4:この人には傍にいてほしい(4)
繋がれた手をぶんぶんと振り回したが、アシュードは離してくれない。さらに、運の悪いことに、道行く人にその様子を見られてしまう。五十代くらいのおばさんが「仲が良い兄妹ねえ」と笑いながら擦れ違っていった。
「もう! 妹なんかじゃないし!」
「そうだな。僕の妹はこんなに幼稚じゃない」
「なにそれ! あたしが幼稚みたいな言い方しないでよ!」
ぷくっと頬を膨らませて抗議すると、アシュードが噴き出した。
「まあまあ。お菓子でも買ってやるから機嫌を直せ」
「子ども扱い!」
「いらないのか、お菓子」
「いるけど」
結局手を離してもらえないまま、町を歩く羽目になった。アシュードの手は大きくて、メリッサの手をすっぽりと覆ってしまう。半歩前を歩くアシュードの背中を横目で見る。夕日に照らされたその背中に、なんとなく胸がきゅんとした。
少し歩いた先に、小さなスイーツ店があった。並んでいる商品はとても少ない。もう日も暮れるかという時間なので、これは仕方ない。それでも素朴な田舎のお菓子は、とても魅力的だった。
「アシュード。これが良い!」
「はいはい」
メリッサが指さしたお菓子を、アシュードは買ってくれた。お菓子の入った紙袋を受け取ると、なんだか嬉しくなって頬が緩んだ。さて、さっそく味わってみようと袋を開けようとした、その時。
四歳くらいの男の子が、メリッサにぶつかってきた。そして、ころんと地面に転がった。男の子は青い瞳を潤ませて、メリッサを見上げてくる。
「いたいよー! うわああん!」
「え、軽くぶつかっただけでしょ?」
「いたいもん! いたいもんー!」
男の子はぶんぶんと頭を振って泣き始めた。小さな頭を振るたびに、紫色のさらさらとした髪が揺れている。
「もう、仕方ないなあ。どこ怪我したの? ねえねに見せてごらん?」
メリッサはアシュードの手を離し、男の子の傍にしゃがみこんだ。すると、男の子は泣くのをぴたりと止めた。目を丸くして、メリッサを凝視してくる。
「な、なんで……?」
呆然とした表情で男の子が呟く。それからすぐに男の子は立ち上がり、逃げるように駆けだした。暗い路地に入ってしまったため、その小さな姿はあっという間に見えなくなった。
「……なんだったんだ、あの子ども」
アシュードがぽかんとした表情で、男の子が消えた路地を見つめている。メリッサは膝についた土を軽く払うと、ゆっくりと立ち上がった。
「見つけたかも。犯人」
「え?」
「さっきの男の子、このあたしに魔法をぶつけてきた。まあ、あの程度の魔法、簡単に無効化してあげたけど」
メリッサは腰に手を当てて、ふんと鼻を鳴らした。余裕の表情である。一方、アシュードは、先程の短いやり取りで魔法が使われたことが信じられず、間抜けな顔を晒している。口が開きっぱなしである。
「あたし、ちょっとあの子を追ってみる。アシュードはその間に今日泊まれる宿屋さんを探してくれる?」
「離れるとまずいんじゃないのか?」
「あの子さえ無力化してしまえば、問題ない。大丈夫、あの子の魔力の痕跡を辿るだけだし、すぐ終わるよ」
メリッサは男の子が消えていった路地に向かって走りだした。アシュードが後方から何か言っているような気がしたが、あまりもたもたしていると痕跡を辿るのが難しくなってしまう。後ろを振り返ることなく、メリッサは路地に飛び込んだ。
建物と建物の間の狭い空間は暗く、寂しい空気に満ちている。干からびた野菜くずがところどころに落ちていた。嫌な臭いがどこからともなく漂ってきて、メリッサは鼻をつまんだ。
あの小さな男の子は、この狭い路地に迷いなく飛び込んでいった。きっといつも通っているのだろう。こんな夕暮れ時に、ここまで暗い道を歩くのは、小さい子どもにとっては恐いことだろうに。
男の子の魔力の痕跡は、奥の方へと続いている。どんどん町の端に進み、漸くあるところで止まった。町の中でも貧しい者が集まっていると思われる、ボロボロの小屋が並んでいる場所だった。
うす汚れた若い女が、ちらりと睨むようにメリッサを見てきた。他にも数人の人間がいたが、皆ボロボロの服を着て、メリッサに敵意を向けてくる。メリッサは手に持っていた紙袋を握り締めた。アシュードが買ってくれたそれは、ふわりと甘い香りを放つ。
「……あ」
小屋の傍に置かれている樽の後ろから、紫色の小さな頭がちらりと見えた。メリッサは睨んでくる人々を避けながら、樽のところまで堂々と歩く。
「見つけたわよ」
「うわあ!」
上から覗き込むようにして男の子に声を掛けると、男の子は青い瞳を見開いて顔を歪めた。慌てて逃げようとするのを押し止めて、メリッサは男の子と向き合った。
「どうしてこんなことするの」
「……なんのこと?」
「とぼけないで。この町にかかっている魔法のことよ」
メリッサが男の子と目線を合わせて問い掛けると、男の子は気まずそうに目を逸らした。
「おれは、わるくないもん」
「何言ってるの。他人を自分の言いなりにするのは悪いことでしょ」
今いるこの場所は特にひどいと、メリッサは眉を顰めた。周りの人間はこの男の子に魔法で操られ、メリッサに襲いかかろうとしてきている。メリッサは男の子を捕まえた手を緩めることなく、目線だけでそれを無効化していく。
「いくら魔法を使っても無駄だよ。あたしが全て消すからね」
「……あんた、なにもの?」
男の子が青い瞳を眇めて問う。幼い顔に似合わない表情だ。メリッサの胸の奥がざわついた。このくらいの幼い子には、もっと笑顔でいてほしかった。
「あたしは、このメイフローリア王国で魔術師をしているメリッサよ。魔術師っていうのはね、魔法を上手に使える人のことなのよ」
こんな風にね、とメリッサは意識を集中させた。町を覆っている魔法がじわじわと溶けるように消えていく。男の子が自分の魔法をあっさりと消されたことに驚き、目を丸くした。
「魔法はね、皆を笑顔にするために使うものなの。魔法でみんなを操って、どうするつもりだったの? 人間に魔法を授けてくれた精霊さんが、そんな悲しい魔法は使ったら駄目って言うよ」
「……あんたに、なにがわかるの。ほっといてよー!」
男の子は悔しそうに拳を握って叫んだ。その瞬間、強い風が吹き抜ける。土埃が舞い上がって、メリッサは思わずぎゅっと目を瞑った。すると、捕まえていたはずの男の子が、あっさりと逃げてしまう。
「あ、ちょっと!」
メリッサは慌てて男の子を追う。もう日は沈み、ぽつぽつと星が出てきていた。町の建物から漏れるわずかな光では、小さな子どもの姿をすぐに見失ってしまう。メリッサは辺りを照らす光球を魔法で作り出すと、その光を頼りに走り始めた。
男の子は町の中心に向かっているらしい。メリッサは自分の魔力がだんだん少なくなっていくのを感じていた。今日だけで何回も魔法を使っている。こればっかりは仕方ないかと唇を噛んだ。