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ライカンスロープ  作者: 葉倉千緒
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遠い、どこかの地での萌芽

季節は初夏が訪れたばかりだろうか、頬を優しく撫でる風が短い草も揺らす。


場所は日本でないようだ。果てしなく続く草原が青い空と交わっている。異国であることは間違いないようだ。


ほとんど緑一色の原に、一点の灰色があった。補色の関係ではないが、その灰色はあまりにも目立ちすぎた。


よくよく見ると、灰色は動いている。西も東もなく、灰色は緑の原を駆けている。生物だ。しかし、その駆け様は生命が持つ躍動感を伝えない。寧ろ、それは終焉に向かっているように思えた。


更に目を凝らしてみよう。灰色は、元は純白に近い色をしていたのだろう。所々に白さを思い起こすものが見える。何処を駆け抜けてきたかは知る由もないが、尖った木の枝が体に突き刺さり、前肢は鋭い葉で創傷ができ、足の裏に泥が錘となっていた。


開いたまま閉まらない口腔からは荒い息が漏れ、双眸も血走りだしていた。命の灯火が燃え尽きるまで、時間の問題であろう。灰色は走ることだけに前肢を駆使していた。


すると、一陣の風が灰色の足を縺れさせた。風の正体は矢であった。何者かが灰色を狙って放ったのだろう。体には当たらずに前肢を掠めただけだったが、矢は灰色を地に臥せさせるには十分だった。


「Яро! Нигасденэ!」

(奴だ! 逃がすな!)


草原に住む者だろうか、黒い布で顔を覆って馬に跨がる男たちが近くの茂みから姿を現した。その数、十人余り。多分は隊を成して行動する騎馬民族なのだろう。


「Красе! Яба утэ!」

(殺せ殺せ! 矢を射て!)


隊のリーダー格の男が他の者に指示を出す。彼の言葉を合図に、男たちは弓矢の雨を灰色に降らせた。この地方特有の短弓なのだろうか、男たちの弓は大して弦を張らなくても矢継ぎ早に大量の弓矢を注ぎ込むことができるようだ。


「Кишо! Яро ме!」

(この野郎、ちょこまかと!)


灰色は必死の思いで、降り注ぐ矢の雨を掻い潜る。その様子に、男たちは業を煮やしだす。しかし−−


「Шао!」

(殺った!)


放った弓矢の一本がとうとう、灰色の体を射抜いた。位置からして、矢は心臓を貫通している。鏃からはどす黒い血が滴っていた。力なくしなだれて、膝を地に就く灰色。


「Шге!」

(死ねっ!)


止めの一撃とばかりに、リーダーの男は至近距離で灰色に向けて矢を射ち込んだ。既に、灰色は弛緩した舌を投げ出して地面を舐めている。拍動による体の上下運動も完全に止んだ。


「Кшо мега……тэ какесасе ягаъте」

(手こずらせやがって……)


リーダーは灰色の頭部を蹴り上げる。抵抗する力もない灰色はされるがままだ。絶命してから間もない両眼にはまだ、微かに光が残っていた。その眼に写るものは何なのだろうか。閉じることなく、地平線を見つめていた。


「Ояжь, ояжь!」

(親父、親父!)


隊の後方にいた、背の低い男が馬から下りてリーダーに駆け寄る。黒い覆面から覗く素顔から判断するに、彼はまだ歳も二十に満たないだろう。幼けなさが窺える。


「Ндая? Доъта, Зондоря?」

(どうした、ゾンドル?)

背の低い彼は名をゾンドルというらしい。


「Пуъкураштадагая?」

(殺した?)

「Оо, пуъкураштадо!」

(おお、殺した殺した)

「…Кавайсо」

(可哀想……)

「Кавайсо? Иша яроба камавно ге?」

(可哀想? お前はこいつの肩を持つのか?)

「Ванкаё…койц досуъда?」

(少しね……こいつ、どうするの?)

「Ур」

(売る)

「Уръте……доса?」

(売るって、どこに?)

「Цугиайно Юлопрёрайга боекишоба яътедеё, соса уъда」

(知り合いのユロプリョーん家が貿易商をやっているから、そこに売るぞ)

「Хо……」

(へ、へぇ……)

「Зон, ишимо ванка тецдэ! Каваба каъпагучка нэдагара!」

(ゾン、お前も手伝え。皮を矧ぐからな)


リーダーの男は灰色の首に鋭利な刃物を宛がった。心停止によって血液の噴出はないもの、切り裂かれた肩口からは夥しい量の血が滴る。血溜まりは緑を不躾にも汚して広がっていった。


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