23ー13 心の墓碑銘
気がついた時、アユムはベッドに寝かされていた。
まず、目に飛び込んだのは、見覚えのあるような天井。部屋の様子も、見覚えがあるような気がした。
部屋は薄暗かった。昼だけどカーテンを閉めているからだろうか、夜だけど灯りが灯っているからだろうか。
(何でこんな所にいるんだろうか。僕は確か、『あいつ』を庇おうとして逆に蹴られたはずなのに…)
その時、アユムはようやく、側に誰かが立っているのに気づいた。
髪を伸び放題に伸ばした、気弱そうな男…
『生きたおもちゃ』と名乗っていた、『あいつ』…
「お、お前…」
アユムは言った。
「お前、無事だったんだな。僕を心配して看に来てくれたのか…ま、まあ、大丈夫みたいだ。蹴ったのお前だけど…」
『生きたおもちゃ』は無表情でアユムの言葉を聞いていた。
「そ、そうだ!!こうしちゃいられない!!お前、今すぐここから逃げるんだ!!ここにいると知られたらお前、みんながやって来てひどい目に合わされるぞ。」
『生きたおもちゃ』は何も言わない。
「僕のスクーターをやる。あれに乗って、日本海側でも、関西でも、お前を知る者が誰もいない場所へ逃げろ!そして、今までの事を全部忘れて、穏やかに暮らせ!!今度こそ、幸せになるんだぞ!!」
『生きたおもちゃ』は、穏やかに微笑み、そして、口元がゆっくりと動き、ある名前を紡ぐ。
恐らくは、これをつけた人間の、ささやかな願いと祝福が込められた名前を…
「え…!?何だって…!?」
アユムはその言葉の意味を測りかねていると、
『生きたおもちゃ』は、スっ、と、アユムの元から離れていった。
「あ、おい、待てよ、い、今の名前、一体何なんだ…待てよ、待…」
※ ※ ※
「待て…」
アユムは目が覚めた。が、視界はぼやけて見えた。どこかの部屋で、その天井が見えているのだろうが、ぼんやりとしか見えない。そして何故か、足が重い…
(眼鏡…)
アユムは枕元をさぐり、眼鏡を見つけると顔にかける。そしてようやく、ここがさっきまでいたと同じ部屋である事に気付いた。
『あいつ』…『生きたおもちゃ』は、どこにもいなかった。
それにしても…何故、足が重いんだろう…重いというより、温かい様な、柔らかい様な…
「あ………」
見ると、ベッドの脇に、カオリが椅子に腰掛け、上半身をアユムの足にもたれさせて眠っていた。このせいだったのだ…
「ん………!?」
アユムが上半身を起き上がらせたため、足にもたれかかっていたカオリも気づいて目が覚め、そして…アユムが目覚めた事に気づく。
「アユ……ム………」
驚きで目を丸くするカオリ。
「カオリ…さん…!?」
どうしてあなたが…!?そしてようやくアユムは自分が彼女にひどい事を言った事を思い出す。
「アユムっ!!」
カオリの両手が振り上げられる。
「………っ!!」
殴られると思って身構えたアユムだったが………
「………アユム…」
カオリはアユムに抱きついた…
「カオリ………さん…!?」
戸惑うアユム。彼に抱きつくカオリは泣いている様だった。
「…お願い…アユム………もう…あんな無茶な事はしないで………」
「カオリさん………」
アユムは戸惑いながらも両手を恐る恐るカオリの背中に回そうとして………
「その子に感謝するんだな!!」
部屋の入口の方で声がした。医者をやってる折場ダンさんだ。
「気絶したお前を連れて俺の所に駆け込んで、面倒は全部自分が診るから置いてくれと頼み込まれたんだが………お邪魔だったか!?」
「そ…ソンナコトアリマセン…」
「わ…私達も丁度離れようとしてたところです…」
慌てて離れる2人。
※ ※ ※
あの戦いの最後に気を失った後、カオリが気絶していたアユムをずっと看病してくれていたらしい。ここは折場さんの病院…という事は、大宮か…部屋や天井に見覚えがあるのも納得だ…
「…一週間よ!あれから…あんた全然目を覚まさないんだもん…もうこのまま死んじゃうんじゃないかって心配したんだから…」
カオリの目は充血し目元には隈、そしてさっきの涙の跡が着いていた。本当にさっきのも看病疲れで眠ってしまっていたらしい。
「本当に、ありがとうございます、カオリさん…」
「相川君、そのくらいにしてやれ。彼のおかげで、世界は救われたんだからな…」
折場さんがそう言われて、カオリも、
「そうね…本当、有言実行しちゃうんだもんね、あんた………」
2人に言われて、アユムはようやく自分が何をしたのか、実感が持てた。
世界を滅ぼそうとする『生きたおもちゃ』の野望を阻止した。
「危ない橋を渡りました…カオリさんにもひどい事言って…なのに僕の看病をしてくれて…」
アユムのその言葉にカオリはニッコリ笑って、
「そう思うんだったら、これからその貸しはゆっくりと返してもらうからね…」
「はい…」
アユムは嬉しかった。これからもカオリとは友人でいられるらしい…友人と言えば…
「…『あいつ』にも、お礼を言わないと…」
ボソっと言ったアユムに、カオリは怪訝な顔で、
「『あいつ』…!?」
「『あいつ』ですよ…」それからアユムはカオリの耳元で、「………『生きたおもちゃ』。」
「………っ!!」
途端にカオリの顔が強張る。
「…『あいつ』、今、どこにいるんでしょうね…」
世界を滅ぼそうとして、現に東京を滅ぼした『あいつ』だったが、見舞いに来てくれたという事は、許してもらえたのだろう。今頃、僕のスクーターで、どこかに逃げたのか…
「アユム………」
カオリは眉をひそめる。そう言えばとアユムは思った。僕はあの時、眼鏡を外していたのに、どうして部屋や『あいつ』の様子を鮮明に見えたのだろう…
※ ※ ※
スクーターで南下すること数十分、旧東京都新宿…
『あたしは見に行くのをあんまりおすすめしないんだけど…』そう言っていたカオリだったが、アユムを心配して着いてきてくれた。
そこにあったのは…
十字架にかけられた、人間の頭と胴体。その周りで大勢の人が、口々に罵声を浴びせながら、その人間の胴体に石を投げたり、棒で叩いたりしていた。千切れた手足と思しき肉のついた骨片も、そこかしこに点在している。
「あ………」
アユムは、そう言うのがやっとだった。殴られてブクブクに膨れ上がった顔は最早判別不可能だったが、特徴的な伸ばし放題の髪は…あれは、間違いなく、『あいつ』だろう…
「……まるで壊れたおもちゃみたいだろう…!?でも、俺の女房と娘の最期も、あんな酷いもんだったぜ…」
側で見ていた男が、アユムに言った。アユムが『生きたおもちゃ』と最後の決着を着けた後、『生きたおもちゃ』に最初に石を投げた、あの男だった。
「…あれからもう1週間経つのに、まだあんな状況さ…入れ替わり立ち替わり誰かがやって来て、殴ったり突いたり………3日目くらいには、もう何の反応もしなくなってたから、その頃死んだんじゃねぇのかなぁ!?それでもなお、あいつは誰かに殴られ、突かれ続けてるんだぜ…ま、自業自得だよな。それだけの事をしちまったんだし、あいつは………」
カオリは目を背け、アユムはその場にへたり込んだ。そんなアユムに男は、
「…言っとくけどな、『スーパーノヴァ』、あんたは優しい人みたいだから、あいつを殺せないあんたの代わりに、俺達がやってやったんだぜ…もう、ああでもしないと、誰もあいつを許せないからな…それと、妙な事を考えんじゃねぇぞ。あいつ等を止めたら、矛先はお前に向くぜ。現にお前が『生きたおもちゃ』を庇った事を不審がって、仲間じゃないかと疑ってる奴もいたしな…お前に何かあったら、その子にも迷惑がかかるし、『生きたおもちゃ』だって、多分それを望まねぇ。」
アユムは男の言葉を、遥か向こうのいたぶられる肉人形をじっと見つめたまま聞いていた。
「…じゃあ、俺はもう行くぜ。女房子供を殺されたあいつへの恨みが晴れた訳じゃねぇけど、今のあいつ等を見て、流石に虚しくなったわ…」
そう言って、男は去って行った…
「…あたし達も行きましょう…」
カオリはそう促したが、アユムはゆっくりと立ち上がり、ブリスターバッグを取り出す。
「な、何をするつもり、アユム!?」
「………あいつを…殺して来ます。」
アユムは決意のこもった顔でそう言った。
「…僕があいつを殺せなかったから、あいつはただ死ぬより酷い目に会ってるんだ…だからあいつを、ちゃんと殺して来ます!!」
※ ※ ※
キ ィ ィ ィ ィ ィ … !!
突如、新宿だった荒野をホバリングで現れた濃紺色のアレッツ、『スーパーノヴァ・エクスプロージョン』。機体はまっすぐ、磔刑に処せられた『生きたおもちゃ』だった死体の側までやって来た。
それまで『生きたおもちゃ』の死体をいたぶっていた通行人たちは、世界を救った英雄の登場に驚きながらも、その機体が右手に傘の様な武器を持っており、左手を横に振り、『離れろ』とハンドサインを送ったのを見て、慌てて死体の周囲から離れて行った。
コクピット内のアユムは思った。
(墓を作れば墓が汚される。死体を残せば死体が汚される。僕が『そんな事止めて下さい』と言ったところで、聞いてくれる訳が無い。)
『スーパーノヴァ・エクスプロージョン』はアンブレラウェポンを『生きたおもちゃ』の死体へと向ける。
(『あいつ』を安らかな眠りにつかせるには…この世に、あいつがいた痕跡を、何一つ残してはいけないんだ………)
タ ァ ァ ァ ァ ン!! アンブレラウェポンの先端から光弾が発せられ、その一撃を受けて『生きたおもちゃ』の死体は一瞬で蒸発する。後には炭すら残らなかった。
おおお〜〜〜っ!! パチパチパチ…!! 一部始終を見ていた者達には、世界を滅ぼそうとした『生きたおもちゃ』を倒した『スーパーノヴァ』が、最後の一撃を食らわせたと映り、無邪気な歓声と拍手が起こった。その真意を理解する者など、誰もいなかった。
『スーパーノヴァ・エクスプロージョン』は、無言で踵を返すと、何処ともなく去って行った。
※ ※ ※
アユムがアレッツを降り、ブリスターバッグに収納すると、
「お疲れ様、アユム。」
そこにはカオリが待っていた。
アユムは空を見上げる。夕焼けはもう暗くなっていて、東の空にはもう星が瞬いていた。みなみのうお座の一等星、フォーマルハウト。みんなが何気なく見ている星々にも、ちゃんと名前はある。滲んだ星空を見上げながら、アユムは思った。
(生涯、僕の心の中だけに留めておこう。『あいつ』の苦しみも、僕の『あいつ』への思いも、僕だけに教えてくれた、『あいつ』の本当の名前も…)




