誰だこれ
純平の帰国の日、約束どおり空港の到着ロビーで待っていた。
だけど留学コーディネーターの先生を先頭にした生徒の集団が現れても、なかなか純平の姿が見当たらない。
おれはパーカーの襟元から首を伸ばして純平を探す。すると突然、後ろから二本の腕が回ってきて、強い力で抱え込まれてしまった。
「っうわ」
思わず声が出る。
自分よりずいぶん大きく、逞しいと思われる体つきの人間にグイッと引き寄せられたら、誰でも驚くと思う。
「なんだ、誰っ」
特進コース・生物部所属の地味男子のおれにはこんなことをしてくる運動部の後輩はいない。
おれは抱え込まれたまま斜め後方を見上げた。
――誰だ、これ。
俺を拘束しているのは、肩まで伸びた髪をハーフアップにした切れ長の目のイケメン。身長はおれより頭一つ分は高くて百八十はある。
こんなカッコいいやつ、おれの知り合いには──
「あっ……! 純平?」
見違えるほど大人っぽくなっているものの、長い睫毛に囲まれたこの目と形のいい鼻は純平だ。
「せんぱ〜い、ただいま!」
やっぱり。声質がやや低くなってはいるけど、この甘ったれた話し方、懐かしい!
そう思ってよく顔を見ようとすると、純平は俺の体をくるっと回転させて、続いてムギュと抱きしめてきた。
「おい、純ぺ」
「会いたかったぁ。ハグして、先輩」
「いや、もうしてるし」
そうだよ。この体勢はなんか恥ずかしいぞ。
一年前の純平なら「おれに抱きついている」と見えただろうけど、今は「おれを抱きしめている」ようにしか見えないだろう。周囲にいる他の生徒も知らない人も、おれたちを見て笑っている気がする。
だけど……無事に帰ってきてくれて嬉しい。おれは軽く腕を回して、長くなった背中をぽんぽんと叩いた。残念ながら、今後は純平の頭を撫でる機会は減りそうだ。
「お帰り、純平。待ってたぞ」
心からそう伝え、純平から離れようと足を一歩後ろに動かす。すると純平は、逃さないとでも言うように腕の力を強めた。
おれの体は純平の胸の中にすっぽりと収められてしまう。
「っおい!」
「ホントに先輩だ……陽向先輩、大好きだよ」
えっ……なっ、なんだ?
純平は耳に唇を当ててきて、声を穴の中に入れてくるじゃないか。
瞬間で、ゾワゾワッとしたものが背中を駆け上がった。
高校生どころか大学生にも見えそうな容姿になった純平に、低い声で囁かれた「大好き」は、今までと何かが違う。
だけどおれにはそれを具体的に説明することはできなくて。
その後ふんわりと微笑んだ純平にちょっと見惚れたりもして、首から上に熱が集中したようになって逆上せたおれは、気づいたら純平に手を引かれて空港を出ていた。
***
「そろそろこれ、やめないか」
「やだ」
帰路につく電車の中、繋がれたままの手をほどこうと試みるも、純平は応じない。
いくら一年ぶりだからって、甘え過ぎでは。
「そんなに寂しい思いをしたのか? もしかしてホストファミリーと合わなかったとか?」
「あー、まあ。家に入ってみたら放任っていうか世話放棄って感じで。そういうの慣れてるんでなんとかやってたんですけど、食事代で一ヶ月の小遣いが足りなくなっちゃって。それでコーディネーターの先生が気づいてホストを変えてくれたんで、その後はずっと楽しかったですよ」
「えっ。なんで言わなかったんだよ」
そんなことになっていたとは思わなかった。メッセージで知らせてくれていたら、おれも学校に居る先生に相談してやれていたのに。
「大丈夫なのか? 今は腹は減ってないか? 体が辛いところとかは?」
「いや、だから最初の一ヶ月だけですってば」
俺が前のめりになると、純平はくすくす笑う。
そうなんだけど、気づいてやれなかったことが申し訳なくて……ん? 待てよ。『そういうの慣れてる』って、どういうことだ?
問おうとすると、純平が先に口を開いた。
「でも寂しいのはずっとありました。早く日本に帰りてぇぇって、出発の飛行機の中から思ってましたもん」
純平がおれの目を覗き、握る手に力を込めて訴えてくる。握っていない方の手は、腰のないおれの髪をひと束つまんだ。
近っ! めちゃくちゃ甘えてくる。髪まで触ってくるのは初めてだ。
捨てられた子犬みたいな顔をして……そうか、それほど寂しかったということか。
「純平は甘えんぼだもんな。ご両親と離れるのが不安だったんだな」
純平ももう高一なんだししっかりしろよ、とは言わない。純平はお金持ちの家の一人息子だそうだから、やっぱり溺愛されて育ってきたんだろう。ステイ先での世話放棄が辛かったのはもちろん、出発前からホームシックになるのも仕方がない。
おれは空いている方の手でおれの手を握る純平の手をぽんぽんとして、理解と労りを示した。
「全然違いますけど」
だけど純平は秒で否定してくる。それも不満げに眉根を寄せて。
「違う? じゃあ何? 日本自体が恋しいとか、そういうこと? 食べ物とかそういう意味で」
おれが首を傾げれば、純平は肩をすくめて苦笑いをした。
「わかんないよね。ま、これからわかってもらうんで、よろしくね、先輩」
苦笑いをニッコリ笑顔に変えたかと思うと、純平は手を繋ぎ替えて指を絡めてくる。
「わ、さすがにやめろ」
これは高校生の男同士ではアウトだろ。恋愛中の男女じゃないんだから。
急いで手を引く。それでもやっぱり純平は手をほどこうとしない。
「久しぶりだから、お願い先輩。下に隠しておけば見えないから」
う……すがるように見られると、弱い。
「……駅につくまでな」
結局おねだりに負けて、手を二人の太ももの間に無理やり差し込む。
「ありがと。先輩……大好き」
純平はそう言うと、おれの肩に頭を預けて瞼を閉じた。
寝るんかーい。もしかして眠くて甘えてた?
今までの「大好き」や甘え方と、やっぱりどこか違う気がするけど気のせいだよな……。
絡まった指には落ち着かないものの、純平のつむじが見えたことに何かホッとした俺は、具体的に考えることをやめた。