1ー5 スターフォビア スターゲイザー
SWD後の世界の夜は、早い…
日が暮れだすと人々は足早に家へと吸い込まれる様に帰っていく。バグダッド電池のおかげで夜でも灯りを手に入れる事が出来るというのに、だ。それには理由がある…
「あ、いけない…洗濯物、取り込むの忘れてたわ…」
不意におばさんがそう呟いた。
「あぁ…どうしましょう…夜中に通り雨でも降ってきたら…」
「大丈夫ですよ。星がきれいだし、西の空にも雲が無さそうだし…」
窓を開けて外を見渡すアユムに、おばさんは「ヒッ!」と悲鳴を上げ、慌てて窓から目をそらした。
「あ…バカ!だめでしょそんな事したら…!!」
思わずカオリが声を上げ、
「おばさん、洗濯物は私が取ってきます。」
「ごめんなさいね、カオリちゃん…」
「あ…だったら僕も手伝いま…す…」
そう言いかけたアユムをカオリとおばさんはじーーーーーっ、と生暖かい目で見つめた。
「あんた本当に無神経ね…」カオリが呆れた様に言い、
「あ……!!」アユムは思わず赤くなる。
おばさんも、「いいのよ…こんなおばさんの下着なんて見られても…」と言った。
「ぼ…僕、外、行ってきます。」アユムはドアから出ていき、カオリも洗濯物を取り込みにそれに続く。その背中に、おばさんの呟きが聞こえた。
「『スターゲイザー』…あの子もだったの…!?」
※ ※ ※
洗濯物を取り込んだカオリが、さっき出ていったアユムはどうしたかと探してみると、彼は畑のど真ん中に座り込んでいた。
「…何してんの…!?」カオリはアユムに声をかける。
「星を…見てたんです。」ちらとこちらを見てアユムが答えた。
「星…!?」何でこんな時にそんな物を…
「ほら…今夜はきれいだから…」
そう言ってアユムが見上げる先には、肉眼で見える限界まで見えるかの様な、全天に無数の星々。
北海道の空は、天然のプラネタリウム。
現在時刻は午後8時頃。一般に、「この季節の星座」とされる星座が、天に並んでいる。
「それにしても…あんたもなのね…」
その全天の星を目の前に平然としていられるアユムにカオリは言った。そう言うカオリも、特に普段と変わった様子はない。
「…カオリさんもだったんですか…『スターゲイザー』…」
SWD後の世界の夜は早い。特に東アジア一帯においては…
それはとりもなおさず、SWDが、夜に発生し、空から幾筋もの流れ星が降って来て、彼らの世界を破壊してしまった悪夢の様な光景を見てしまったため、多くの者たちが『スターフォビア』…夜空、特に星空に対して強いトラウマを抱いているためである。彼らは夜に外に出ることすら出来ない。特に今夜のような星のきれいな晴れた夜は…
だが、そんな中にも、様々な理由から星空へのトラウマを受けなかった者たちがおり、彼らは俗に、『スターゲイザー』と呼ばれているのだ。アユムと、そしてカオリも『スターゲイザー』らしい。
「…僕は昔から、星を見るのが大好きでしたからね。SWDを直に見たのに、トラウマを受けずに済みました。」
「そんな単純な物なのかしら…私は…色々あってね…」
それからカオリはアユムが見ている方向の空を見上げ、
「それにしても…きれいよね…」
と、言った。
「そうですよね…きれいですよね…」
アユムは眼前の星々に目を向けたまま答えた。
「…本当に良かったですよ…こんなきれいな物を見る事が出来なくならなくて…」
「スターゲイザーは奇人変人の代名詞みたいな感じで呼ばれてるからね…」
「ひどいじゃないですか、カオリさん…あなたもその一人のくせに…」
アユムはふくれて見せた。
「あ…あれ、北斗七星って奴?」
カオリはアユムが見上げている先にある、ひしゃく型の星の並びを指さした。
「違いますよ。あれは南斗六星。よく見てください。星が6つしか無いでしょう!?」
「あ…本当だ。」
それにそもそも2人が見上げているのは南の方角だ。そこにあったのは、柄を上、水を掬う器を下にしたひしゃく型の6つの星。ただし、器にあたる部分は四角形に並ぶ4つの星だが、そこから上に伸びる柄にあたる部分の星が2つしか無い。
「あの辺はいて座…上半身が人間で、下半身が馬の、ケンタウロスと呼ばれる想像上の生き物を形どった物です。」
「…何をどうやったら、そういう風に見えるのかしら…」
「まぁ、星座って、そういうのが多いですけどね…僕に言わせれば、あれは、ディーポッドとスプーンですけど…」
「ティーポッドと…スプーン…!?」
「これは星座好きの間では、結構有名な話なんですけど…ほら…あの南斗六星がスプーンで、南斗六星と、その右にある星をつなぎ合わせたら、南斗六星の器部分が持ち手、右側に注ぎ口があるティーポッドに見えませんか!?」
普段ネガティブなアユムの言葉が熱を帯びてくる。
「ふぅん…言われてみれば…」
カオリはアユムの隣に座り込む。機械いじり好きなオタクかと思っていたが、意外な一面も持ってるのね…
「それから…あっちを見てください。」アユムはいて座…ティーポッドとスプーンの下を指差す。
「半円型に並ぶ星が見えませんか!?暗い星ばかりですけど…」
「言われてみれば…」
「あれはみなみのかんむり座。あれが紅茶につけるレモンだそうです。」
「へぇ…」カオリの声が段々と熱を帯びてきた。
「それから…あの辺りがボーっとほの明るいでしょう!?天の川…ミルキーウェイです。」
「紅茶に入れるミルクか…面白いわね!」
こんなに僕の話を聞いてくれた人は、肉親以外では始めてだ。北海道で住んでた街では、星座好きの趣味すら変わり者扱いで、いじめの理由になってたのに…
「ねぇ、あれってもしかして…」
カオリはアユムの腕に手を回して来た。アユムの二の腕に柔らかい物が触れる。
「え…ええ。さそり座です。」
顔が赤くなっているのに気づかれなかっただろうか…アユムは意識をいて座の右どなりのS字型の星々に向けた。
「あの赤いのがアンタレス…さそりの心臓にあたる一等星です。」
「やっぱり…あれが…」
「この季節、この時間に、南に見えている明るい星…そして…」
アユムの言葉の熱の芯に、冷えた氷の様な物が感じられた。
「…あなたはあの星の方へ行かなきゃならない…」
アユムの意思をカオリが代弁した。
「ええ…」
僕は行く。あのアンタレスの指す下へ
「それにしても…やっぱりあの夜の事は悲劇だったのよね…例え生き残れても、こんなきれいな星を見上げる事すら出来ない人が大勢現れて、あんたみたいに住処に帰れない人が大勢現れて…本当、宇宙戦争のとばっちりでひどい目に会ったわね…」
しみじみと言うカオリに、アユムは、
「そ…そう言えば、地球の表面の内、陸地はたった3割で、その大部分が人の住めない砂漠とかで、なのにあの夜…」
「あ!いっけなーい!!」
アユムの言葉はカオリの大声で遮られた。
「私、おばさんにあんたを探しに行くって言って出たんだった!」
カオリはがばっ!と立ち上がる。
「そ…それじゃ帰らなきゃ!おばさんも心配してるでしょうし…」
「そうね。じゃあ…帰りましょう。」
カオリはアユムの手を取り、立つ様に促す。
「あ……」
その温みにドキっとするアユム。無数の星々だけが、2人を見ていた。