういえばまだ彼女はパーティーに来てから何も口にできていない…ワイン以外は。
アマネリスは忘れようとしていたのかもしれない。もしや、現実逃避をするためにあんなところで一人孤独に──。
「アマネリス・ローズウッド!!」
聞き慣れた声が大広間に響く。王太子リアムの声は透き通っていて、大広間の全ての空気を震わせたようだ。最近社交界で何も起きていない分、周りの人々はこのショーを貪るように観覧する準備をしている。人々の視線が天音の体に千のトゲのように刺さる。
幸いなことに、彼女がどんな表情をしても仮面が隠してくれるということはいいことだ。
仮面があろうがなかろうが、彼女はポーカーフェイスを貫いているが。
だがしかし、心臓はギュッと今までないくらい絞められ、彼女は窒息しそうだった。
きっとこれは天音の感情ではなく、アマネリスのものなのだろう。どんなに冷静を貫いても、心は欺けないものだ。
天音はそんな彼女が少し可哀そうに感じてしまった。アマネリスの記憶を覗けば覗くほど、天音の悪役令嬢に対する悲しさは怒りで塗り替えられる。
全くの、無罪じゃないか。アマネリスが何をしたというんだ。何もしていないのに、勝手に噂が流れ、リースは自身で勝手に傷ついた傷を彼女のせいにして…。
どっちが悪役なんだか。
天音は仮面を通して、王太子の隣に立っているクルミ色の髪を巻き、ぱちくり綺麗で大きな目をした女性を見つめた。リースの顔は一般から見れば可愛いすぎるものだった。まるで蚊一匹傷つけられないという純粋無垢な雰囲気を纏っている。
騙されるのもしょうがない。
そんな可愛い子に比べてアマネリスは──。
「傷物の不器量な顔をした魔女め!今この瞬間自分がやってきたことを悔いるがいい!!」
この王太子はどうしてこうも彼女の思考を止めようとするんだ。そんなに大きく声を張らなくても大広間はそもそも声が通りやすい作りになっているのに。
そういえば忘れていた、リアムはプライドが高く、自分が見下されるのをひどく嫌っていた。ゲームを作った運営はそれを「ツンデレ」ということで片付けていたが…ちょっと無理があるとゲームを進めて思ってはいた。
噂に、アマネリスは小さい頃暗殺者に狙われ顔を大きく傷つけられたということを聞いたことがある。仮面はその傷を見せないものだとか。
ゲームを遊んでいる天音も悪役令嬢の本当の顔は見れなかった。公式ガイドブックにも載っていなかったので、運営ももしかしたらそこまでは考えていなかったのかもしれない。
リアムは天音が何か言うのを待っているのか、視線をこちらへ送ってきた。天音はその視線に気付いていたものの、それを完全無視する。無視する、というより彼女自身も王太子の言葉にどう返せばいいのかわからない。
「リアム様ぁ…」
リースは涙を噛みしめて、キュッとその小さい手でリアムの裾を少しだけ掴んだ。リアムはそんな今にも泣きそうな彼女を見て痛んだ心で彼女の手を自分の手で包み込む。
「安心してくれ、俺の愛しい小鳥。すぐに悪者を退治して一緒に幸せになろう」
リースを掴む手に力が入り、リアムは熱を含んだ視線で隣の女性を眺めた。それと同じぐらいの熱量をリースはリアムに向けている。
その熱量っぷりに、天音は二人の周りにキラキラと少女漫画に出てきそうな薔薇が見えた気がした。
今にでも口づけをしそうな二人…。
彼女は一体何を見せられているんだ。というかどういう心境であのセリフを全大広間の貴族に聞かせているのか気になる。
天音は引くに引いている自分をどうにかして抑える。
よく考えてみればゲームを画面越しに遊んでいる時、そんなセリフをリアムが言った気がしなくもない。
………やはりゲームはゲーム。現実は現実。二つを混ぜると悲惨なことになる。
イチャイチャタイムが終わると、リアムはリースに向けた熱い視線とは反対に、冷たい視線を天音に向けていた。そしてバシッと彼は天音を指さす。
「俺は、貴様との婚約を、破棄する!」
言葉一つ一つを強調してリアムは吐き捨てた。
大広間がしんと静まり返る。周りの人々はリアムが発した宣言を聞き間違えていないのか確認するために周りとコソコソ話し始めた。そしてその目線は全てアマネリスに向けられている。
ゲームの場合、アマネリスはどんなにポーカーフェイスを貫いてもその発言だけには耐えられず床に崩れ落ちてしまう。そして婚約破棄だけはしないようにとリアムに向かって懇願するのだ。
「…………理由をお聞きしても?」
「リースから聞いているぞ!お前は自分の持っていないリースの可愛さに嫉妬して色々な嫌がらせをしてきたと!妃教育を受けているお前がそんなことをするなんて思わなかった!」
してないけど、とは言わず王太子のデタラメを最後まで聞き届ける。
「彼女の給食にわざとGを入れたり、足をかけて転ばせたり、教科書を破ってごみに捨てたり…靴に針を入れるようなこともしたらしいな!」
「…私が行ったという証拠は?」
「証拠品は全てリースから渡された!Gが入っている給食!やぶれている教科書!針がたくさん入っている靴!」
天音は呆れたため息をつきそうになるのを堪えた。
どうやら妃教育を受けている彼女の方が王太子より随分と頭がいいらしい。
そんなものすべてリースの自作自演、軽く考えてみればわかるだろう。彼女にはわざわざそんなことをする時間もなければ常に人の目がついているのでそんなことをできる隙もない。王太子妃になる器として常に人に見られていると思いながら行動しなければならないのだから。
一番近くにいる従者ですら充分に信用できない。
だが、どんな言い訳をしても恋をしている王太子は聞かないのだろう。なら、こんな男性のために自分の喋る体力を消費する必要はない。
天音は自分の被っている仮面を軽くなぞった。オパールが埋められているところの凹凸の縁をなぞるように指をすべらせる。
悲しいことだ。アマネリスの人生はすべてリアムのためにあったというのに。リアムがこんな形になってしまうとは。
この仮面をつけたのだって、王太子のためだというのに。
暗殺者を送り込まれ顔を傷付けられたというのはアマネリスの父が流した嘘の噂。本当の彼女は暗殺者になど襲われてはいない。仮面は、被ることによって変な人たちに絡まれないように、ずっと王太子のためにこの身を残すためのものだった。
実際、仮面とその噂のおかげで彼女に近寄ろうとする男性はほぼいなかった。
天音は、アマネリスの父が言っていた言葉を思い出す。
『あの王太子は頼りないと社交界の一部では言われている。アマネリス、そんな王太子を王に値する器にするためにお前が必要なのだ』
今考えてみれば、アマネリスの父親は彼女のことを道具として見ていたに過ぎない。
「そうですか、私が何を言ってもリアム殿下は耳に入れないでしょう」
「あたりまえだ!」
「なら、婚約破棄というリアム殿下の選択も私には変えられません」
天音は仮面の中で嗤いそうになる自分を堪えた。
あぁ、だめだ、ここで笑ってしまっては。これまで苦労したポーカーフェイスが…。
彼女は今、仮面の呪いから解放された。
婚約破棄という自由への鍵が手に入ったのだ。
王太子のために生きていた人生、これから彼女は自分のために生きていくことができる。王太子のために被った仮面も、これからはつける必要がなくなる。
リアムは知らないだろう。この仮面がアマネリスを猛暑の時どれほど苦めたか。熱さが籠りすぎて寝込むことがよくあった。この仮面をつけている時、裏で彼女のことを醜女と呼んだ人がどれほどいたことか。
アマネリスは全て、殿下のために堪えてきたのに。
大勢の目の中心で、彼女は自身の仮面を外した。涼しい空気が隙間から入り、彼女はその新鮮な空気を逃がさないように呼吸する。
仮面の下で人と対面するのは何年ぶりだろうか。
カタン、と仮面が大理石の床に落ちた。仮面についていたオパールが床にぶつかるおとが大広間に響き渡る。
その場にいる誰一人声を発することはなかった。
皆息を呑んで目の前の不細工だと思われていた、王太子妃に不釣り合いだと思っていた女性を眺める。その黄金色の髪はまるで神に愛されているかのような輝きをシャンデリアの下で放ち、整った顔立ちにその目はアクアマリンよりも青い輝きを放っている。女性の唇にはかすかに笑みが乗っていた。
「ではリアム殿下のために被っていた仮面は外し、リアム殿下のために行った執務ももうやらなくても良いということですわね」
にっこりと、自由の笑みを天音は浮かべた。
「あ、暗殺者に顔をやられたのではなかったのか!!」
「私の顔を案じてくださっていたのですか、まぁそれはなんとも心優しい。ですがご安心を、全ては父の計画の一部に過ぎません。暗殺者に顔を害されたという噂を流せば、下心を持つ一部の人たちを遠ざけることができるので」
天音は笑顔でつらつらと述べた。
それにしても、周りの反応がいささか過剰な気がするが。アマネリスが少なくとも不細工ではないということは彼女も父との会話からわかっていた。だが、人々がここまで彼女の顔に反応するのはいささか異常である。
「っ!!!」
彼女は目を見開いた。
まさか、いやいやいやそんなことあり得ない。いやだがもし…彼女がポイントを振った能力値がそのままこの世界に反映されていたとしたら?
魅力値最大の状態で仮面を外してしまったといういこと?
「あ、それと、リース様が仰っていた嫌がらせに私は何一つ心当たりがありません。正式な調べをした上で抗議をさせていただきますね」
「ちょ、ちょっと待て!」
踵を返し、そのままその場から離れようする足を止める。天音はまだ何かあるのか、とだるさを心に隠して薄い笑顔を王太子に向けた。
「そ、その、あれだ、あれ」
呂律が回らないように、リアムは慌てふためいた。どうしてだろう、彼の目から彼の元婚約者が離れない。隣に立っているリースがかすんで見えてしまう。こんな気持ちになったことなど一度もないというのに。
婚約破棄をしたからなんだ、破棄したならまた婚約を提案すればいい。どうということはない、彼は王族で、権力を持っていて、その力は誰でも欲しがるものなのだから。
そう、アマネリスだって彼が欲しいに違いない。
「貴様に、またチャンスをやろうと思っている!」
その言葉に天音は眉を寄せた。
「……は?」
思わずそんな低い声が喉の奥から漏れてしまう。
いけないけない、淑女でいなければ。自由になったと思って気が緩んでしまっている。
王太子の言葉を聞いて困惑しているのは天音だけではなかった。リアムの隣に立っているリースも、目を大きく見開いている。
「リアム様!何をお考えですの…彼女は悪女で―」
「黙れ、もう貴様に用なんてない」
そうしてリアムはリースを押しのけた。
さきほどまでのラブラブな雰囲気は存在しない。そこにははっきりとした壁が立てられていた。まるで恋人同士から、王族と平民に戻ったかのようだ。超えることのない、高い高い壁ができている。
人はこんなにも早く変わることができるなんて思わなかった。
天音はこの国の王太子である頭がおかしい残念な男性に対して軽くため息をついた。
この国、大丈夫なのだろうか。
なんというか、王太子がこのようにみじめでだらしないと、王太子ですらないのにこちらが近隣諸国に申し訳なくなってしまう。
近隣諸国で思い出したが、このパーティーには様々な国の王族も招かれていたとか。本当かどうかはわからないが、もしもそれが本当であればうちの王太子が恥ずかしいことをした、と王は彼らに謝らなければいけなくなるだろう。
王様も王様で、色々と苦労するんだな。
王に少しだけ憐みを感じてしまう。この王太子を躾けるのは苦労しそうだ。
「いいかアマネリス!貴様は俺からまた婚約を成立させるチャンスを──」
「ちょっといいかな」
これまで参加していることすら知らなかった人が声を出す。優しい、まるで太陽の暖かい温もりに包まれているような声だった。だが、それだけが全てではないと思わせるような深さも帯びていた。
天音…いやアマネリスはこの声をよく知っている。学園で、よく話し相手になってくれていた人だ。
暗殺者に襲われたという噂が広がり、仮面をつけていたことにより孤立していた彼女に唯一話をしてくれた人でもある。周りがどう言おうと、彼女のために噂に立ち向かった良い人だ。
そして隣の帝国の皇太子でもある。
「ノア殿下?」
皇太子が登場したのは天音が原作とは違う道を進んだからだろうか。
ノアは彼女とリアムの間に入り、彼女のリアムを見る視線を遮る。リアムの代わりに、天音はノアを見上げていた。彼は天音に向かってエメラルド色の目を細めて笑みを見せた後、くるっとリアムの方を向く。
「これはこれは、ノア殿下、何か?」
リアムは引きつった笑顔でノアに対して一礼した。ピクピクと、王太子の眉は震えている。
どうして今この重要な時に割り入ってくるんだこの皇太子は。俺の邪魔をして…煩わしい。
「ごめんね、奪われるかもしれない前にしなければいけないことがあって」
天音は頭にはてなを浮かべる。だが、ノアの言葉に対する疑問も次の瞬間解消された。
ノアは片膝を床につき、ポケットから赤い箱を取り出した。彼の黒い髪がゆらりと空気に揺れた。
優しい優しい目線が彼女の心の芯に染みる。
彼は赤い箱をパカリと開く。そして神ですら見とれてしまうほどの笑顔で口を開いた。
「アマネリス・ローズウッド、貴方をどうしようもないほどに愛しています。どうか僕と、これからを共に歩んでくれませんか?」
パーティー会場に悲鳴交じりの歓声が響いた。
「へっ」
「僕と一緒にいたら、何もしなくてもいいよ。アマネリスが昔言ってた通り、一日中ベッドの上で本を読んで過ごして構わない。執務なんて貴方にやらせるつもりないし、食事制限だってさせるつもりもない。心配することなんて何もない幸せな生活をあげる」
つまりヒモ──
それ以上のことは考えず、天音は自分の顔が熱くなるのを感じた。さきほどまで少し寒いとさえ思っていたのに今では体が熱くてしょうがない。
彼女は溶けてしまいそうなほどに向けられている熱い目と、赤い箱の中に入っている虹色に輝いている宝石が埋め込まれている指輪を交互に見た。
「あれって皇室の指輪じゃ…」
天音の耳が近くで喋っている令嬢の言葉を捉える。
「一生を誓う相手にしか渡さないっていう…」
そんな重いものを彼女が受け取っていいのだろうか。
途端に、温かい手が彼女の手を包み込んだ。そしてするりと彼女の薬指に皇室の指輪がはめられる。
「?!!」
まだ彼女は何も言っていないのに。行動が速すぎではないか?
クスッとノアは軽く笑った。
「アマネリスの考えはいつも表情に出やすいね」
表情に出やすい?マナー教師には何を考えているわからないとしょっちゅう言われるのに?
まだノアの言葉に混乱していると、急にパーティーの扉が何者かによって開かれた。
「これはどういうことだぁあああああああ!」
髪を乱して大広間に突撃してきたのはほかでもない騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたこの国の王だった。乱れた髪に息を切らしているのが分かるように揺れている肩。王は怒りで顔を真っ赤にしていた。そしてその憤怒の矛先は息子であるリアムに向けられている。
「いだいいだい!父上ぇ!」
パーティーは王が息子の耳を引っ張りながら退出することにより、幕を下ろした。
♦♦
「ねぇアマネリス、今日の新聞に面白いことが書いてあるよ」
白を基調に金が施されている豪華な一室のベッドで読書をしているアマネリスの横にノアは腰をかける。彼の手には一枚の新聞が握られていた。
アマネリスが新聞を最後に見たのはいつのことだろうか。もう外の世界のことなど知る必要もなくなってからめっきり社会に興味を失くしてしまい本の虫になってしまった。
「面白いこと?」
せっかく本のクライマックスなのに、読書を邪魔されて眉を顰める。
これでもしも面白くなかったらどうしてくれよう。
「そう、リアム王の国のこと」
その言葉に彼女は目を大きく見開いた。
リアムが王になってから、彼女の故郷の国はひどい有様だった。政策はうまくいかず、貴族たちもリアムを見下しているせいで私利私欲のために権力を行使する完全に腐った国へと変化してしまった。
アマネリスは嬉しそうに微笑んでいる男性を見上げた。
「リアム王は王についてから1年ぐらいしか経ってないよね」
ノアが言う。
「私たちの結婚もそれくらいね、そう言われれば」
アマネリスは本を閉じ、側に置く。彼女の薬指には皇室の証であるあのダイヤモンドの指輪が通されていた。
あのパーティーの後、彼は再度私に婚約を申し込んでくれて、私は彼の求婚を受け入れた。
求婚を受け入れた夜、体を洗うために指輪を外そうとしたが、どう頑張っても外せなかった。仕方なくそのまま入ったが、終始手だけは水につけないように頑張っていた。
皇室の指輪を水につけるなんて恐ろしすぎる。
次の日、ノアに取る方法を聞いたところ、彼はにっこりと笑顔でこう言った。
『それはどう頑張っても取れない魔法が施されているから、諦めた方がいいよ。別に水に濡らすぐらいなんてことないしね』。
心なしか少しだけ背筋にゾクッと寒気が走った。
これはやばいやつを釣り上げたんじゃないか、と心の中の彼女が囁く。
そんな記憶を思い出して彼女はクスッと笑う。
「で、リアム陛下がどうしたのかしら?」
「クーデターが起きたみたい。腐っている国を正そうと国民が王城を襲撃しているらしいよ」
あの国でそんなことが…。
アマネリスは何か感じたのか目をゆっくりと細めた。そして疑り深い目でノアを軽く睨む。
「ねぇ、もしかして」
「んー?」
純粋無垢な神様も騙し通せそうなほど笑顔が向けられたが、アマネリスにその手は利かなかった。
「クーデター起こすように誘導したわよね」
「さあ、何のことやら」
なんて白々しい。
だが、自分の夫の行動を止めることは不可能だと言うことを彼女は一番わかっている。そして彼も、彼女が許すと言うことをわかっている上で行動しているのだ。
ノアは両手を広げ、アマネリスを招き入れる。彼女を両腕が包み込み、彼女の首に自分の頭を埋めた。そして大きく息を吸い、彼女を堪能する。
「ノア、あのパーティーの件まだ根に持ってるの?」
「まだまだこれくらいじゃあ足りないくらいだよ」
アマネリスは呆れたため息をついたが、反論はしなかった。
彼女はどうやらちょっと頭のネジが数個飛んでいる人を夫に迎え入れてしまったらしい。
まぁ、一日中何もしなくて本を読むだけの生活ができればいいだろう。
═END═