39:孤独は魔法じゃ癒せない(2)
「なに変な顔してるの? まともに寝てないから、ぼけてるの?」
「え……え?」
「めりっさ、おれがそばにいるからね。おかあさんにもおはなしして、ここにいることにしたからね」
ディオが小さな胸を張る。可愛い。
「ディオは一時的に魔術師団で預かることになったの。ちゃんと保護者の許可もとってあるわ」
「え、なんで……?」
「メリッサ、あなたを一人にしないためよ。他の人の言うことは聞かないあなたでも、さすがにディオの言うことは無視できないでしょう。それに、これはディオの望みでもあるから」
先輩はなぜか勝ち誇ったような顔をしている。ディオがそんな先輩の前にすっと出てきて、にこりと笑った。
「めりっさ、ごはんたべるの。はい、おいしいよー」
ディオがフォークにブロッコリーを刺して、メリッサの口元へ持ってくる。メリッサはぼんやりとした頭で、無意識に口を開いた。久しぶりに食べ物を口にしたメリッサの瞳から、またぽろりと涙が零れ落ちる。
「どっちが子どもか分からないわね、まったく。ディオ、後は頼むわよ」
「わかった!」
ディオが元気よく返事をした。それからメリッサの涙を、小さな指で一生懸命拭ってくれる。メリッサはされるがまま、じっとしていた。
「めりっさは、なきむしだなあ。おれがいないと、ほんと、だめなんだから」
「……ディオ」
泣きすぎてくらくらする。それでもメリッサはしっかりとディオを抱き締めた。
「おれがいるから……なかないで……」
ディオがメリッサを抱き締め返しながら、釣られて静かに泣き始める。二人の小さなすすり泣きが部屋に響いた。
師匠はまだ、目覚めない。
*
知らないうちに、眠ってしまっていたようだ。メリッサは目を擦って周りを見回す。目の前に寝ている師匠は、固く目を閉じたままだ。唇を噛み締めて項垂れると、肩からぱさりと毛布が落ちた。
誰が掛けてくれたのだろう。首を傾げながら、落ちた毛布を拾う。
少し離れたところにあるソファに、ディオが丸まって寝ていた。縫いぐるみのゴンザレスをぎゅっと抱き締めて眠る愛らしい姿に、メリッサは笑みを零した。
医務室の時計は十時半をさしている。カーテンを少し開けて外を見ると真っ暗だったので、今はどうやら夜の十時半らしい。ずっとぼんやりしていて、時間の感覚を失っていた。
メリッサはディオの傍に近寄って、その頭を撫でてやる。この子のおかげで、少し元気が出た。
「……んむー。……めりっさ?」
「ごめん、起こしちゃったね」
「……だいじょうぶー」
ディオは眠そうに目を擦りながら、メリッサに抱き着いてくる。メリッサはそんなディオを抱き上げて、師匠の傍に戻った。ディオは眠り続ける師匠の顔を見て、首を傾げた。
「どうしてまほうでおこさないの? まほうはなんでもできるんじゃないの?」
メリッサはディオを抱っこしたまま、椅子に座る。
「確かに魔法は何でもできる気がするよね。でも、人の命に関わる魔法はちょっと難しいんだよ。だから、簡単には使えないの」
「なんでー?」
「えっと。怪我とか病気とか、魔法で治すことはできるけどね。あまり使いすぎると、だんだん魔法が効かなくなるの。それに、その人が持っていたはずの自然に治癒する力がなくなって、誰にも治せなくなっちゃう」
難しかったのか、ディオは眉間に皺を寄せた。
「むー?」
「ディオは転んで怪我をしても、そのうち治るよね? 魔法で怪我を治すのを繰り返した人は、それが自然に治らなくなるの。だから、どうしてもっていう時以外は、魔法で治しちゃいけないの」
「むむー。まほうって、ふべんなんだねえ」
そう。魔法は便利な面もあるが、不便な面もあるのだ。魔法を使っても意味がないことだってたくさんある。
例えば、人の心を変えること。魔法で操っても、その人が持っている本当の心までは変えられない。本当の心と相反する行動をさせ続けていると、その人はやがて壊れてしまう。
それに、人の命を甦らせること。これもできない。魔法でできるのは、死体を操ることくらいだ。生き返る訳ではないので、これもまた意味がない。
精霊が与えてくれた魔法は万能なようでいて、実に半端だ。だからこそ、魔術師は魔法の勉強をするのだ。より良い魔法の使い方を見つけるために。立派な魔術師になるということは、半端な魔法を上手に使いこなせるようになるということだ。
「まほうって、とってもふしぎ」
「そうだね。あたしもまだまだ魔法のことは勉強中だよ。だから、師匠には起きてもらわないと困る。もっともっと、魔法のこと、教わりたいから」
メリッサは眠る師匠の手を握る。しわくちゃで、少し冷たい老人の手。何度も何度もメリッサの頭を撫でてくれた優しい手だ。その老人の手に、そっとディオの手が添えられる。
「おれも、おてて、にぎっていてあげるの」
「……うん。ありがとう」
メリッサはディオに小さな声でお礼を言うと、そっと目を閉じた。
*
事態が動いたのは、次の日のことだった。
「倒れてから、もう三日。本当に、このままでは……」
医師が沈痛な面持ちでそう言った。メリッサはディオと並んでその言葉を聞いていた。師匠を心配して集まっていた魔術師たちが騒ぎ始める。
「どうにかならないのか」
「……難しいですね。魔術師団長の魔力が、もうほとんど感じられないんです。たとえ目が覚めたとしても、もう魔法は使えないでしょう」
「嘘でしょう? 師団長は誰よりも魔力が高かったのに」
「とにかく全力を尽くします。でも、目覚めないようであれば……」
「覚悟をしておけ、ということか」
魔術師たちと医師の会話は続いていたが、メリッサはその先を聞かずに医務室を飛び出した。ディオがわたわたしながら後をついてくる。
覚悟とは、いったいどんな覚悟なのだろう。師匠がもう目覚めてくれないという覚悟か。師匠ともう二度と話ができないという覚悟か。
永遠の別れ、という覚悟か。
そんなの嫌だ。耐えられるものか。
メリッサはじっとしていられなくて、廊下をでたらめに歩く。暖房のない廊下は寒くて、呼吸をするたび白い息が生まれては消えていく。
「めりっさ、まって!」
ディオが半泣きでメリッサの服を掴む。メリッサははっとして、ディオを振り返った。
「……ごめん、あたし……」
ぽたりと涙の雫が落ちる。ディオはふるふると首を振ると、メリッサの手を握ってきた。小さくても温かい、頼りになる手だ。
「めりっさは、やっぱりなきむしだねえ」
メリッサはディオの手を握り返し、少しだけ微笑んだ。
もう師匠でもなんでもないのに。この子は本当に優しすぎる。




