2014年2月22日の出来事
今回は308.です。
M4A2レンドリース戦車「ロシアは侵略をやめろ」
ソ連に受領されたシャーマン。
2014年2月22日。
ウクライナの当時の大統領が逃亡しました。
彼は憲法上の権限行使の義務を果たさなかったため、ウクライナ最高議会で解任し、2014年5月25日に早期選挙をおこなうことを決定しました。
これに関して、違法か合法かで判断が分かれます。
違法と主張するのは、主にロシア側の人々です。
ウクライナ憲法第108条によると、ウクライナ大統領は次の場合、任期満了以前に終了します。
一、辞任。
二、健康上の理由による職務不能。
三、弾劾による解任。
四、死亡。
今回の場合は、弾劾による解任に近いでしょうか。
弾劾による解任は、手続きに時間がかかります。委員会の審議や裁判所の意見などを考慮した上で、最終的に定数の四分の三以上の賛成で採決されるという手続きを経ないといけません。
これを満たしていないから、という理由で、違法だと言われています。
2月22日の議決は、定数の四分の三以上の賛成ではなく、通常の賛成多数での可決になっています。いわゆる過半数以上の賛成ですね。
それと、当時の大統領は、前日、2月21日に採決された2004年憲法への回帰に関する法案に、署名をしていませんでした。2004年憲法だと、議会議長が大統領代行を務めますが、そうでなければ、首相が務めることになります。
2月22日に議会議長が辞任し、新たな議会議長が議会で選出されました。この新議会議長は翌日の2月23日に、大統領代行になります。
この流れを合法と主張するのは、主にウクライナ側の人々です。
その理由としては、大統領が職務放棄して逃亡したことへの対処は、憲法上では言及されていないということです。
この言いわけには苦しさもありますが、当時の大統領が逃亡したのは事実であり、議会で賛成多数の決議が出ているので、先ほどの四つに該当しない解任として、通常の議決で決めたのでしょう。
後日、当時の大統領は政変による解任は憲法違反だとし、まだ自分が大統領だと主張していました。
ただし、彼も憲法違反をしています。ロシアに亡命し、3月にはロシア軍を派遣するようロシア側に書簡を送りました。これは国家反逆罪になります。
そして逃亡後、彼がウクライナに戻ることはありませんでした。
もし、この追放劇がロシア側の人々が言うように違法だとしても、二つの人民共和国の側もまた、違法です。
ウクライナからの分離を掲げる活動家達は、4月7日と27日に建国をそれぞれ宣言しました。
その後、ウクライナと二つの人民共和国との間で戦闘が開始。
戦闘中、二つの人民共和国は5月11日に独立のための住民投票をし、12日に独立宣言をしています。
ロシア側の人々はこの動きに対し、ウクライナ側がクーデターを起こしたなら二つの人民共和国側も分離したっていいじゃないかと、主張します。
ウクライナ側のクーデターが良いことだと評価するなら、二つの人民共和国側のクーデターも良いことだと評価するのは正しいでしょう。
ですが、おかしなロシア側の人々は、ウクライナ側のクーデターは正しくない、でも二つの人民共和国側のクーデターは正しい、ですからね。二重基準で話になりません。
あなたには言うまでもなく、五年で交代する大統領と、基本変更のない国土では、重要性がはるかに違います。分離主義者達が勝手にやった偽の住民投票程度で決められるものではないはずです。
ウクライナ東部では、ウクライナ暫定政府を支持しない人々が多かったのですが、分離独立運動を支持しない人々のほうがもっと多かったとされています。ここがあまり指摘されていないことを、本当に嘆きたいです。
当時の悪質な住民投票はロシアの四州併合の住民投票と同様、不正があったのでしょう……と言うより、やりかたが卑怯なロシアと一緒です。
あと、ウクライナの当時の大統領の追放が違反であろうとなかろうと、ロシアが武力でウクライナ領を奪うのは論外です。ここを間違えてはいけませんよね。
M4A2(76)Wレンドリース戦車「侵略者ロシアは撤退しろ」
ソ連に受領されたシャーマン。




