31:ディオが幸せになりますように(7)
しばらくして、「おこさまらんち」が運ばれてきた。小さめのオムライスやハンバーグが可愛くお皿に盛られている。メリッサは初めてこういうものを見たこともあって、じっと凝視してしまう。なんだかこれを食べることができる子どもたちが羨ましかった。
メリッサとアシュードには、普通に大人用のプレートが運ばれてきた。「おこさまらんち」と比べると、随分落ち着いた感じがする。ちょっとだけ、残念な気持ちになった。
「いただきまーす!」
「いただきまーす!」
「いただきまーす!」
三人組が元気良くぱちりと手を合わせて食べ始めた。ディオも戸惑いながら「いただきまーす?」と言って、手を合わせる。そして、オムライスを一口、口の中に入れる。
「……おいしいー」
ほわほわとした幸せそうなディオの笑顔。それを見たメリッサは微笑んで、ディオの口のまわりについたケチャップを拭ってやる。
「めりっさにも! はい、おくちあけてー」
ディオがスプーンにオムライスを乗せて差し出してくる。メリッサは少し頬を赤らめた後、ちらりとアシュードの様子を窺う。アシュードはこちらを気にせず、自分の食事に集中しているようだ。これはチャンスである。
「あ、ありがとう、ディオ」
初めて食べた「おこさまらんち」は、とても幸せな味がした。メリッサの頬が思わず緩む。
「あっ! ずるいのー!」
「オレもメリッサねえねにたべてもらうの!」
「ぼくもー!」
三人組が我も我もとメリッサにスプーンを差し出してくる。メリッサがどうするべきか悩んでいると、すっと横からもう一つスプーンが差し出されてきた。
「……なんでアシュードまで差し出してきてるの」
「……いや、そういう流れだと思って」
そう言うアシュードの顔は真っ赤である。恥ずかしいなら、しなければ良いのに。というか、この前から赤面する姿をよく見かけるようになった気がするのだが、気のせいだろうか。この男の心情が、いまひとつ掴みきれない。
メリッサはちびっこ三人組が差し出してきたものを順番に食べてあげた後、ちらりとアシュードに目を遣る。アシュードは自分の差し出した分をじりじりと引っ込めていく。その表情は、なぜか少し安心しているように見えた。勢いで差し出してみたのは良いが、本気でメリッサに食べさせたい訳ではなかったらしい。
なんだか、それはそれで腹が立つ。そういえば、この男には一泡ふかせてやる予定だった。
「アシュード」
名前を呼んで、逃げようとするその手を掴む。そして、にっこりと微笑んで見せた後、メリッサはアシュードのスプーンを口に入れた。
「メ、メリッサ」
アシュードの戸惑う声に、してやったりと笑ってやる。口の中に広がるのは、子ども用とは違う少し大人の味。メリッサが好きな、甘酸っぱい味だった。
こんな状況でもメリッサの好みを把握した上で動いているなんて、この男は本当に侮れない。
さて、アシュードはどんな間抜け面を晒しているのかと思って、改めて様子を窺ってみると。
「……え」
アシュードはとても嬉しそうに微笑んで、メリッサを見ていた。その翠の瞳は優しく細められ、まるで愛しいものでも見ているかのよう。
メリッサの心臓が、今までにないくらい大きく跳ねた。
「あれ? メリッサねえね、だいじょうぶ?」
「かお、あかいね」
「まっかっかだね」
三人組の可愛らしい心配の声が、遠くに聞こえる。
ああ、今日も良い天気だ。
美青年の甘い笑顔に呆気なく敗北したメリッサは涙目になりながら、その後の食事を続けたのだった。
ごはんの後、ディオの誕生日プレゼントを買いにおもちゃ屋さんに行った。大きな通りを少し外れたところにあるそのお店は、人気があるのが頷けるほどの商品の並びっぷりだった。三人組が奇声を発して走りだそうとするのを必死で止めた。
「今日はディオのお誕生日だから! おもちゃはディオの分しか買わないよ!」
「ええー!」
三人組が揃って項垂れた。小さな三つの背中が並び、丸くなる。
そこへディオがすっと寄っていき、小首を傾げた。
「……おれね、おもちゃよくわからないから。みんなにえらんでほしいな」
三人組はきょとんとした後、再び元気いっぱいになった。
「まかせろー!」
「ディオがよろこぶやつ、えらぼう!」
「さいこうのおもちゃを、さがすのー!」
またまた奇声を発しながら、三人組は店の中へと駆け込んでいった。アシュードは残されたディオを抱き上げると、三人組の後をゆっくりと追う。
「ディオ、良いのか? 自分で選ばなくて」
「うん。おれ、おでかけできただけでうれしいの。くりすたちがおもちゃをえらんでくれたら、きっといいおもいでになるの」
「……ディオは大人だな」
よしよしと頭を撫でてもらって、幸せそうにしているディオ。まるで本当の親子のように仲の良い二人の後ろ姿を見て、メリッサもなんだかほっとする。
ずっと、こんな風に温かい時間が続けば良いのに。
しかし、その願いとは裏腹に、少しずつ悲しいことが近付いてきていた。それに気付くのは、僅か三日後のこと。
これまでの穏やかな生活が、崩れようとしていた。
*
ざあざあと大きな音を立てて、雨が降っている。葉が落ちて、細い枝が目立つようになった木々に、次々と雨粒がくっついては落ちていく。柔らかい地面は落ちてきた水滴を吸収し、じっとりとふやけていくように見える。空が暗いので、その様子は少し不気味に思えた。
メリッサは窓の外を見ながら、小さく震えた。寒くなってきたからと、一枚多く厚着してみたが、あまり意味はなかったかもしれない。指先が冷たくなっている。
「ディオ……」
小さく呟くと、目の前のガラスが一瞬だけ白く曇る。曇りが晴れたところに大きな雨粒がぽたりとくっついて、すぐ下へと滑り落ちていった。
今日、ディオの母親だという女性が、魔術師団を訪ねてきた。ディオとそっくりの紫色の髪をしたその女性は、ディオを見るなり泣きだした。ディオの方も「おかあさん!」と言って、その女性に抱き着いた。
それは、紛れもなく、親子の対面だった。
ディオの誕生日のお祝いに、街へお出掛けしたあの日。偶然、ディオの母親がディオのことを見掛けたらしい。自分の息子がこんなところにいる訳がないと思いつつも、無視することもできず、魔術師団に帰るまで後をつけたのだという。
「私も、ディオを捨てたくて捨てた訳ではないんです。あの子と離れてからずっと、後悔をしていました。会いたくて会いたくてたまらなかった。あの子が許してくれるなら、もう一度、一緒に暮らしたい……」
母の涙ながらの訴えに、魔術師団ももう一度ディオの処遇を考え直す必要が出てきた。母の元に返し、魔術師団に通うかたちにして、魔法を覚えさせるか。このまま魔術師団で預かり、ある程度魔力を扱えるようになってから引き渡すか。
どちらにせよ、ディオはメリッサの傍からいなくなってしまうことになりそうだった。
 




