華やかに傷ついて
「皆も、現状の学園について、疑問があると思う」
王子の声は、朗々と響いた。
ここ最近、学園の噂はただ一つ。
将来王子と結ばれるはずの公爵令嬢との不仲。王子の心は既に、ある男爵令嬢のほうへ傾いているのではないか。
それを不服と感じる公爵令嬢は、ついに実力をもって彼女を排斥しようとしているのではないか……。
貴族の中の貴族と称される王子と公爵令嬢の間柄は、単なるゴシップに留まらない。いずれ国を左右する運命にあるのだから、生徒総会という公の場を使ってでも、真偽を問う必要があった。
「今回は、私の立場と、騒動の渦中にいる公爵令嬢の立場から、それぞれの主張を聞いてほしい。ただ、双方の主張の検証については、まだまだ時間を要する。とりあえずは、我々の方向性についてだけ、皆にも知らせておこうと思う」
この言い回しの時点で、ほぼ全ての生徒が、二人の対立を確信した。
次は、どちらにつくべきか、である。多くの学生は心のなかで、既に王家の方へ舵を切っている。どれほどの栄華を誇ろうと、玉座という絶対が崩れることがあるだろうか?
「私はまず、疑惑の公爵令嬢に対し、生徒会における職務の停止を求める。彼女には、地位に不相応の態度が見られたためである。具体的には……」
王子の糾弾は、男爵令嬢の主張に立ったものである。彼の話が事実であれば、公爵令嬢は、嫉妬に狂った女であり、更には王子との未来さえちらつかせたという、身の程も知らぬ存在である。
恥を知れ。
今は到底言えないが、敗者が確定すれば、口にしたくなる言葉であった。
続いて、公爵令嬢が壇上に立った。美しい黒髪をなびかせるも、顔色はあまりよくない。どことなく疲れた印象があった。
「殿下のご意見は、大変真摯に受け止めるべきものでした。ただ、事実と異なる点がある、と私は申し上げます。というのも……」
言葉は続かなかった。
幼馴染みであり、婚約者でもある少女を親の仇のように睨んでいた彼は、突如講堂に響いた銃声に、身を固くした。
皆の目は、壇上に釘付けになっている。
ポツンと赤い点が浮かび上がっている。公爵令嬢はゆっくりと視線を落とし、その傷に触れた。
二度、三度。
轟音と共に華奢な体が踊る。突き飛ばされるようにして木造の床を滑った彼女は、かはっ、と大きく息を吐き出した。
悲鳴が講堂に木霊した。
我先に出口を求めて走り出す生徒に、安全の確保を優先する学園の教師や護衛、真っ先に主に駆け寄って抱き起こそうとする公爵家のメイド。
混沌のなか、王子は今まで庇っていた少女に腕をとられたことに気づかなかった。彼の視線は婚約者に釘付けのまま。一歩二歩と歩むより早く、護衛が囲んで進路を阻む。
「殿下の安全を!殿下の避難を!」
待て、と叫んだはずが、掠れた声しか出なかった。下手人はどこだ、と誰かが叫んでいる。メイドが悲痛なくらいに顔を歪めて泣いているのがわかる。
「彼女の元に行かせろ!」
「なりません!」
我に返った彼は、自分を連行しようとする護衛を突き飛ばし、公爵令嬢へと駆け寄った。
メイドに抱き起こされてなんとか上体を起こしている彼女の体には三つ、目立った傷がある。顔面は真っ青で、薄い紫色の制服から講堂の床へと、流れ落ちる血が溜まりを作る。
「触らないで!」
王族への不敬を、咎めることができなかった。メイドの憎悪が、王子を凍りつかせた。
「これがお望みだったのでしょう、殿下!あなたの一声は、どんなものさえ破滅させる。あなたは遅かれ早かれ、お嬢様を死に追いやったことでしょう。自分が手を下すことなく、社会的に!」
「何を言っている、私は――」
「まだなにもわかっていないというのに、あのような形で断罪すれば、それが事実として受け取られる可能性を、殿下ならわかっていたはずです!」
「私は……思い至らなかった」
ぴく、と公爵令嬢の手が動いた。王子の腕にしがみついている少女が小さな悲鳴を上げる。
焦点の定まらない目付きで、公爵令嬢は微笑む。
「殿下……私は、神に誓って……。誓って……そのような、ことは……」
「お嬢様!お止めください!お嬢様!」
そんな声も、聞こえていないのだろう。殿下!と繰り返し呼び掛ける彼女は、震える腕を伸ばした。
その手を掴もうとして、握りしめるより早く、彼女の腕が落ちた。ごぽ、と血を吐き出して、公爵令嬢は動かなくなった。
メイドの慟哭が、講堂に響き渡った。
目前で人が死ぬ、その重みに耐えられず、男爵令嬢は自分がされてきた嫌がらせはすべて、自作自演だったと告白した。
この一件で、王家の信頼は失墜し、絶対王政そのものに疑問を投げ掛ける転換点となった。公爵家は葬儀から王族を締め出し、両家の対立は一時、決定的なものになると思われた。彼女の死は、国のあり方さえひっくり返しかねないものになった。
「……とでも、後世の歴史家は考えるのでしょうね」
公爵令嬢は、ぱたんと本を閉じながら言った。馬車のリズムに身を預けて、ゆっくりと目を瞑る。
「あそこまで大々的にする必要があったのですか?」
「あら?貴女に言わせたじゃない。『あなたの一声は、どんなものさえ破滅させる』って。相手が王家である以上、あのままだと濡れ衣を着せられていた可能性は高いわ」
ゆえに先手を打った――言葉の重みを教えるために、死をも偽装して。
権力が付随する言葉というのは、彼女を貫いた銃弾と何ら変わらないのだと。
「あの方は君主として力を振るうには、人が良すぎたのよ。私も私で、なんだかんだ貴族失格の自覚はあったから。一大スキャンダルとなる前に地雷は処理しておかないと」
「爆発させたお嬢様が言いますか?」
「意味はあった。絶対王政というあり方に疑問を、一石を投じることができた。これに比べれば、今回の騒動で失われた三人の将来なんて、安いものよ」
公爵令嬢だった少女は言う。馬車は王都から離れていく。何の家紋もついていない馬車は、カラカラと音を立てて、無人の街道を走っていった。