19-6 お前に好きな人はいるか
アユムが去った後、どのくらい、仰向けに倒れてたろうか。
叫び疲れて、もがき疲れて…
気が付くとダイダは、うつ伏せに倒れていた。
顔を上げる。誰か立ってた。そこにいたのは、
「渡…会………」
ダイダの目の前に、アユムが立っていた。 ダイダを見下し、蔑んだ目で…
「渡会…来てくるるぇたのか…」
手も足も力も失っちまった…俺にはもう、お前ぇしかねぇ…
しかしアユムは醒めた声で言った。
「ダイダ…よく、ストレス発散のためにいじめをやるって言うよな…僕の知り合い…お前も東北で会った最上さんの同僚が言ってたんだけど、いじめや暴力は強烈な快楽で、一度味わったら、もう二度とそれより弱い快楽では満足できないって…」
ダイダは突然アユムが何を言い出したのか分からなかったが、
「お…おう…お前ぇを北海道でいじめてた頃は楽しかったなぁぁ…ぐぇへへへ…」
と、下卑た笑いを力無く浮かべた。そんなダイダを汚い物を見るかの様な目で見下し、アユムは言った。
「…僕、思うんだけど、じつはいじめや暴力では、ストレスは発散されないんじゃないか…!?」
「え…!?」
「ストレスは発散されず、誰かを傷つけた罪悪感と、殴った手の痛みでますますストレスを溜め込んで、そのストレス発散のつもりで、ますますいじめや暴力をエスカレートさせる…それが、いじめの正体なんじゃないかな…だとしたら、こんなに馬鹿げた事は無いよな…」
「な…何、言ってんだ、渡会…」
最盛期の膂力をあらかた失った今のダイダは、話をするのも苦痛だ。
「ダイダ…お前、好きな人はいるか!?」
アユムは唐突にそう言った。
「は…今度は何だ、渡会…」
「答えろよ。好きな人はいるのか!?」
「い…一度、半グレの親分に連れられて風俗の店に行った事があるぜぇ…もっとも、ちょーーーっとハードなSMプレイをさせたるるぁ出禁になっちまったがなぁ…ぐぇへへへ…」
「…無いんだな。」
アユムに言われてダイダは思った。俺が好きな奴…北海道での野盗時代の手下…違うな。半々グレの同僚や親分…違う。中坊の時のいじめの仲間…違う。おふくろや先生…論外。
「じゃあ…嫌いな奴はいるか!?」
「そりゃぁ…」
言いかけてダイダはハッとした。俺は渡会の事が嫌いだったのか!?叩いて壊して遊ぶおもちゃに好きも嫌いもある訳が無い。ダイダが何も言えずにいるとアユムは、
「それも…いないんだな。つまり…お前は今までに人を好きになった事も、嫌いになった事も無かったんだな…」
道徳の教科書かよ…説教かよ…いつもなら笑い飛ばすところだが…
「僕の人生には今まで、いじめの加害者と扇動者と傍観者しかいなかった。でもダイダ、お前のこれまでの人生には、いじめの被害者と扇動者と傍観者しかいなかったんだな…」
…何故かそれが、とてつもなく恥ずべき事に思えてきた。
「まあ、ひたすら弱い者いじめに明け暮れてたお前が、誰かを好きになるなんて出来る訳無いよな…」
そしてアユムの唇が動き、ある屈辱的な言葉を紡ぐ。
「かわい…そうに………」
※ ※ ※
「ガ ァ っ ! !」
ダイダの脳内の血液が沸騰した次の瞬間、ダイダは再び仰向けに倒れており、周囲にアユムの姿は無かった。まるで最初からいなかったかの様に…
「渡会…」
ダイダはアユムの名を呼んだ。最初は力無く、
「渡会、渡会…」
段々と力をこめて、恨みをこめて…
「渡会ィィィィィィィィィ〜〜〜っ!!」
残った力を振り絞って、左拳を握り、仰向けのままダイダは背中の地面を叩き続けた。人を好きになった事も、嫌いになった事も無い男、ダイダは、この日、産まれて初めて、
殺したいくらい、誰かを嫌いになった。
※ ※ ※
「あんな姿になってなお、いじめる誰かを求めるなんて…」
ダイダと別れた後、村へと戻る道を二人並んで歩くアユムとカオリ。
「いじめは、ある日突然、何の咎もなく理不尽に叩き落される地獄。でも、僕を地獄に落とした獄卒も、紛い物の快楽に囚われて、似た様な地獄に堕ちた愚物だった…」
はるか後ろのダイダのアレッツは、小さく見えなくなってしまった。代わって左手には、みんなで造った水車、前の方には、折場ダンさん達が住む村が見えてきた。
「カオリさん、その…うまく言えないけど…」
歩きながら、不意にアユムが言った。
「なあに!?」
「その…ダイダの事は、これでおしまいにしようと思います…」
「………」
カオリは何も言わず、アユムの次の言葉を待ってくれた。
「…ダイダとの事は、今までも、もう済んだ事だと思ってました。両親と仙台へ越してきた時に、北海道で初めてあいつを倒した時に、津軽海峡や、奥羽山脈の時に…でも、多分、心のどこかに、中学までの嫌な思いが残ってたんだと思います。」
2人の背後には低くなった西日。秋も深まり、日が暮れるのも早い。長い影法師が、2人の足元から目の前の村へ伸びる。
「…でも、ダイダがあんな事になったからには、僕もこのモヤモヤを捨てて、前を向いて進まないと…
僕は、あんな奴と関わるために、産まれてきたんじゃない!!」
村外れの家路を急ぐ人影が見えるようになってきた。彼等もこっちに気づいて会釈してくる。
「…そっか…」
カオリはにっこりと微笑み、
「じゃあ…行こう、アユム!!」
不意にカオリは、並んで歩くアユムの手を握り、引っ張るように村へと駆け出す。
「わわっ!?か、カオリさん…!?」
慌てるアユム。
「あんたも走りなさい!!前を向いて進むって決めたんでしょう!?」
「カオリさん、み、みんなが見てます!!は、恥ずかしいですって…!!」
村のみんなが仲の良い2人を見て微笑んでる。アユムの手を引くカオリも何故か誇らしげだ。
(アユム…あんたはすごい子なんだよ…何たって、
人を好きになるために、ここまで旅して来たんだからね…!!)




