43:孤独は魔法じゃ癒せない(6)
「師匠が目を覚ました?」
翌朝、飛び込んできた情報。メリッサはそれを聞いて、文字通り飛び上がって喜んだ。急いで師匠のいる医務室に駆け込み、様子を窺う。
師匠はゆっくりとスープを口にしているところだった。何日も眠っていたにしては元気そうなその姿に、メリッサはほっとする。昨日の夜から、ずっと良いことばかりだ。
「師匠! 起きるの遅い!」
「ふぉっふぉっ。すまんのう、メリッサ。心配をかけた」
もうお別れを覚悟していただけに、声を聞くのが嬉しかった。周りにいる医師や魔術師たちも心底安心したようで、みんなにこにこと笑っている。
そこに、アシュードがディオを抱っこしてやって来た。ディオは眠そうに目を擦りながらも、メリッサが笑っているのを見て安心したようにふにゃりと笑う。手に持っていたゴンザレスを嬉しそうにぎゅっと抱き締めるディオの姿に、魔術師たちの顔が緩んだ。
「あ、ところで師匠。あたし、ディオの師匠をやりたいんだけど」
「……いきなり話し始める癖は直ってないようじゃな、メリッサ」
「あたし、もう一度、ディオの師匠になりたいの。その望みがが叶うなら、あたしは王立ステラ学園に行けなくても良いの。ずっと、ずーっと、ディオの傍にいる。ディオのために何かできることがあるなら、何だってやるつもりだよ。だから、ディオを魔術師団に戻してほしいの」
メリッサの言葉に、その場にいた全員が目を丸くする。驚きのあまり、ディオはゴンザレスの顔が歪むほど手に力を入れていた。アシュードも間抜けな顔を晒している。
「しかしな、メリッサ。ディオは母親の元で……」
「ディオのこと叩いたり、無視したり、食事を抜いたりするような人のところへ、あたしディオを絶対行かせたくないから!」
ディオが眉を下げて悲しそうな顔になる。アシュードがそんなディオの頭を優しく撫でた。ディオは鼻をぐすぐす鳴らし、アシュードの肩に顔を押しつける。
そんなディオの様子を見て、師匠は難しい顔になった。
「それが本当のことなら、ディオをすぐにでも保護しなくてはならんのう。ディオは将来有望な魔術師じゃからな。しかし、あの母親が本当にそんなことを……?」
師匠の呟きに、先輩がさっと前に進み出た。
「私、見ました。ディオが母親に突き飛ばされたところ」
医務室がしんと静まり返る。ディオがぐすんぐすんとすすり泣く声だけが響く。師匠は大きなため息をつくと、ゆっくりと頷いた。
「すぐに調査をしてくるように。ディオを保護する必要があると判断できれば、強制的にでもこの魔術師団で引き取れるように手続きを」
「はい!」
魔術師たちがすぐに動きだす。メリッサも立ち上がって調査に行こうとするが、それは師匠に止められた。
「メリッサはディオの傍に。師匠なんじゃろう? 弟子から目を離してはいかん」
「……うん!」
メリッサは、アシュードに抱っこされたままぐすぐす泣いているディオに近寄った。そして、優しくディオの後ろ頭を撫でてやりながら、語りかける。
「ディオ、ごめんね。あたし、勝手に決めちゃって」
「……あのね、めりっさ。おかあさん、わるくないの。おれが、よいこじゃなかったから、たたいただけで。ほんとうは、やさしくて……」
「分かってるよ。お母さん大好きだもんね、ディオは」
ディオがはっとしたように、顔を上げて振り返った。メリッサはまだ赤いままのディオの頬にそっと手を添える。
「あたしの我が儘なの、これ。あたしがディオと一緒にいたいの。ディオがお母さん大好きなの知ってるけど、それでもあたし、ディオと離れるの嫌なの。ディオに傍にいてほしいの」
メリッサはディオの青い瞳をじっと見つめて、真剣に言う。ディオの瞳から一粒、涙が零れ落ちた。それから困ったようにへにゃりと笑った。
「めりっさ、おれがいないとだめなの?」
「うん。ディオがいないと、あたし弱くなっちゃう」
「……しかたないなあ。おかあさんには、あたらしいおとうさんがいるから、きっとだいじょうぶ。でも、めりっさには、だれもいないんだね。じゃあ、おれがそばにいてあげないと!」
ディオが、アシュードの腕からメリッサの腕の中へと飛び込んでくる。メリッサは小さなディオの体をぎゅっと抱き締めた。ディオがメリッサの耳元で、小さく囁く。
「おうちにいるときね。めりっさにあいたいなって、いつもおもってたの。あしゅーどにあいたいなって、いつもねがってたの。だから、おれ、うれしいの……」
ディオはそう言いつつ、またぐすぐすと泣き始めた。メリッサはその柔らかな髪に、そっと頬擦りをする。
「ディオ。またここで暮らすことになったとしても、お母さんに会いたい時はすぐに言ってね。あたしと一緒に、会いに行こう?」
「……いいの?」
「もちろん! お母さんはずっと、お母さんだもんね!」
メリッサの言葉に、ディオが目を輝かせた。
魔術師たちの迅速な行動のおかげか、その日のうちにディオは魔術師団で保護することに決定した。母親が、ディオにしていた行為をあっさり認め、魔術師団に戻すことに同意したらしい。
夜にはディオの荷物が魔術師団に運ばれてきた。荷物はメリッサの隣の部屋に運び入れられ、再びその部屋がディオの部屋となった。
師匠が目を覚ましてくれて良かった。
勇気を出して、ディオの師匠にもう一度立候補して良かった。
めそめそ泣くのを止めて、自分の意思をはっきりと外に出すだけで、一瞬にして、こんなにも世界が変わるなんて思いもしなかった。
欲しいものは欲しいと言わないと駄目なのだ。待っているだけでは何も変わらない。それが、よく分かった。だから、メリッサはあとひとつ、大仕事をすることに決めた。
メリッサが大好きなあの男を、エマから奪い返すために。
*
メリッサが自分の気持ちに気付き、その想いを伝えたあの夜。アシュードとメリッサ、二人は両想いの関係になった。しかし、エマとの婚約話がかなり進んでしまっていたため、簡単に「恋人になります」という訳にはいかなかった。
エマとの関係をきちんと白紙に戻してからでないと、二人は先に進めない。アシュードはすぐにエマの家にこの縁談を断るという連絡を入れた。
ところが、なぜかエマはそこでごねたらしい。「絶対に破談にはしない」と。
エマの家の方が身分が上であるため、話はそこで停滞してしまった。どうすることもできないまま、正式な婚約をする予定だった精霊祭の日が近付いてくる。アシュードは疲れた顔をしながらも、メリッサのために奮闘していた。
「メリッサ。待っていてくれ。この見合い話は絶対に終わらせるから。そうしたら、改めて僕はお前に……」
アシュードが熱の籠もった瞳で見つめてくるので、メリッサは赤面した。なんだか本物の恋人みたいな扱いだった。
そして、迎えた精霊祭当日。エマは正式に婚約をするため、両親を連れてアシュードに会いに来るのだという。
そういう訳で、精霊祭の日である今日は、直接対決の日となった。アシュードは「待っていてくれ」と言っていたが、はっきり言ってメリッサはただ待っているだけなんて御免である。全力でアシュードをエマから奪い返す気満々だ。
絶対に、絶対に、負けたりなんかしない。
 




