9:この人には傍にいてほしい(9)
「じゃあ、あかいりぼんのおくりものを、したことはあるのー?」
ディオの無邪気な質問に、アシュードはちらりと上を見て、ぽんと手を叩いた。
「贈ったことならあるな!」
「えっ?」
メリッサは目を見開いてアシュードを見た。赤いリボンの贈り物をしたことがあるということは、誰かに告白をしたことがあるということだ。つまり、誰かのことを好きだったということである。メリッサの胸の奥が嫌な感じにざわめいた。
「まあ、受け取ってもらえなかったが。この僕の贈り物を拒否するなんて、見る目がない女性だったな」
「ざんねん……」
「そう、とても残念だった……」
なんとなく、三人とも暗い顔になってしまった。
「……まあ、なんだ。ディオはたくさん赤いリボンの贈り物をもらえるような男になれよ」
「うん、おれ、がんばるよ」
ディオはアシュードの言葉に、真剣な顔で頷くのだった。
*
メリッサは、魔術師団の建物の中にある自分の部屋で、ぼんやりとお茶を飲んでいた。もう夜の十時。隣の部屋にいるディオは、既に夢の中だ。
「アシュード、好きな人なんていたんだ……」
温かかったはずのお茶は、もうすっかり冷えていた。よく眠れるようにと準備したハーブティーだったが、あまり効果はなさそうだ。
「十二歳も年上だもん。それくらい普通か……」
断られたということだったが、もしその女性がアシュードの告白を受け入れていたら。アシュードはその女性と結婚していたのではないだろうか。
「……別に、アシュードが結婚していようが、独身だろうが、どうでも良いけど!」
ぶんぶん首を振って、冷めたお茶を一気に飲んだ。それでもなんだか落ち着かなくて、メリッサは机に突っ伏した。
部屋の中は、夜になっても蒸し暑い。涼風を出す魔導具の風を受けながら、メリッサはだらだらと過ごす。まだ、ベッドで寝る気にはならなかった。
なんとなく薄目を開けて、戸棚の上に飾ってある姿絵を見る。メリッサが仲良くしている、数少ない人たちの笑顔がそこには描かれていた。師匠ヒューミリスやこの国の幼い王子たち、その乳母夫婦など、見ているとほっとする面々だ。
その中に、アシュードのものも紛れている。やけに格好つけたポーズをしているその姿絵を見ていると、なんだか無性に腹が立ってきた。暗めの茶髪はとても丁寧に描かれており、今にもふわりと揺れそうだ。翠の瞳にも輝きがあり、生き生きとしている。どれだけ腕の良い画家に描いてもらったのだろう。
「あたしの気持ちも知らないで。調子に乗らないでよね」
姿絵のアシュードを睨み、頬を膨らませる。まあ、メリッサ自身も、自分の気持ちがどうしてこんなにもやもやしているのか分かっていないので、八つ当たりな気もするが。
メリッサはアシュードの姿絵を手に取ると、つんつん突いた。そうすると、少しだけ気持ちが落ち着く。つんつん、つんつん。こんなところ、アシュードが見たら怒るんだろうなと想像して、メリッサは小さく笑った。
きっと「なぜこの僕の姿絵だけ突くんだ!」とか言って、大袈裟に嘆くだろう。ちょっと面白い。
その後も、メリッサは眠くなるまで飽きずに姿絵を突き続けたのであった。
*
「嫌な夢を見たんだ」
アシュードが開口一番、そう訴えてきた。メリッサとディオは揃って首を傾げる。珍しく朝早くにディオの部屋にやって来たアシュードは、どこか疲れた顔をして二人を見ていた。
「あしゅーど、おはよう。いやなゆめって、なあに?」
ディオはメリッサに出してもらった服に着替えながら、アシュードに聞いた。アシュードは近くの椅子にどかりと座って、偉そうにふんぞり返る。
「それがな、全身を誰かに指で突かれる夢だったんだ」
「ぷっ」
メリッサは思わず噴き出した。昨夜、散々姿絵を突いたことを思い出したからである。アシュードは笑うメリッサをじとりと見つめてくる。
「もう呪いかなにかと思うくらい、しつこかったんだぞ! 笑い事じゃない!」
「ごめん、ごめん」
そう謝りながら、昨夜の自分をよく思い返してみる。そういえば、眠る直前に魔力を込めて突いてしまったかもしれない。アシュードに届け、と念じたような気もする。
「あしゅーど、かわいそう。だいじょうぶ?」
「ディオ、心配してくれるのか! 可愛いなあ、本当」
アシュードはディオを膝の上に乗せると、よしよしと小さな頭を撫でた。
メリッサは、ふっと斜め上の天井を見た。その悪夢、恐らく自分が原因である。魔法でアシュードに悪夢を送ってしまったのだ。まあ、正直に言うつもりはないが。
しかし、今日はちょっとだけ、アシュードに優しくしてあげようと思った。
そこに、慌てた様子の魔術師がやって来た。
「メリッサ! ここにいたのか!」
魔術師は走ってきたのか、随分と荒い息をしている。突然よく知らない大人の男が現れて、ディオがびくりと体を跳ねさせた。怯えた表情で、入り口近くの魔術師を見ている。
ディオはアシュード以外の男の人が恐いようだ。師匠ヒューミリスくらいの老人になれば大丈夫なようだが、若い男性を前にすると震えだす。特に声を荒げたりされるのが苦手なようで、ここに連れて来てからも気を遣ってやる必要があった。
メリッサはディオをこれ以上怯えさせないように、魔術師を連れて、ディオの部屋を出た。
「何ですか、こんな朝早くから」
「大変だ、師団長が倒れた」
「え……」
さっと血の気が引いた。
「師匠、無事なの? どこにいるの?」
「魔術師用の医務室だ。とにかく早くお前を呼べと、医師が言っているから」
「……うん。今、行く」
そうは言ったものの、足ががくがくと震えて動かない。師匠の朗らかな笑顔が脳裏にちらつく。あの笑顔が失われたらと思うと、恐くて恐くてたまらなくなってくる。
魔術師は他にも知らせに行くところがあるからと言って、去っていった。メリッサはその後ろ姿を見送ると、とにかく自分も動かなくてはと焦る。しかし、足は上手く動かず、ふらりとよろめいてしまった。
「メリッサ!」
「……アシュード。師匠が、倒れたって……」
よろめいたメリッサをアシュードが支えてくれる。変わらない甘い香りに、すごく安心した。
「医務室に行くんだろう? ほら、手」
大きな手が目の前に差し出されたが、メリッサはためらった。アシュードには、さっきまで怯えていたディオの傍にいてもらった方が良い気がしたからだ。
「あたしは、平気。アシュードは、ディオの傍に」
「おれは、だいじょうぶだよ」
アシュードの後ろから、紫色の髪の毛を揺らしながらディオが出てきた。確かにもうけろりといつも通りの顔に戻っているようだ。
「でも……」
「お前、相変わらず面倒臭いな。こういう時は、素直に僕に頼れ」
アシュードがさっとメリッサの手を掴んだ。アシュードの手はとても温かくて、いつの間にか冷えていた指先に熱を分けてくれる。メリッサは縋るように、その手を握り返した。
「さあ、行くぞ。ディオ、ついておいで」
「うん」
アシュードに手を引かれ、メリッサは歩きだした。不思議なことに、もう足の震えは止まっていた。