第39話 静かなる悪意の宴
それは、リオたちがまだファルン村を発つ前のことだった。
村から王都までは徒歩で丸二日。途中で一夜を野営するのが常だ。
暗い石壁に囲まれた地下空間に、低く軋む扉の音が響いた。ひゅるりと風が吹き込むと、瘴気を帯びた紫煙が静かに揺れる。
「ただいまー」
傘をくるくる回しながら現れたのは、斥候ゼイン。飄々とした様子は相変わらずだが、その目だけはどこか鋭く光っていた。
「首尾は?」
部屋の奥、影に腰かけていた青年が、退屈そうに問いかける。白銀の髪と深紅の瞳を持つその男――ディアス。闇の精霊の導き手。
「いたよいた、光の精霊の導き手!」
ゼインは軽やかに告げ、壁にもたれた筋骨隆々の戦士――バルグが身を乗り出す。
「おー、どんな奴だった? 強そうか?」
「名前はリオって子でね。まだまだディアス様に比べたらヒヨッコさ!」
「ふん」
ディアスは興味なさげに鼻を鳴らす。
部屋の隅、魔導装置に向かっていた少女が振り向く。リレーナ。長い青髪と冷たい目をした魔術師。
「それより、生瘴石は? 持って帰れたの?」
ゼインは大げさに首を横に振りながら言った。
「あー、それがさ。精霊魔法で浄化されちゃってさ、消滅……」
リレーナは肩を落とし、深いため息をついた。
「はぁ……また作るの、だる……」
「だったらよ、全員皆殺しにしてくればよかったんじゃねーの?」
バルグが拳を鳴らす。
「それができりゃ苦労しないよ~。……だって、クロキリちゃんがいたんだもん」
ゼインが笑いながら肩をすくめると、バルグの目がぎらりと光った。
「……ほぉ、そいつが噂の影の戦士か。そそるな」
「なるほどな。あの影が動いていたのなら、退いて正解だったな」
ディアスは髪をかき上げながら呟いた。
「でしょ~? あそこで粘ってたら、僕、たぶん冥界行き」
くるりと傘を一回転させ、ゼインは軽やかに立ち止まる。
「でもね〜、クロキリちゃん、今は王都にお出かけ中っぽいんだよね〜? 今は……い・な・い♪」
「……じゃあ今がチャンスってわけか」
床に落ちた影の中から、もう一つの声が低く響いた。
「おいおい、さっさとやっちまおうぜ?」
影が揺らぎ、その中心からふわりと現れるのは、闇の精霊・エクリプス。
全身は漆黒の衣に包まれ、背には妖精のような羽根がある。ひらりと宙を舞うたび、銀色の鱗粉がひそやかに降り注ぐ。その白い髪と紅い瞳は、どこか無垢でありながら、底知れぬ異質さをまとっていた。
幼い声と小さな体に反して、空気に走る緊張が場を包んだ。
「まあ、慌てるほどでもないだろ」
ディアスは立ち上がり、エクリプスを一瞥する。
「せっかくだ、“例のやつ”でもぶつけてみるか」
「むぅ〜、また任せるのぉ? 自分でやればいいのに〜」
「今は“あれ”の準備で手間取っててな……王都の監視網に引っかかるわけにはいかん。慎重にやらざるをえんさ」
「やーい、へたっぴー」
その瞬間、空間にビキビキと小さなヒビが走る。
まるで額にデコピンでも食らったように、エクリプスがふるふると震える。
「なっ……今に見てろよ、絶対に泣かすからな〜!」
エクリプスが膨れ面で叫ぶ。
「はいは〜い、ケンカしないケンカしない♪」
ゼインが後ろから拍手を送るように手を叩き、空気を和ませた。
影の紋が静かにうごめく。
ディアスは低く言い放った。
「わが眷属よ、出番だ。奴らが野営している隙を突け。標的は、村と王都の間で休むタイミングだ」
その声に応えるように、魔導通信の端末が淡く光り、重々しい声が返ってくる。
『承知しました』
「まっ、ちょうどいいタイミングってことで。あの子にも舞台を用意してあげなきゃね〜♪ 遠足はおうちに帰るまでが遠足だもんね〜」
ゼインの言葉に、バルグが歯をむいて笑い、リレーナが肩をすくめて鼻で笑い、エクリプスがくすくすと宙を舞いながら笑い、そしてディアスは薄く口元を吊り上げた。
だがそのとき、リオはまだ――自分たちを待ち受ける恐怖の影に気づいてはいなかった。
お読みいただき、ありがとうございました。
今回は久々に“敵陣営”からの視点でお届けしました。
飄々としたゼインを筆頭に、ディアス、バルグ、リレーナ、そしてエクリプス――
それぞれの個性が静かに、しかし確実に「次の一手」へ向けて動き始めています。
特に今回は、リオたちがまだ知らぬところで“狩る側”が着々と準備を整えている不穏さと、
どこか楽しげにそれを進める狂気との対比を意識しました。
彼らの「静かなる悪意の宴」が、次回以降の物語にどう影を落とすのか。
ぜひお楽しみに!




