002 火無し魔女の魔法講義
朝日で目が覚めた。
昨晩、夕飯を食べて終えてから、魔女はソラカラを部屋へと案内した。
『この部屋は空いているから、好きに使ったらいい。掃除は自分でしとくれ』
少し埃っぽいが、物置小屋ではなく、きちんとした客間だ。
1人用のベッドは清潔なシーツがひかれていた。
枕が2つと、パッチワークの掛け布団。魔女の手作りだろうか。
木製棚には引き出しが2つ。上段にタオルや歯ブラシが、下段に着替えが入っていた。
けれど魔女サイズの服は小さすぎて、着替えることはできなかった。
カーテンが無いせいで、部屋は日の出と共に明るくなった。
窓を開けると、涼やかな風が入り込む。
いい天気だ。
記憶を思い出すことはできなくても、朝すべきことは体が覚えている。
裏手の井戸で顔を洗い、歯を磨いた。
井戸の側には家庭菜園があり、魔女が真っ赤に熟したトマトを収穫していた。
『起きたね、おはようさん』
無表情まま、魔女が挨拶する。
今日はくすんだ赤茶色のワンピース姿だ。
『おはようございます、魔女さん』
すっきりした顔で、ソラカラが返す。
『ベーコンと目玉焼きの調理は頼めるかい?』
「はい、大丈夫だと思います」
『ふむ、家事の分担は悪かないね』
キッチンは明らかに魔女の身長にあっていなかった。
踏み台を何度もずらしながら調理するのは、たしかに大変そうだ。
「油、どこですか?」
壁に吊るされたフライパンに手を伸ばす。
『無いからヤギバターを使っておくれ』
魔女はおもむろに横長の箱を開ける。中から冷気が出てきた。
電源コードはない。魔法で維持された冷蔵庫だ。
渡されたバターは、ちゃんと冷たかった。
『火魔法はできなくね、コンロは火打ち石でやっとくれ』
ソラカラは黒光りする石を渡される。
しかし、ソラカラは困った顔をした。
「すみません、やり方がわからなくて」
記憶がないせいではない。日本人のほとんどが無理だろう。
『おや、貴族だったのかね…… じゃあ今日は私がやろう』
そう言って、魔女は手慣れた様子で火を起こした。
ふたりは簡単だが十分満足できる朝食をペロリと食べた。
そして、紅茶を入れたところで一息つく。
いよいよ、昨日の話の続きだ。
『さて、なにから話すかね』
ぽすっ。
魔女は指を組み、そこへ顎を乗せた。
その仕草が妙に可愛らしかった。
何度見ても8歳くらいの美少女だが、言葉の端々や雰囲気から、見た目通りの年齢では無いことがわかる。
いったい、いくつなのか。聞くのはもっと仲良くなってからの方が良いだろうと、黙って魔女の話を待った。
『まず質問に答えようか。この会話が成り立つ理由。それは、魔法さ』
やっぱり、とソラカラは思った。
己を魔女だと名乗る少女を漠然と受入れていた。
それは、不思議と頭に響く声のせいだったかもしれない。
なにより魔法、というキーワードにワクワクした。
『空から落ちてきた娘さんが、ちっとも動かないし声をかけても反応しないんで、頭に直接声を響かせて起こそうとしたんだ』
人差し指で、こめかみをトントンと叩く。
『頭へ声を送る時、言葉を魔力で圧縮するために視覚化するのさ。視覚化されたものが受け取った側の言語に再変換されるから、結果的に翻訳と同じ作用が起きる。それでソラカラは私の言葉がわかるってわけだ。だから最初、娘さんが聞いたことない言葉で話すから、驚いちまったよ』
「あれ? わたしの日本語はなんで?」
『娘さんの言葉も、私が受取り側で変換している。まあ応用ってやつだ』
ちょっと得意げだ。
「魔法はすごいですね。それなら、この魔法とザザ語、どちらを覚える方が難しいですか?」
ふん、と魔女は鼻で笑う。
『魔法の応用がいきなりできるもんかい。魔法より言語のほうがずっと易しい。面倒がらずにザザ語を覚えな』
これから火魔法を覚えなくてはいけないソラカラにとって、先が思いやられそうな話だった。
『ザザ語とニホン語は発音が似ているからね。類似する部分もあるだろう』
環境が似ているはずなんだから…… と魔女は小さく呟いた。
「ところで、わたしはなんで空から落ちてきたんでしょうか?」
『さてね』
魔女はほんの少しだけ、目を泳がせた。
『ザザ語は少しずつ教えてあげるから、魔法と一緒に覚えていきな。さて、次は魔法の基礎知識だね』
魔女はあからさまに話題を変えた。
『文字に残さない。丸暗記が魔法の決まりだ』
「魔法はすごいですね……」
ソラカラはげんなりした。
『まずは、系統からだよ』
魔女は、指を8つ立てた。
『火、水、土、風、雷の5つが、時、光、闇の3つを内包している。系統は全部で8つだ』
立てた指先につき1つずつ、魔法を可視化して見せていく。
左手薬指から親指へと順に、青、茶色、緑、黄色にそれぞれ燈った。
小指は立っているが、何も起きていない。
「火、水、土、風、ええと、あれあれ、光、闇。すみません、もう一回……」
魔女は待ってくれない。
『中の3つは原始魔法とも呼ばれ、強力で使い手も少ない』
そう言いながら右手の三本をチラッと見る。
親指に虹色、人差し指に白、中指に黒紫の灯火が燈った。
『火は使えなくてね』
なにも燈っていない左手の小指をピコピコと揺らす。
ソラカラは魔女の指を凝視した。
「青が水ですよね。茶色が土で、緑が風、と。この黄色はなんでしたっけ?」
『黄色は雷』
「火は?赤かしら?」
『ああそうさ、赤からオレンジくらいだ。使い手にもよるけどね』
「へえ、なるほど。虹色は?」
『虹色は時。白が光、黒紫は闇だ』
そういうと、灯っていた色とりどりな灯火がふと消えた。
『魔法は原則として精霊の持ち物だ。精霊の許しが無い者には扱えない。魔法の研究で、どうしても火の魔法が必要でね。私が契約していない火の精霊と契約して、火魔法で手伝ってほしいんだよ』
魔女の目つきが、変わった。
ソラカラはこれこそが本題なのだと、本能的にわかった。
「わたしは、なにをすればいいですか?」
魔女さんが契約すればいいじゃないですか、なんて無粋な質問はしない。
事情があるのだろうし、そもそも交換条件があるからお世話になれるのだ。
もし自分が役立たないとわかれば、このまま家を追い出されるかもしれない。
だから、なにがなんでも契約を成功させなくては、と意気込んだ。
魔女は厄介なことになったと思いながらも、自分にも利があるように動くしたたかさを持っていた。
善でも悪でもなく、魔女とは、そういう生き物なのだ。