6:この人には傍にいてほしい(6)
「ちょっと、アシュード! 一体、どうしちゃったの?」
「ああ、メリッサか。お前の部屋はそっちだ。ディオの面倒はこの僕が見てやろう!」
「え、なんで」
「さあ、ディオ。お腹はすいてないか? 何が食べたい?」
メリッサのことをあっさり無視して、ディオに話し掛けるアシュード。二人の姿はまるで本当の親子のようだ。ディオもどことなく嬉しそうにしている。
「えっとね、おれ、のどがかわいたの」
「そうか。じゃあジュースでも飲むか?」
「うん!」
どこかほのぼのとした会話をしながら、アシュードとディオは部屋の中へと入ってしまった。メリッサはなにが起きたか分からず、突っ立っていることしかできなかった。
「……ディオの魔法のせい、なの?」
メリッサは紅い瞳を少し潤ませながら、与えられた部屋の扉を開ける。
「い、いいもん! あたし、ひとりでも平気だし!」
ディオにアシュードを取られた気がして悔しくなった、なんて口が裂けても言うものか。メリッサはくすんと鼻を鳴らした。
*
翌朝、ディオの両親について町の人に聞いてみたが、ディオの言う通り、どこにもいないようだった。ディオは母親に捨てられてから、ずっとひとりぼっちだったらしい。
魔法で町の人を操って、食べ物や飲み物を分けてもらい、空腹を満たす。寂しくなれば、また魔法で操って町の人にベッドを貸してもらい、そこで眠る。そんな風にして、四歳のディオは生き抜いてきたのだ。
「ほんとう? おれ、もうこのまちにかえらなくてもいいの?」
「ああ。これからは、王都の魔術師団がディオの家だ」
「わあい!」
ディオが両手を上げて喜んだ。紫色の髪の毛はシャンプーできれいに洗ってもらったらしく、つやつやと光っている。青い瞳も期待に満ちて、キラキラと輝いていた。
アシュードは相変わらずディオの魔法にかかったままで、あれこれディオの世話を焼いている。うす汚れていた服は、いつの間にか小奇麗な服へと変わっており、ディオはどこぞのお坊ちゃんのように見えた。
「アシュード。魔術師団で引き取ることになるかどうかは、まだ分からないよ。適当なこと言わないで!」
「良いじゃないか。魔術師団が無理なら、この僕が引き取っても良い」
アシュードはそう言いながら、馬車にディオを乗せた。ディオは初めて見る魔法の馬車に興奮している。頬が上気して、薔薇色に染まっていた。
メリッサは膨れっ面になりながら、馬車に乗り込む。最後にアシュードが乗り、馬車は王都に向けて走りだす。
「ちょっと、ディオ。あなたはあたしの隣に座りなさいよ。そっちは狭いでしょ」
「おれ、ここがいいの」
ディオはアシュードの膝の上に乗って、上機嫌になっている。アシュードもディオが落ちたりしないように、優しく体を支えてやっている。
「今日のメリッサは怒ってばかりだな。それに比べて、ディオは良い子だな」
「うん。おれね、すごくよいこだよ」
「素直で可愛いなあ、ディオは」
アシュードが笑顔でディオの頭を撫でているのを横目で見て、メリッサはますます不機嫌になる。メリッサのことはいつも「可愛くない」と言っているくせに、出会ったばかりのディオにはすぐ「可愛い」と言うなんて。なんか納得がいかない。
魔法でおかしくなっている状態とはいえ、これはメリッサのプライドが傷つく。何とかして名誉挽回したいものだ。メリッサは少し勇気を出して言ってみる。
「あの、アシュード。車酔いはしてない? あたし、魔力が少し回復してきたし、それくらいならできるから、遠慮せずに言ってね」
「ん? ああ、大丈夫だ。魔力は温存しておけ」
アシュードの返事はそっけないものだった。今までなんだかんだで、アシュードからこういう扱いをされたことのなかったメリッサは、大きなショックを受ける。まるでメリッサのことに興味がないみたいに振る舞われるなんて、思いもしなかった。
できることなら、今すぐディオの魔法を打ち消してやりたい。しかし、打ち消すのにどれだけの魔力が必要かが分からない。魔力を使いすぎてしまったら、魔法の馬車が動かせなくなる。馬車は少量の魔力で足りるとはいえ、万が一を考えると無茶はできなかった。メリッサは完全に回復していない魔力を恨めしく思いながら、ひとまず王都へ戻ることを優先することにした。
「王都に帰ったら、すぐに師匠になんとかしてもらうんだから。覚えてなさいよ」
ギリギリと奥歯を噛みしめながら呟く。そんなメリッサの形相が恐かったのか、ディオがアシュードにしがみついた。
「ん? どうした、ディオ。ほら、顔を隠していると、外の景色が見られないだろう? あ、あそこに面白い形の木があるぞ」
「え、どこどこ?」
「あそこだよ」
仲良さげに話す二人から目を逸らしたメリッサは、込み上げてくる涙を必死に抑えた。
夏の暑い空気を裂きながら、魔法の馬車は駆けていく。王都まではまだまだ遠く、空はどこまでも青く広がっていた。
*
「ここが、おうと?」
馬車が王都の中を走り始めると、ディオが目を丸くして興奮した声をあげた。白い壁、青い屋根の建物がずらりと並ぶ光景。田舎の小さな町しか知らないディオにとっては、とても珍しかったようだ。
「あ! あのおおきないえは、なあに?」
「あれは王宮だ。この国の王様がいるお城だな。そのすぐ傍に、これから行く魔術師団の建物があるんだ」
「ほわあ! すごいー!」
ディオは馬車の窓にかじりつくようにして、外を見ている。アシュードはディオが転んだり落ちたりしないように、大きな手を添えてやっていた。メリッサはというと、早く王都に戻りたくて、いつも以上に馬車に魔力を注いでしまったため、もうくたくたになっていた。
しかし、そろそろ限界が近い。馬車を魔術師団用の車庫に入れる頃には、ぐったりとして立ち上がれないくらいになっていた。
「アシュード、師匠を呼んできてくれる? あたし、今、動けそうにないから」
「……仕方ないな。ディオ、一緒に行こうか」
「うん! あしゅーど、だっこして!」
アシュードが軽々とディオを抱き上げ、馬車を降りる。ディオはすっかりアシュードに懐いてしまっていた。メリッサは複雑な気持ちで、二人の背中を見送った。
馬車の中にぽつんと一人で残されると、妙に静かさが気になった。それにしても、ディオを見つけたのはメリッサなのだから、なんとなくこっちに懐いてほしかったと思う。アシュードも、いくら魔法のせいとはいえ、ディオにばかり構うのは止めてほしかった。
この嫉妬のような感情は、ディオとアシュード、どちらに向けるのが正解なのだろうか。メリッサは項垂れる。
しばらくして、師匠ヒューミリスが来てくれた。朗らかな師匠の笑顔に、メリッサは安心して泣きそうになる。師匠の後に続いて、アシュードとディオも戻ってきた。
「師匠……。あたし、頑張ったよ。でも、アシュードに魔法が……」
「分かっておる。メリッサ、よくやった。偉い、偉い」
師匠が座り込んだままのメリッサの頭を、ぽんぽんと優しく撫でてくれる。そのたび、温かい魔力がメリッサの中に流れ込んできた。疲れ果てていた身体に、元気が戻ってくる。