005 月明かりでの晩餐
いつの間にか、夜になっていた。
ソラカラはベッドから起き上がると、真っ暗の部屋をぼーっと眺めていた。
段々と暗闇に慣れ、夜目が効いてくる。
窓の外は月明かりに照らされて、ほんのりと発光していた。
ドアを開けて、居間へ移動する。
そこは、驚くほど明るかった。
これも、魔法だろうか。
『起きたね。ちょうど夕飯ができたところだ。まずは食べようじゃないか』
魔女は大皿を2枚、手に持って外へ行く。
『そこにあるティーポットとコップを持ってきてくれるかい』
テーブルに置かれた透明のティーポットには琥珀色の紅茶がたっぷりと入っていた。
それを持って、魔女に続く。
『今日は満月だからね、外で食べるのもいいだろう』
ソーセージが2つと半分のゆで卵が2つ、野菜の盛り合わせと黒パンがワンプレートになっていた。
魔女がキセルをさっと振り、小さな呪文を唱えると、外のテーブル一帯がふわりと明るくなった。
さすがに月明かりだけで食事をするには暗すぎると思ったが、魔女もきっと同じように思ったのだろう。
椅子に座ると、魔女はサラダから食べ始めた。ソラカラは手を揃えてから食べ始める。
『朝もそうやって手を揃えていたね。なんだい、それは』
「なんでしょう、習慣のようなものだと思います」
ソラカラにもわからなかったが、食べ始めようとすると自然と手を揃えていた。
記憶のカケラなのかもしれない、と思った。
『それで、どんなのと契約したんだい?』
「ベビーサラマンダーです。小さなトカゲのような」
『へえ、随分と大物が寄ってきたね。すごいじゃないか。名付けも気に入ってもらえたのかい。名前が気に入らないと失敗することもあるからね』
ソラカラはぎょっとした。
イフリートが助け舟を出してくれなかったら、もしかすると失敗だったのかもしれない。
「ターオ、と名付けました。実は最初トカゲって名前にしようとしたらがっかりされちゃって」
『……なんて恐ろしい。無知とは怖いものだね。まあ、ターオとはいい名じゃないか。精霊は伸びる音を好むからね』
「ターオは、太陽を文字ったみたいです」
『ふむ、他人事のように言うね』
「トカゲがダメで、次に太陽と名付けようと思ったんですけど、イフリートさんにターオって直されちゃって。でもわたし、伸びる音がいいなんて知らなかったから」
ドンッ
『なんだって!!』
テーブルを叩いて魔女は立ち上がった。
『イフリート、そう言ったかい?』
魔女の目が据わっている。
「え、ああ、はい。イフリートさんがなにか?」
精霊の名付けについて教えてくれなかった事への、ちょっとした嫌味に怒ったわけじゃないと知り、ソラカラはほっとした。
小心者のくせに、一言多いソラカラだった。
新しい環境に早くも馴染んできた、とも言える。
まさか、イフリートが出てくるとは。
魔女は心の中で舌打ちする羽目になった。
『イフリートは最高位の火の精霊だよ。悪魔のような性格で、人が壊れるのを眺めることが好きだという悪趣味なやつさ。その上こっちの遊び心は理解しない。よく戻ったね。もうちょっと詳しく教えておくれ』
たしかに、ソラカラが壊れなかったことに残念がっていた。
ぞわり。鳥肌が立つ。
ソラカラは、覚えている限り詳しく説明した。
ただ、2択については黙っていた。
『ちょっと解せないが、まあ気に入ってベビーサラマンダーを紹介してくれたってことか。何か変な約束はしなかったかい?』
「特には」
さらっと答えた。嘘ではない。約束はしていない。
2択で変なことを教えられただけだ。
「そういえば、わたしの記憶が虫喰い状態で老人のようだと言ってました。なにかわかりますか?」
『記憶の虫喰い。ふむ、歳と共に記憶が欠けていくことを、そんな風に言うこともある。稀に若い者にもかかる病気だ。イフリートがそう言ったなら、記憶喪失の原因ということも考えられる』
記憶喪失の原因は、魔女が呼んだせいとイフリートは言っていたが、たしかに虫喰いのせいで記憶が戻らないようなことも言っていた。
それなら記憶が無い原因は、魔女のせいではないのかもしれない。
ソラカラは混乱した。
イフリートはわざと誤解を招く言い方をして、謎が生まれる余白をつくり、ソラカラの解釈を楽しんだ。
それがイフリートという精霊だった。
『昨日、ここへ来てからのことは覚えているかい?』
「はい、覚えてます。魔法の話も、精霊とのやり取りも」
『おや、そうかね。魔法の系統は覚えているかい?全部でいくつか言ってごらんよ』
「火、水、土、風、雷に、光、闇、時の、全部で8つです」
『やるじゃないか、完璧だ。ふむ、となると、病気の線は薄いか』
次元を超えて肉体を再生させながら若返ったお陰で、記憶を忘れる老化現象もなくなっていたが、消えた記憶までは戻らなかった。
一部、魂にまで刻まれた記憶が戻るくらいだ。
むしろ肉体と共に脳も若返り、記憶力は若かりし頃と同じまでに復活していた。
いや、脳の容量が空いたおかげで、以前より良くなっているかもしれない。
少なくとも、今のソラカラは健康そのものだった。
次の日。
『火無しの魔女さま、薬を頂きに参りました』
朝食を片付け終わった頃に、体の大きな男がやってきた。
手に持っていた鳥籠を、外にあるテーブルへ丁重に置く。
鳥籠には黄色い小鳥が入っていた。
次に背負っていたパンパンの大型リュックをそっと下ろし、外のベンチへ腰掛けた。
そして座ったまま、荷物をどんどんテーブルの上に積み上げていく。
『ああ、ご苦労だったね。ちょっと待っとくれ』
ドアを開けて、男へ一声かけた。
そしてキッチンへ行くと客用のコップを取り出す。
ソラカラは濡れた手をふき、魔女に訪ねた。
「お客様ですか?」
『商人さ。そこにある瓶が入った籠を持って、ソラカラもちょっとおいで』
薬草茶の入ったコップを手に、魔女は外へ出た。
小さな瓶がたくさん入った籠を手に、ソラカラも続く。
『はじめまして』
商人は被っていた帽子を手に取って、丁寧に挨拶した。
人の良さそうな笑顔の、がっしりとした大男だ。
働き盛りのおじさん世代にみえた。
ソラカラはぺこり、と無言でお辞儀をする。
『火無し魔女さまの娘さんですか? いや、お弟子さんかな。どうも、私はリドーと申します。たまに魔女さまに呼ばれまして、商売をさせていただく商人です。以後、お見知り置きを』
「……………………あの、魔女さん通訳をお願いしても?」