46:孤独は魔法じゃ癒せない(9)
しかし、そんなの恐くない。メリッサはクリスに目配せをする。クリスが目をぱちぱちと瞬かせた後、にこっと笑った。
「ぼくはアシュのみかただよ! アシュがことわるっていうなら、そうするといいの!」
「え、クリス王子……?」
エマの父親が呆気にとられたように呟いた。そう、この場で一番身分が高いのは、王族のクリスである。身分が武器にならないことを悟り、エマもその両親も悔しそうに歯噛みする。
「し、しかし! 我が娘ももう結婚するつもりでいろいろ準備しているんだ! それに、そこの顔が良いだけの小娘なんかより、我が娘の方が優れている!」
「顔が良いだけ……?」
アシュードが片眉を跳ね上げた。そして、困ったように小さく笑いを漏らす。
「メリッサは顔だけではありませんよ。優秀な魔術師として活躍しています。王立ステラ学園から直々に声がかかるほどの実力ですよ」
「学園から……?」
さっとエマの父親が顔を青くした。メリッサにはよく分からないが、学園から声がかかるというのは、どうやらとてもすごいことらしい。
しかし、エマは父親とは逆に顔を赤くして、震える声で言う。
「そうよ、この子は魔術師。アシュード様を魔法で操っているに決まっているわ。なんて恐ろしい子なの? アシュード様が可哀相よ……」
メリッサは「操ったりなんかしない」と反論しようと口を開きかけた。しかし、それよりも早く、ディオが駆け寄ってきた。メリッサとアシュードを庇うようにして前に立つ。
「ひとのこころは、ひとのものなの。まじゅちゅしは、じぶんかってにまほうはつかわないの。だから、めりっさはおそろしくないの」
頑張って話す小さな背中。その話す内容は、出会った時にメリッサが教えたことだった。こんなに小さいのに、ディオはちゃんとメリッサの言葉を覚えていたようだ。
「そんなの信用できないわ。ああ、やっぱり魔術師は最低ね……」
なぜかは分からないが、エマは相当魔術師に偏見があるらしい。もしかしたら、ここまでアシュードとの結婚にこだわるのも、魔術師であるメリッサに対抗したいからなのかもしれない。
しかし、メリッサのことだけならまだしも、魔術師全てを悪く言われるのは腹が立つ。魔術師団で共に働く人たちの顔を思い出す。みんな、案外良い人たちなのだ。
メリッサは小さく息を吐く。すると、手をぎゅっとアシュードに握られた。驚いて見上げると、アシュードは静かに頷いてみせる。反論しても良いということだろうか。
大きくて温かなその手を握り返す。メリッサの心の中に、熱くてまっすぐなものが湧いてきた。そう、これはきっと、勇気というやつだ。
アシュードが前に立っているディオを小声で呼び寄せた。ディオは素直にアシュードの傍に行き、その膝の上に乗せてもらう。
メリッサはディオとアシュードを改めて見つめ、そしてにっこりと微笑んだ。
この二人がいてくれるなら、きっと、大丈夫。
ゆっくりと深呼吸をした後、メリッサはすっと姿勢を正した。
「あのね、エマさん。あたし、やっぱりあなたにアシュードは渡さない。というか、渡せない。だって、あたしはアシュードのことが好きだから。エマさんよりも、ずっとずっと、あたしの方がアシュードを必要としているから」
エマがじっとメリッサを見つめてくる。何の感情も浮かんでいないような静かな目だ。メリッサは目を逸らすことなく、言葉を続ける。
「だから、あたしは全力でアシュードを守る。アシュードが欲しいなら、魔術師団を敵に回す覚悟をして下さいね」
「な、なんですって……」
「あたし、本気なの。子どもだからって、馬鹿にしないで」
真剣な目でエマを見据える。エマの顔が歪んだ。エマは隣の父親に縋りついて訴え始める。
「お父様! どうにかして! 私、こんなの認めないわ!」
「エマ……」
父親は複雑そうな顔をして、視線をうろうろさせた。魔術師団を敵に回すのはまずいと思っているようだ。
あと一息。クリスの方に目を遣って、メリッサは畳みかける。
「魔術師団はもちろん、きっと王族も敵に回すことになる。それでも良いなら……」
「分かった! この縁談はなかったことにする! それで良いんだろう!」
エマの父親が叫ぶように言った。エマが目を見開いて父親を見る。信じられない、とでも言うような顔で。
「どうして? どうしてお父様もアシュード様も、私をいじめるの? ……メリッサちゃんのせいね? メリッサちゃん、貴女さえいなければ、私はこんな惨めな思いをしなくて済んだのに!」
エマが立ち上がり、涙声で手を振り上げた。メリッサはぎゅっと目を瞑る。殴られたって、この気持ちは変わらない。これでアシュードが手に入るなら安いものだ。
しかし、その手がメリッサに届くことはなかった。アシュードがエマの手を止めていたからだ。
「エマ様。以前『旦那様から溺愛されている花嫁になりたい』と、そう仰っていましたよね。でも、残念ですが、僕はその願いを叶えてあげられないんです」
「……アシュード様?」
「僕が愛しているのはメリッサだけなので。どんなに努力しても、きっと僕はメリッサ以上に貴女を愛することなんてできはしない。それに、貴女も僕のことを愛するなんてできないでしょう? ……もう、終わりにしましょう。これ以上は、お互い、何の益もない」
静かなアシュードの言葉に、エマが力なく項垂れた。
戦いが終わった瞬間であった。
エマとその両親は逃げるように去っていった。とりあえず、エマとの縁談は無事に白紙に戻ったので、一安心ではあるのだが。
「エマさん、次はちゃんと愛してくれる人と巡り合えると良いね……」
メリッサは走り去る馬車を見つめながら、ぼんやりと言った。隣に立っていたアシュードが、不思議そうに首を傾げる。
「なぜそんなことを気にするんだ」
「だって、もうアシュードに関わってほしくないし。今回はまあ、こんなことになっちゃったけど、別に不幸になってほしい訳じゃないし」
メリッサがそう言うと、アシュードはぽんぽんと頭を優しく撫でてくれた。なんだか、ちょっとだけ、泣きそうになる。
そんなしんみりとした空気を打ち破ったのは、可愛い子どもたちの声だった。
「メリッサねえね、そろそろかえらないと!」
「せいれいさいのおくりもの、わすれちゃだめなの!」
「いそがないと、よるになっちゃう!」
「めりっさ、はやくはやくなのー!」
じたばたと足踏みをする子どもたち。可愛い。
メリッサはくすりと笑った後、アシュードを見上げた。
「あの、アシュード。あたしね、今夜はアシュードと一緒にいたい。精霊祭の、特別な夜だし。その、素敵な夜にしたいなって、思ってて……」
こうして素直な気持ちを伝えるのは恥ずかしい。頬が熱くなるし、目も少し潤んでしまう。それでも懇願するようにアシュードを見つめると、アシュードがごくりと唾を飲み込んだ。
「素敵な夜、だと? あ、いや、嬉しいが、ちょっとまだ早くないか? その、心の準備がだな……」
「え? ディオと一緒にパーティーするのに心の準備が必要なの?」
きょとんとして目を瞬かせると、アシュードがぽかんと口を開けた。それから、片手で目を覆い、深く項垂れる。
「……うん。そうだよな。お前はまだ子どもだもんな……」
「なにそれ、意味分かんない。それより、あたしたちと一緒に来るの? 来ないの?」
メリッサの質問に、アシュードは一呼吸置いてから答えた。
「……行くに決まっているだろう」




