34:ディオが幸せになりますように(10)
メリッサは磨き終わった魔導具を棚に置き、次に磨く予定の魔導具を手に取った。
その時。
「うわああん! めりっさー!」
紫色の髪の毛の幼児が突撃してきた。ディオである。
「……また来ちゃったの? 新しいお師匠さま、困ってるよ?」
「おれのししょーは、めりっさだけだもん……」
母親の元に引き取られたディオは、なぜか朝から毎日魔術師団にやって来ている。そして、平日の午後にある魔法の授業から逃亡ばかりしている。新しい師匠から逃げて、メリッサのところに飛んでくるのだ。
もうディオと会う機会もないだろうと覚悟していたメリッサには拍子抜けの事態だが、こうやって甘えられるのは嬉しかった。メリッサは綺麗に手を洗った後、ディオを抱っこしてあげる。
「まだ授業の途中でしょ? 戻らないとね」
「いやだ! いやだー! あのひとすぐにおこるもんー!」
ディオがぶんぶんと首を振る。そこにぬっと現れたのは新しい師匠である。眼鏡をかけ、ひっつめ髪にしているその女性魔術師は、じとりとディオを見下ろした。
「ディオさん。今日は炎が出せるようになるまで逃げないようにと言ったはずですよ。どうしてこんな簡単なこともできないのでしょう……」
呆れたように新しい師匠が言う。メリッサの腕の中にいるディオが、ひくっとしゃくりあげた。メリッサはぽんぽんと小さな背中を優しく叩いてやる。
「ね、ディオ。この部屋、ちょっと寒いと思わない?」
「……うん」
「そこの暖炉に火を入れたら、温かくなると思うんだよね。手伝ってくれる?」
「……うん」
メリッサはディオと一緒に暖炉の前に座る。そして「見ててね」と言ってから、手のひらの上に小さな炎を出した。ディオが「ほわあ」と声をあげる。
「ディオもできる?」
「がんばる!」
ディオが小さな手を広げて、うんうん唸る。ぽふっと小さな音がして、灰色の煙が上がった。へにょりと眉を下げて、ディオがメリッサを見上げてきた。メリッサはディオの頭を撫でて、にっこりと笑う。
「あとちょっとだね! 大丈夫、ディオは天才だもん。すぐできるようになるよ!」
「……うん!」
ディオの前でもう一度炎を出して見せてあげる。ディオはじっとメリッサの炎を見つめた後、自分の小さな手のひらに集中する。
ぽっと小さな炎が飛び出した。
「あ、できたー!」
「うん、上手だね! この火を暖炉に入れてごらん?」
「わかった! よいしょー!」
ディオの炎が暖炉に入って、ぽわぽわと燃え始めた。メリッサはその炎を確認し、新しい師匠に向かって言う。
「ディオは炎が出せるようになりましたよ。今日の授業はこれで終わりですよね?」
「……そうですね」
新しい師匠はため息をついて、ディオを見下ろす。ディオはびくりと震えて、メリッサの後ろに隠れた。
「また明日、もう一度テストしますからね。きちんと復習しておきなさい」
そう言ってくるりと踵を返し、新しい師匠は去っていった。メリッサは思わず安堵の息を吐く。すると、部屋にいた他の魔術師たちもみんな、安心したように力を抜いた。
「ディオの新しい師匠、厳しいなあ。こりゃ、ディオが逃げる訳だ」
「それよりメリッサ、教えるの上手ねえ。私、驚いちゃった」
魔術師たちは掃除道具を放り投げ、わいわい騒ぎだす。メリッサは一向に掃除が進んでいないことに気付き、眉を顰めた。先輩たち、サボりすぎである。
メリッサは後ろに隠れていたディオを前に押し出して、わざとらしく言ってやる。
「ほら、ディオ。魔術師のみんなが、これからこのお部屋を綺麗にお掃除するよ。いっぱい応援してあげてね」
「わかった! おれ、おうえんする! がんばれ、がんばれー!」
ディオが真剣な顔で手をぶんぶん振り始めた。可愛らしい応援に、先輩魔術師たちの顔がキリリと引き締まる。ささっと掃除道具を手に取ると、てきぱき動き始めた。
この人たちはやればできるのだ。いつもやる気がないのが問題なだけで。
「……メリッサ、人を動かすのも上手になったわね。良い奥さんになりそう」
「だから、そんな相手いませんってば」
メリッサは呆れた顔でそう言って、掃除の続きをするのだった。
掃除が終わったのは、夕方になってからだった。ディオのおかげで途中からは順調に作業が進んだので助かった。
「ぴっかぴかだねー!」
「うん。ディオが応援してくれたおかげだよ! ありがとね!」
ぎゅっとディオを抱き締めると、ディオが嬉しそうに笑った。
「さて、そろそろ日が暮れちゃうよ。ディオもおうちに帰らないと」
メリッサがディオの手を握り、帰るように促してやる。すると、ディオがもじもじしながら上目遣いをしてきた。可愛い。
「おれね、きょうはめりっさといっしょがいいの」
「ん? お母さん、ディオのこと待ってるんじゃないの?」
「うん。そうだけど、きょうはかえりたくないの。めりっさのことが、だいすきだから」
ディオの可愛い告白に、メリッサの胸がきゅんきゅんした。一体どこでこんなおねだり技を会得したのだろう。思わずその通りにしてあげたくなってしまうではないか。
しかし、ディオはもうメリッサの弟子ではない。メリッサの独断で決めることはできないのだ。メリッサはディオの頬に手を添えて、目と目を合わせる。
「今日はお泊まりする準備ができてないよね? お着替えとかないでしょ?」
「ない……」
「魔術師団にお泊まりしても良いよっていう許可も、今日はないから。今日はおうちに帰るの。でも、明日はお泊まりできるように、許可をもらってあげる。明日、お着替えとか持っておいで。そしたら一緒にいられるから」
「……ほんと?」
ディオの顔がぱあっと明るくなった。嬉しそうに頬を染めて、メリッサにぎゅっと抱き着いてくる。メリッサもくすくす笑いながら、ディオを抱き締め返す。
「めりっさ、おれね、あしたたのしみ! あしゅーどもいるといいのに……」
魔術師団の経理を辞めたアシュードは、メリッサやディオに会いに来てくれない。手紙などもくれない。
経理の部屋の奥、いつもアシュードがいた机は、今もがらんと空いたまま。
「……アシュードがいなくても平気だよ。あ、三人組のみんなも呼ぼうか? みんなでお泊まり会をすると、きっと楽しいよ?」
「みんなもいっしょ? おれね、すごくすごくたのしみー!」
ディオは目を輝かせて、くるくると踊り始めた。可愛い。




