表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/50

32:ディオが幸せになりますように(8)

 じっとしていられなくなって、メリッサは自分の部屋を飛び出した。廊下を駆け抜けて、経理の部屋の扉をノックする。


「アシュード!」

「……メリッサか。どうした?」


 部屋の奥にいるアシュードが、(いぶか)しげな視線を寄越す。メリッサは他の机で作業している新人たちに軽く頭を下げた後、ささっとアシュードのところまで移動した。


「ディオが、お母さんのところに帰っちゃうかもしれないの」

「……そうか」


 アシュードは特に驚いた様子もなく(つぶや)いた。それから(おもむろ)に立ち上がると、メリッサの手を取って歩きだす。


「後、頼むぞ」


 部屋にいる新人たちに声を掛け、アシュードはそのまま部屋を出る。メリッサは手を引かれるまま、その後に続く。繋いでいる手が大きくて温かくて、なんだか安心する。そんな自分がなんとなく恥ずかしくて、メリッサは目を()せた。


 二人は魔術師団の建物の最上階にある空き部屋に入る。ここには誰もいない。


「……メリッサ」


 このところ、メリッサを目にするたび赤面していたアシュード。今日はなぜか全く赤くなることなく、普通の顔をしている。いや、それどころか、渋面を作っている。


「どうしたの、アシュード。なんか、いつもと違う……」

「こんな時に言うのはどうかと思ったんだが。でも、今しかないから」


 雨の音が一層強くなった。部屋の中がふっと暗くなる。


「僕がメリッサ、お前のことを好きだって言ったのは本当のことだ」

「え……」


 部屋が暗くて、アシュードの表情がよく分からない。しかし、その声色は固く、言っている内容とはちぐはぐだ。メリッサはどう反応して良いのかが分からなくなり、目線を下に落とした。黒っぽい色のカーペットが、暗い部屋をさらに暗い印象に変えていく。


「でも、お前は、この僕だけは絶対にありえないと、そう言っていたらしいな。まあ、十二歳も離れているし、当然か」

「そ、そんなの、誰に聞いたの」

「クリス王子、ガント、ロイの三人から」


 あのちびっこ三人組の口は、とても軽いらしい。メリッサは思わずため息をついてしまう。


「あの三人を責めるなよ。僕が無理矢理聞き出したようなものだ。でも、もう良いんだ。僕はお前を諦める。もう、お前を困らせたりしない」

「……どういうこと?」

「僕はこの魔術師団の経理を辞める。エマ様も結婚を早めたいと言っているし、すぐにでも結婚することになるだろう」


 ぴかっと空が一瞬光る。窓からその光が入り、アシュードの姿がくっきりと見えた。続いて大きな雷の音。


「……ちょっと待って。なんでそうなるの? ディオもいなくなるのに、アシュードまでいなくなっちゃうなんて、そんな」

「じゃあ、お前はこの僕の気持ちに応えられるのか?」


 アシュードはそう言うやいなや、メリッサをぐいっと引き寄せた。甘い香りがふわりと鼻をくすぐってくる。メリッサは反射的に身を(よじ)った。


「……そ、そんなの、よく分からないよ! 離して!」

「やっぱり、応えられないんだろう? ……分かっていたさ」


 アシュードはあっさりメリッサを手放した。そして、くるりと背を向ける。


「メリッサ、悪いな。散々僕を頼れと言ってきたが、これからはもうお前のことを支えてやれそうにない。誰か別の、本当に頼れる奴を探してくれ」

「アシュード……?」

「ディオがいなくなる寂しさを埋めるのは、僕じゃない」


 また、雷が鳴った。アシュードはそれ以上何も言わず、部屋を出て行ってしまう。

 メリッサはひとり部屋に残され、打ちつける雨の音をただ聞いているしかなかった。



 *



「……夢」


 見慣れた天井が目に入ってきた。眠りながら泣いていたのか、起き上がった途端、ぽたぽたと布団に雫が落ちた。


 夢で良かった、なんて呑気(のんき)にしてはいられない。なぜなら、その内容は全て現実にあったことだから。ディオの母親が訪ねてきたことも。アシュードが魔術師団の経理を辞めることも。全部、現実のことだから。


 メリッサは軽く髪を()いて、二つに結う。アシュードのくれたシャンプーのおかげで、この頃は髪の調子が良い気がする。つやつやとした黒髪が、さらりと揺れた。冷たい水で顔を洗い、泣いていた跡を綺麗に流す。


 今日はディオを母親の元へ帰してやる日である。話し合いの結果、ディオは母親と共に暮らし、魔術師団へは平日の午後に魔法を習いにくることになったのだ。


「ディオ、おはよう!」


 メリッサはディオの部屋の扉を開けて、声を掛ける。こういう生活も今日で終わりだ。ディオは可愛らしい寝顔でむにゃむにゃ口を動かしている。


「ディオ、起きて。今日はお母さんのところに帰る日でしょ!」

「……んむー」


 ディオの体を揺さぶると、小さな口から不機嫌そうな声が漏れた。こんな声を聞くのも、今日が最後。メリッサは目を閉じて、しっかりとその声を心の中に刻み込む。


「ほら、アシュードがくれたセーター着るんでしょ?」

「きるー」


 ディオが目を(こす)りながら起きてきた。メリッサは寝癖のついた髪の毛を、優しく撫でて微笑んだ。ディオはいきなり頭を撫でられて、目をぱちぱちさせていたが、すぐにふにゃっと笑った。


「めりっさ、おはようなのー」




 朝食の後、ディオの荷物を(まと)める。お気に入りの絵本やおもちゃ、服などもどんどん箱に詰めていく。ディオも鼻歌を歌いながら手伝ってくれた。

 作業が終わると、あとは母親を待つだけとなる。ディオは片付いた部屋を隅から隅まで珍しそうに見回っていたが、不意にぱっと顔を上げた。


「そうだ! あしゅーどに『またね』っていわないと!」


 ディオはメリッサの手を取って、ぴょんぴょん跳ねながら走りだす。母親と暮らせるようになるのが余程嬉しいのだろう。ずっと上機嫌だ。


「めりっさ、はやく! あしゅーど、まってる!」

「いや、待ってはいないと思うけど……」


 メリッサはそう答えながらも、少し早足になってしまう。経理の部屋に着くと、ノックもそこそこに扉を開けた。


「あしゅーどー!」


 ディオが元気良く部屋に駆け込もうとして、ぴたりと止まった。きょとんとした顔で、部屋の奥を見つめている。

 いつもアシュードがいた部屋の奥の机には、誰もいなかった。


「……アシュード様なら、昨日でお辞めになりましたけど」


 新人が言いにくそうに、小さな声で言った。


「見合い相手の方に(うるさ)く言われていたみたいで。急に辞めることになったんですよ」

「え、でも、予定では一週間後に辞めるって……」

「それが、早まったみたいで。ああ、ディオくんとメリッサさんによろしくって言ってましたよ」


 アシュードが使っていた机はすっきりと片付いている。いつも書類が山のように積み重なっていたのに、今は一枚もない。主のいないその席は、どこか物寂しい。


「めりっさ、あしゅーどは?」

「……ここには、もういないんだって。辞めちゃったって」

「ざんねん……」


 メリッサは苦笑しながら、しょんぼりするディオを抱き上げた。そして、新人たちにぺこりと頭を下げて、経理の部屋を出た。ディオはメリッサにぎゅっと掴まって、ぐすぐすと鼻を鳴らし始める。アシュードに会えなかったのがショックだったらしい。


「ディオ、泣かないで。ほら、お母さんのこと考えてごらん? 嬉しいでしょ?」

「……うん」


 ディオやメリッサに何も言わず去っていったアシュード。あまりの勝手さに、少し腹が立つ。こんなにディオに(なつ)かれておきながら、さっさといなくなってしまうなんて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] アシュくん(´;ω;`)ウゥゥ 一体どうなってしまうのだ(´;ω;`)ウゥゥ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ