7:この人には傍にいてほしい(7)
顔色が良くなったメリッサに、師匠は笑顔で頷いた。そして、アシュードの方へと向き直る。
「アシュード、あまりワシの可愛い弟子を心配させるな」
そう言って師匠はぱちんと手を打った。その途端、アシュードがはっとしたように顔を上げた。
「僕は、一体何を……」
目を瞬かせて周囲を見回した後、アシュードは馬車の中に座り込んだままのメリッサに漸く気が付いたようだった。慌ててメリッサに駆け寄ってくる。
「メリッサ! お前、なんでこんなになるまで無茶を!」
「……アシュードにかけられた魔法、早く解こうと思って」
「立てないのか。よし、僕がおんぶしてやろう!」
メリッサの前にさっとしゃがみ、背中を見せるアシュード。その背中は広くて、頼もしかった。メリッサは師匠のおかげで既に元気になっていたのだが、わざと具合が悪いふりをして、その背中に身を任せた。
「……大きくなったな、メリッサ」
「なにそれ。あたしが重いとでも言うつもり?」
「まあ、小さな子どもと比べれば、確実に重いな」
重い、重いと言いながらも、アシュードはメリッサをおぶって歩きだした。そんなアシュードの後ろを、不安そうな顔をしたディオがちょこちょことついてくる。
アシュードにかけた魔法がきれいさっぱり消えてしまったことを、ディオも分かっているようだった。もう自分は構ってもらえないと、残念そうに唇を噛んでいる。そんなディオに、アシュードはちらりと視線をやって、小さく笑った。
「ディオ」
アシュードに名前を呼ばれたディオは、びくりと体を跳ねさせた。自分勝手に魔法を使ったことを責められると思い込み、今にも泣きそうな顔になる。
「魔法なんて使わなくても、僕はまた一緒に遊んでやるからな」
ディオが青い瞳をこれでもかとまんまるにする。それから、嬉しそうに頬を染めて「うん」と頷いた。ディオは子どもらしい表情を浮かべ、にこりと笑う。その笑顔が可愛くて、メリッサも思わず微笑んだ。
「……アシュード、いつから子どもの扱いがそんなに上手くなったの?」
メリッサはアシュードの耳元で囁くように聞いた。すると、アシュードは急にメリッサの体を落としそうになった。がくんと大きく視界が揺れる。
「きゃあ!」
「あ、ああ、悪い! ……よっと」
改めてメリッサをおぶい直して、アシュードはまた歩き始める。メリッサはアシュードの背中にしっかりとしがみついて、ほっと息を吐いた。それからふとアシュードの耳を見て、思わず噴き出した。
その耳は真っ赤になっていた。よく見てみると、アシュードの顔も真っ赤になっている。どうやら耳が弱点だったようだ。これは良いことに気が付いたと、メリッサは笑いが止まらなくなった。
「何がおかしいんだ」
「ふふ、別にー?」
くすくす笑いながら答えるメリッサ。妙に上機嫌になったメリッサの様子に頭を捻るアシュード。そのアシュードのすぐ後ろを、軽い足取りで跳ねるようについていくディオ。
三人の仲良さげな後ろ姿を、師匠ヒューミリスは優しい目で見つめていた。
「メリッサも、ディオというあの子も。何とか上手くやっていけそうじゃな。……アシュードを呼んで、本当に良かった」
長い髭をのんびりと撫で付け、師匠は楽しそうにふぉっふぉっと笑った。
*
ディオが魔術師団にやってきて一週間が経った。親もなく、引き取りたいという親戚もいなかったディオは、正式に魔術師団で引き取ることに決まった。
町の人を操っていたことに関しても、特に咎められることはなかった。四歳の子どもが生きていくために仕方なくやっていたということで、情けをかけてもらえたのだ。操られていた人も、魔術師団からの謝罪を受け入れ、ディオのことを許してくれたという。
「良かったね、ディオ。これからは正式に魔術師団の魔術師として、いろいろ勉強できるよ!」
メリッサはディオのために準備した絵本を机の上に広げていく。ディオは絵本を不思議そうに見つめ、表紙の絵を指でなぞる。
「めりっさ、これなに?」
「絵本だよ! 魔法のことがとっても分かりやすく書いてあるの」
ほら、と絵本のページをめくってやる。可愛らしい絵が現れた。
「ディオはまだ文字が読めないよね。だから、あたしが読んであげる。少しずつ、文字も教えてあげるからね」
メリッサはお姉さんぶって言う。ディオは大人しく、こくんと頷いた。
「おれ、ちゃんと、よめるようになるかなあ」
「大丈夫。このあたしが教えてあげるんだから、心配いらないよ」
ディオは生まれつき高い魔力を持っている子だった。さすがに王族ほどではないが、この魔術師団の中でもトップクラスに入るくらいの魔力量である。ちなみに、魔術師団で一番魔力が高いのは師団長のヒューミリス、二番目がメリッサである。
そんな優秀な魔術師のたまごであるディオは、特別に師匠ヒューミリスが魔法を教えることになった。つまり、メリッサの弟弟子になったのである。師匠はずっとメリッサ以外に弟子をとることはなかったので、メリッサはとても驚いた。
「師匠も一人でディオの面倒を見るのは大変でしょ? あたしが手伝ってあげるね!」
メリッサはそう宣言して、ディオの世話を始めた。師匠ヒューミリスも、そんなメリッサを褒めてくれた。なんだかひとつ、大人になった気分がした。
「めりっさ。あしゅーどは?」
「え? アシュード? 今は経理の部屋で仕事をしていると思うけど」
ディオが綺麗な精霊が描かれた絵本を胸に抱き、メリッサを見上げていた。メリッサは、なぜ突然アシュードのことを聞かれたのかがよく分からなくて、首を傾げる。しかし、ディオの輝く目を見て、はっとする。
「もしかして、アシュードに絵本を読んでもらいたいの?」
「……だめ?」
「あたしが読んであげるって言ってるのに」
「……あしゅーどがいい」
なぜかディオはアシュードがお気に入りのようである。出会ったばかりの時はアシュードを見て怯えていたというのに、この変わりようはなんなのだろうか。はてさて、メリッサにしがみついてきたあの可愛いディオは、一体どこに行ってしまったのだろう。
「アシュードはお仕事が忙しいの。邪魔をしたら駄目」
「……うん」
ディオは口を尖らせて俯いた。残念そうに絵本を机の上に戻す。それから、ソファの上にころんと横になった。
「ディオ? 絵本、いらないの?」
「……うん」
メリッサはあからさまに落ち込んでしまったディオを横目に、ため息をついた。ディオがここに来てから、一番多く一緒の時間を過ごしているのはメリッサのはずなのに、なんとなく二番手の扱いをされている気がする。
絵本を本棚に片付けていると、ソファの上でディオがぐすぐす言い始めた。驚いて振り返ってしまうメリッサ。
「え、なに? そんなにアシュードに会いたいの?」
「……うん」
鼻が詰まった声で、ディオが頷いた。