4ー8 アンタレスの指す下へ
もうどれくらい経っただろうか…
津軽海峡の太陽は西の空低くで夕日になっている。
そのど真ん中に浮かぶ、うつ伏せのアレッツ1機。海のあをに染まり漂う群青色の機体色が、悲しいくらいに迷彩色になっていた。
「……」
「………」
機体の上には1組の男女…うつ伏せにヘタるアユムと、仰向けに粗い息をするカオリ。2人はピクリとも動かない。カオリに至ってはだらんと下げた左腕が海中に浸かっているのもお構い無しだ。アレッツのボートをオールで漕いで津軽半島へ渡ろうとしているのだ。辺りは暗くなりかけているが、方向が分からない訳ではない。沈む太陽を左手に見ながら進めば、多分、南へ行ける。その体力が、もう無いのだ…
これでもう…正真正銘の遭難だ…
「カオリ…さん…」
「なぁ…に!?」
「僕……もう…駄目…かも…しれま…せ…ん………」
「………」
「空に…魚が…泳いでるのが…見えます…」
「奇遇…ね…あたし…にも…見える…わ………」
「紫の、ですか…!?」
「うん……」
「………」
「………」
「「魚………!?」」
2人は起き上がって顔を見合わせ、そして、アユムのアレッツが向かう方向…南の津軽半島の方をじっと見つめる…
ほんの数時間前に嫌になるくらい見た魚型アレッツが、空を飛んでいた。
「なんだあれは…あ!お、おーーい、おーーーーい!!」
「助けて〜〜〜っ!!」
残った力を振り絞って、必死に手を降るアユムとカオリ。
紫色の魚型アレッツは、アユム機の直前で空中停止する。ネットのアレッツ改造サイトに掲載されている、水陸両用魚型可変アレッツそっくりだが、様々な箇所がより洗練された流線型をしている。
「救難信号を出したのはアナタ達!?」
魚型アレッツから男の人の声がした。
(救難信号…アユム…いつの間にそんな物を…)
呆然として沈黙するアユムに、魚型アレッツは、
「…まぁ、いいワ。助けてあげるから、コクピットに入りなさい。」
「は…はい…」
この人、声は男なのに何で女言葉なんだろう…言われるままにコクピットに入り直す2人。
魚型アレッツは空中で反転し、後ろを向くと、
機体の両脇から、2本のワイヤーを、アユム機へと射出する。
「ワイヤーガン…!?」
「このまま向こう岸まで曳いてあげるワ。」
アユム機を牽引して飛ぶ魚型アレッツ。アユム機のコクピットのスクリーンで、その後姿が頼もしく見えた。向こう岸がすごいスピードで近づいて来る…
「た………」
「助かったぁぁぁぁ………」
アユムとカオリから同時に安堵の声が上がった。
※ ※ ※
津軽半島突端の海岸…
「生きてもう一度地面を踏めるなんて…」
狂喜するアユムを、カオリは、「アユム…」と、ひじで突いた。
「あ…」
アユムはカオリの隣に並ぶ。その前に、
あの魚型アレッツがゆっくりと降りて来た。
後ろの胴体と尾ビレに見える部分を、90度回転させて下に下ろし、上下に広げていた胴体と尾ビレを前へ折りたたみ、脚に変形させ、胴体横に沿わせて折りたたんでいた両腕を下に降ろし、紫の人型になり…着地。水陸両用型が変形した半魚人アレッツに似てるが、両腕が普通のマニピュレータで、より人間に近く見える。
「お辞儀は90度、5秒以上よ。」「わ…分かってます。」
コクピットからパイロットが出て来ると、
「「助けていただき、ありがとうございました!!」」
90度のお辞儀を、5秒。
「そんな…同じアレッツ乗りなんでしょう!?困った時はお互い様ヨ。でももう、あんなアブナイ事しちゃダメヨ。」
顔を上げてみると魚型可変アレッツのパイロットは190cm近い大柄な男性。だがやはり、何故か女言葉だ。そのせいか筋肉質なのに柔和な印象を与える。
「本当に助かりました。ところで…」
それからアユムは早口でまくし立てる様に、
「これ、空中飛行型可変アレッツですか!?もしかしてアレッツ改造サイトに出てる水陸両用魚型可変アレッツの本来の姿が、これなのでは無いですか!?潜水深度調整用の反重力航行装置が、本来は空中飛行用で、水流操作機能が気流制御用で、ベルヌーイの定理で作った差圧で揚力を得ていて…すごい、すごいすごい!!この機体、一体どうやって…ぐぁ!」
最後はカオリに足を踏まれて悲鳴を上げる。
「アユム!す…すみません…」
大柄な男はクスっと笑って、
「賢い子ネ…全部正解ヨ。あと、褒めてくれてアリガト。でもこれ以上はヒ・ミ・ツ。」
ウィンクした。
「それに…あなたのアレッツも、結構ステキな物、持ってるじゃない…」
と、海岸に打ち上げられた状態のアユム機を、意味深な目で見つめる。
「縁があったら、あなたの機体も見せてネ!それじゃあ!!」
投げキッスしてコクピットに消える男。紫の可変飛行アレッツは再び魚型に変形し、南の空へ飛んでいく。
「………あの人もスターゲイザーなのかな…!?」
東の空には、もう、一番星が光っていた。
※ ※ ※
夜…近くの廃墟で野宿する事にした2人…
「カオリさん…本当に、これで良かったんですか!?」
不意にアユムそう言った。
「ん!?」
「北海道の…函館ー旭川間の鉄道には、特急が無いんです…新幹線が延伸された時、並走区間の特急は、合理化で廃止されたそうなんです。」
「………」
「内地から旭川…カオリさんが住んでた村まで行くには、新幹線で直行した方が早いんです。なのに…記憶を失う前のカオリさんは、函館で新幹線を降り、旭川の近くまで来ていた。それは気ままな途中下車を繰り返す旅だったのか、それとも…当ての無い旅だったのか…」
もしそれが本当なら、記憶を失う前の彼女は、一体どんな心情で旅をしていたのだろうか…!?
「カオリさん…本当にこれで良かったんですか!?カオリさん怖くないですか…!?自分が本当は、どんな人間だったかを知るのが…!?」
カオリはかすかに微笑み、指でアユムの額をピン!とはじく。
「痛っ!!」
思わず額を押さえるアユムに、カオリは南の空を指差す。山の向こうに登っている、S字型の星の並び、そしてその中心にある赤い星。その星の名前は、アユムに教えてもらった…
「ほんの少しだけど近づけたよ。あのアンタレスの指す下へ。」
「カオリさん…」
「…もう旅を始めてしまったんだ。もうここまでたどり着けたんだ。どんな答えが待っていようと、受け止めてやるわ…
どこかであたしを待ってる誰かのために、あたしを堕とした理不尽な運命に一泡吹かせてやるために、あたしは故郷を探し、たどり着く!」
「そう…ですね…」
アユムはぎこちなく微笑んだ。
「明日から半島を南下します。そして街に着いたら、本屋なり図書館なりの廃墟を探して、そこで…この辺の地図と、小京都に関する本を手に入れましょう。」
「アユム…」
「大丈夫です。僕と、僕のアレッツが、必ずカオリさんを守りますよ…あなたの故郷だって、きっと見つかります。」
「アユム…ありがとう…」
それから2人はしばらく星を眺めて…眠りについた。
※ ※ ※
2人は行く、南天に輝く一等星の指す下へ。
2人は歩む、この壊れた世界を。
2人は征く、あの夜、真っ逆さまに落ちてきた、星の欠片を携えて…
第一部 北海道編 完




