第38話 闇に沈む地より
「いやー、まいったまいった。まさか“浄化”されちゃうとはねぇ……」
赤と黒のハーレクイン模様に身を包み、仮面をつけた道化師が、薄笑いを浮かべて肩をすくめる。小さなシルクハットを傾ける仕草も芝居がかっている。
「自己紹介が遅れたね。──僕は、魔王軍特務部隊のゼイン。……ただの“道化”さ♪」
その名が告げられた瞬間、周囲がざわめく。
「魔王軍の精鋭部隊……だと?」「なぜ、こんな場所に……」
しかしゼインは興味なさげにリオへと向き直り、ひらひらと手を振った。
「まーでも、君の力が分かったから、いっか。リオ君だっけ? またねー♪」
踊るようにターンし、背を向けた――その瞬間。
「おい、待て!!」
一人の剣兵が怒声を上げ、前へと踏み出す。
「──よせ!! 近づくな!!」
クロキリの叫びが、空気を裂いた。
ボンッ!!
爆音が鳴り響く。地面に仕込まれていた“呪爆”が起動し、血煙が舞う。
リオとファルトがとっさに《シールドプロテクト》を展開するも間に合わず、若き剣兵と槍兵が、一瞬で肉片すら残さず吹き飛ばされた。
誰もがその場に凍りつく。恐怖、困惑、怒り、絶望。声すら出ない沈黙の中――
爆煙の向こうから、ねっとりとした声が響いた。
「言ったでしょ? ボクの“遊び場”だったんだって──♪」
「のこのこ巣穴に入っている間に、ちゃーんと罠を撒いておいたのさ~♪」
そして、ひときわ高く笑う声。
「晴れ、時々──血の雨ってね。……ああ、傘、持っててよかった♪」
クロキリが低く呟く。
「……馬鹿野郎どもが……」
次の瞬間には、ゼインの気配は跡形もなく消えていた。まるで最初から、そこにはいなかったかのように。
兵たちは呆然と立ち尽くし、仲間の残骸を前に、声を上げる者すらいない。
ドクン──ドクン──
「……また、守れなかった」
リオが、震える声で呟いた。
「……リオ、戻ろう。これ以上はもう……」
アストルが、そっと袖を引く。
クロキリは、王都への報告を口実に歩き出した。
カイルのそばに立ち止まり、低い声で一言。
「後で詳細はまとめて報告書に入れる。死者の分も含めてな」
そしてリオの前に立つと、ほんのわずかだけ表情を緩める。
「一瞬の油断が、さっきのような事態を招く。忘れるなよ──」
背を向けて歩き出し、最後にだけ振り返った。
「……またな」
その姿は、夕闇に溶けるように影へと消えていった。
カイルが短く問う。
「何人やられた?」
「3名です」
エルバは静かに装備を拾い上げ、亡くなった仲間の遺品を布に包んだ。
「……死んだやつらの分も、持って帰るぞ」
遺品の回収後、カイル副団長が部隊の再編成を指示する。
第1部隊で2名が戦死した分にはリオとファルトが、
第2部隊で1名が戦死した分にはエルバが補充として加わることとなった。
エルバが短く号令をかける。
「行軍開始」
一行は静かにゴブリンの集落を後にし、フォルン村を目指した。
一行は静かにゴブリンの集落を後にし、フォルン村を目指した。
村の入り口に現れた彼らの姿を見て、村人たちが息をのんだ。
衣服は土埃と血で汚れ、肩を落とした歩みは、帰還の喜びよりも深い疲労と痛みを滲ませていた。
「……あんな姿で戻ってくるなんて……」
「一体、どんな戦いが……」
誰かがそう呟いたとき、ざわめきが静かに広がっていく。
その空気は、笑顔で迎えに来たティナとダリウスの顔にも、すぐに影を落とした。
「任務、ご苦労様でした」
ティナが静かに礼を述べる。
ダリウスは無言でリオの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「よく帰ってきたな」
その声は、どこか安堵に満ちていた。
リオの肩を軽く叩くと、ダリウスは仲間たちに視線を向ける。
その様子を、遠くでエルヴィンが眺めていた。
彼の視線は穏やかで、どこか遠い記憶を追うようだった。
その瞳の奥にあるものを、誰も知らない。
その後、荷を片付けた隊員たちはカイル副団長の指示で教会へ向かった。
司祭と巫女セフィーナの手によって、殉職した三名の遺体は慰霊碑のある墓地に丁重に埋葬される。
司祭は静かに祈りを捧げ、
セフィーナが風の精霊に哀悼の旋律を奏でた。
村の風が、まるで魂を運ぶように、やさしく吹き抜けていく。
夜。
リオはひとり、村の池の前で座り込んでいた。
「……あの時、僕にもっと力があれば……」
悔いと無力感が胸に渦巻き、自問を繰り返すうちに、夜が更けていく。
ふと、思い出す。
あの剣兵が、村に向かう道中で肩を叩いて言ってくれたこと。
『お前、意外とやるな。安心しろ。修行はつらいが、剣は裏切らねえ』
言葉はぶっきらぼうだったが、あの時の笑顔はまっすぐだった。
スライムを木っ端みじんにして笑われたことも、今では懐かしい。
リオは、そっと名前を呼ぼうとして──そのまま、口を閉じた。
胸に刺さるような重みだけが、確かにそこに残っていた。
「リオ、あんまりふさぎ込んじゃだめだよ」
声をかけたのは、光の精霊だった。
「……君か。ショックでさ。人があんな風に……父さんも、もう……」
「そりゃあそうだよね。でも、今の君がやるべきことは──」
精霊は、そっと手を差し伸べる。
「君の思いのためにできることを増やすことさ。僕との契約だよ」
……この手に、誰かの命を守れる力が宿るのなら。
リオは、そっと目を閉じて手を重ねた。
「……うん。僕は、もっと強くならないと」
「よし、その意気だ! じゃあ右手を出して。僕の言葉を繰り返して──」
「悠久の理に従い、今ここに誓う。我が魂を汝に預け、共に運命を紡がん。《スピリチュアルコントラクト》」
重ねられた手のひらから、光が溢れ出す。
村の一角を照らし、微精霊たちも集まり、静かに祝福していた。
リオは、そっと目を閉じた。
その胸の奥に、確かな光が灯っているのを感じた。
──もう、迷わない。
「これからは……君と一緒なら、僕、きっと乗り越えられる」
リオの言葉に、光がひときわ強く瞬いた。
精霊はふわりと宙を舞いながら、満足げに微笑む。
「よーし! あとは僕に名前をつけてくれ。かっこいいの、頼むよ」
「光の精霊だし……アストル、かな?」
その瞬間、さらに強い光が辺りを包み込んだ。
「アストル……だっけ? またこの名前で呼ばれるなんて、変な感じ」
そう呟いた声は、どこか懐かしさと、遠い記憶をたぐるような響きを帯びていた。
「昔も……そう呼ばれてた気がするんだよね。いつか、誰かに」
精霊は、光の粒となってリオの胸元に溶けていく。
心の奥に、暖かく、でもどこか切ない気配が静かに寄り添った。
「よろしくね、アストル」
「うん、よろしくリオ!」
そこへファルトがやってくる。
「リオ~、気乗りしないかもだけど……って、まぶっしいな!? なんだそれ」
「え……見えるの?」
「その光ってるの……もしかして、精霊か?!」
「光の加護で精霊と契約すると、周りの人にも姿や声が伝わることがあるのさ。焚火君」
「誰が焚火だコラ!」
リオはきょとんとしたあと、思わず吹き出してしまった。
「契約とか言ってるけど──頼もしい相棒ができたな、リオ」
リオはただ小さく頷いた。
夕食のために陣へ戻ったリオとファルトを、周囲のざわめきが迎えた。
彼の隣には、光の精霊アストルの姿がはっきりと見えていたのだ。
さらに、リオが近づくと──
驚くべきことに、セフィーナの風の精霊アネリアの姿までもが周囲に見えるようになった。
それに気づいたセフィーナは、目を見開き、そして驚嘆の笑みを浮かべた。
「すごいわ、リオ。まさか、私以外とも精霊と話せるようになるなんて……」
セフィーナは目を細めながら微笑んだ。
「……精霊と心を通わせるのは、簡単じゃない。でも、あなたはもう、できているのね」
「しかも……光の加護と精霊の契約に、こんな効果があるなんて。まるで、奇跡を見ているみたい」
ミラはぽつりと呟いた。
「私も……精霊と契約、できたらいいのに。……うらやましいな」
その言葉には、憧れとほんの少しの寂しさがにじんでいた。
その横で、ファルトが小さくつぶやく。
「……俺も、負けてられねえな」
新たな日常と覚悟が、静かに芽吹きはじめていた。
村の村長が夕食の前に立ち上がり、静かに頭を下げた。
「皆さん、本当にお疲れさまでした。今回の任務で尊い命が失われたこと、決して忘れません。
犠牲になった方々に、心からの感謝と哀悼を。
そして……この村に戻ってきてくれた皆さんにも、心よりお礼を申し上げます」
言葉を締めくくると、村長は一礼し、席に戻った。
夕食の席で、カイルは盃を掲げた。
「……亡くなった仲間に献杯だ。こういう時は、飲んで笑って送り出してやろう」
「……ま、落ち込むのも今日までだな。明日からは、動くぜ?献杯」
全員が杯を掲げる。
初めての献杯。初めての喪失。そして、初めてのお酒。
一口飲んだだけで、少年は見事に潰れた。
そのまま机に突っ伏して眠り込む姿に、周囲からは小さな笑いがこぼれる。
満天の星が、少年の静かな眠りを見守っていた。
次なる試練が訪れることなど、何も知らないように。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
小さな契約の光が灯ったその夜、
誰も知らない影が、静かに迫っていました──
次回、静寂を破る“何か”が、物語を揺さぶります。




