29:ディオが幸せになりますように(5)
ここで、ふと思い出す。以前、ちびっこ三人組が「アシュはメリッサねえねのことがすき」と教えてくれたことを。
動揺している間にお見合いなんてされてしまったので、なんとなく確認しそびれていたが。アシュードは、まだメリッサのことを好きなのだろうか。好きだというなら、エマから奪い返すのも不可能ではない気がする。
「アシュード。あたしね、小耳に挟んだんだけど」
「ん?」
「アシュードはあたしのことが好きだって。お嫁さんに欲しいって。ずっと一緒にいたいって。そう言ってたって……本当、なの?」
今、ここで、こんな形で確認することではないのかもしれない。しかし、アシュードもエマもお互いのことをそんなに好きではないと知ってしまったら、もう我慢できそうになかった。アシュードの本当の気持ちが知りたい。
スカートをぎゅっと握る。手のひらに汗をかいていた。
アシュードはなかなか返事をしない。メリッサは祈るように目を閉じて、じっと待っていた。が、あまりにも何の反応もないのが気になって、薄目を開けてみた。
「……え?」
アシュードは片手で顔を覆って俯いていた。その顔は真っ赤になっている。よく見ると、顔だけでなく耳や首筋まで赤い。予想外のその反応に、メリッサは目を瞬かせた。
「アシュード? あの、大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ。大丈夫に決まっている」
そう言いながらも、アシュードは顔を上げない。小さく震えているようだ。長い指の先までほんのりと赤くなってきている。このまま放っておいたら、全身真っ赤な人間ができあがるのではないだろうか。
「あしゅーど、まっかっかだね? ひやす?」
ディオがタオルを取り出してきて、魔法を使ってそれを濡らす。夏に水遊びをした成果が、こんなところで見られるとは。メリッサはディオの成長に目を瞠る。
びちゃびちゃに濡れたタオルを、ディオはアシュードの頭に乗せた。アシュードは赤い顔のまま、ディオの頭を撫でる。ディオが嬉しそうに、にこりと笑った。
「……そろそろ僕は、仕事に戻らなくてはならない。悪いが、話はここまでだ」
「え、新人が来たから余裕があるんじゃないの?」
「新人は新人だ。今頃きっと困っている。うん、戻らなくてはな!」
アシュードは濡れたタオルで顔を隠すと、そそくさと立ち上がった。そして、メリッサが止める間もなく、早足で部屋を出て行ってしまう。部屋にはきょとんとした師弟ふたりが残された。
「……え、結局、どうなの?」
残念ながら、メリッサの問いに答えてくれる声はない。ディオが可愛らしく首を傾げただけだった。
*
「あのね、おれ、まちにあそびにいきたいの」
少し肌寒く感じるある日のこと。ディオが目をきらきらさせて、メリッサにおねだりしてきた。メリッサは、ディオが風邪をひかないように上着を着せてやりながら尋ねる。
「どうしたの、突然。街には男の人がたくさんいるよ? 恐くないの?」
「めりっさとあしゅーどがいてくれたら、だいじょうぶ。おれね、もうすぐごさいだから」
「……ん?」
メリッサは首を傾げた。もうすぐ五歳とは。
「……ディオ、お誕生日はいつ?」
「じゅういちがつ、じゅうににち」
「本当にもうすぐじゃん!」
これはうっかりしていた。ディオの誕生日を今の今まで気にしていなかった。そうか、この子はもうすぐ五歳になるのか。
「おれね、おたんじょうびは、めりっさとあしゅーどといっしょに、まちにいきたいの。それで、いっぱいあそぶのが、ゆめ」
なんて可愛らしい夢なのか。これは叶えてあげるしかない。メリッサはディオをぎゅっと抱き締め、何度も何度も頷いた。
「分かった。じゃあ今からアシュードのところに行って、話してみよう!」
ディオの手を取って、にっこりと笑いかけてあげる。すると、ディオは頬を赤く染めて、にこにこと笑って頷いた。二人で手を繋いでアシュードのところへ向かうことにする。
アシュードが真っ赤になって逃げた日から一週間。
あの男、メリッサのことを避けているようだ。失礼な奴である。
自分もアシュードのことを避けていた時期があったくせに、まあそんなことはすっかり忘れて腹を立てているメリッサである。
「今日は逃がさないんだから!」
廊下をわざと足音を立てながら歩く。焦げ茶色のつやつやした床が、カツンカツンと軽快なリズムを刻む。ディオも楽しくなってきたのか、ぺたんぺたんと真似を始めた。擦れ違う魔術師が目を丸くして見守る中、二人は仲良く経理の部屋へと進んでいった。
経理の部屋まで来ると、ディオが突撃の構えをとった。メリッサは真剣な顔で扉をノックし、「どうぞ」という返事と同時に扉を開け放ってやる。
「あしゅーどー!」
「……ディオ?」
部屋の奥にいたアシュードが顔を上げた。駆け寄ってくるディオに驚いて、目を丸くする。しかし、すぐにディオを受け止める体勢になる。
「今日は鳩尾に頭突きはさせない! 僕は同じミスは繰り返さない男だ!」
ぽすんとアシュードに受け止めてもらったディオは、ふにゃっと可愛らしい笑顔を見せた。アシュードもその可愛さに、思わず笑みを零す。ところが、ディオはここで止まりはしなかった。ぴょこんと跳ねて、アシュードの膝の上に勢いよく飛び乗ったのである。
「痛っ!」
ディオの頭が、アシュードの顎にぶつかる。ゴツンと鈍い音がした。
「ごめんなさーい」
「……いや、大丈夫だ。でも、メリッサの頭突きより痛いな」
アシュードが顎をさすりながら、ちらりとメリッサを見てくる。メリッサは入り口で腕を組み、仁王立ちでアシュードを威嚇していた。
「アシュード、話があるの」
アシュードはふいっと目線を逸らし、メリッサの言葉が聞こえなかったふりをする。わざとらしくディオの頭を撫でながら、別の話題にすり替えようとする。
「さっきの頭突きは本当にすごかったな! ディオは痛くなかったか?」
「うん。おれね、いしあたまなの」
「そうか、石頭だったのか。この僕に負けないくらい、強く素晴らしい頭だな!」
「えへへー」
照れているディオは可愛いが、目線の泳ぎまくっているアシュードは可愛くない。メリッサは膨れっ面になって、経理の部屋の奥へとずんずん進んだ。そして、書類が積み重なっている机をばんと手で叩く。
「話が、あるの!」
「……あ、ああ」
メリッサの勢いに、アシュードが負けた。ちなみにこの時、経理の部屋には新人が二人いた。新人たちは突如現れた怒れる美少女に驚き、部屋の隅へと避難する。
しばらく後になって、メリッサはその新人たちに気付くことになるのだが、その時まで彼らは、怒りが鎮まりますようにと黙って祈りを捧げていたという。




