28:ディオが幸せになりますように(4)
「あ、めりっさ、ちょっとまってて! おれ、ひらめいちゃったの!」
何を閃いたのか。可愛い。
最近、ディオが何をしても可愛い気がする。エマという敵の出現により、メリッサの心は非常に荒れていた。だからこそ、この可愛らしい弟子の存在が、より尊いものに思えるのかもしれなかった。
ディオはメリッサにソファに横になるように言った。その通りにすると、今度は毛布を持ってきて、メリッサに掛けてくれる。
「よいこでまっててね、めりっさ」
妙に大人ぶった口調で、ディオが言った。なんだ、この可愛い生き物。
メリッサはこくりと頷いてみせた。ディオはほっとした顔をして、小さな胸を撫で下ろす。それから急いで部屋の外へ出て行ってしまった。小さな足音が、すごいスピードで去っていく。
「ディオ、ひとりで大丈夫かな……」
建物の中に危険な人物はいないだろうが、ディオが苦手としている大人の男性は多くいる。メリッサは少し心配になって、後を追いかけようと起き上がった。そっと扉を開けて廊下を窺う。ディオの姿はもう見えなかった。
とりあえず、ディオの魔力を辿る。その道筋を確認して、メリッサは顔をこわばらせた。ディオはまっすぐ経理の部屋へと行ったらしい。
「アシュードを、呼ぶつもりなの……?」
メリッサは慌ててしまう。今はアシュードと話をする気分ではない。何を言えば良いのか、まだ結論が出ていないのだ。メリッサは迷った末に、さっきまでいたディオの部屋ではなく、隣の自分の部屋に逃げた。扉の鍵をかけ、ベッドに潜り込む。
ほどなくして、ディオの可愛らしい足音が帰ってきた。どうやら一人だけで帰ってきたようだ。誰かが一緒にいる様子はない。メリッサはほっとすると同時に、少し残念にも思った。アシュードが来てくれると、ちょっとだけ期待してしまっていた。
アシュードがいないのなら大丈夫、とメリッサはベッドを抜け出した。
そして、ディオのところに戻ろうと一歩踏み出した、その時。
ディオの小さな叫び声が聞こえた。続いて、部屋を飛び出し、廊下を駆けていく足音。
何事かとメリッサは自分の部屋を飛び出した。しかし、ディオの姿はない。ディオの部屋を覗いてみても、何か異変があるようには思えなかった。
「え、何? どうしたっていうの?」
呆然として廊下に立ち尽くす。どこまでも静かな空間。メリッサは訳が分からなくて、しばらくそのまま突っ立っていた。
そして、数分後。
「あ、めりっさ!」
廊下の向こう側に半泣きのディオが現れた。その後ろには、焦った顔をしているアシュードがいる。メリッサは驚いて思わず後ずさった。
「めりっさ! よいこでまっててっていったのにー!」
ディオがべそをかきながら、メリッサにしがみついてきた。メリッサは「ごめん」と謝って、ディオを抱き締めた。それから、恐る恐るアシュードを見上げる。
「えっと、アシュード、何しに来たの?」
「……ディオが、メリッサがいなくなったと言うから。誘拐でもされたのかと」
「え?」
ここで、メリッサは気がついた。ディオが叫んだ理由。それは、メリッサが部屋にいなかったことに対してだったのだ、と。
メリッサがいないことに驚いて、またアシュードの元に引き返したのだ。アシュードも、さすがに二回も呼ばれたら動かざるをえなかったのだろう。
「だ、大丈夫。アシュード、忙しいんでしょ? もう戻って良いよ」
メリッサはディオを抱っこすると、アシュードに背を向けた。しかし、アシュードが去る気配はない。それどころか、メリッサの後をついてくる。
「あの、アシュード?」
「仕事の方は、新人が入ってきたから少しは余裕がある。心配はいらない。それよりメリッサ。お前、この頃変じゃないか? 前は僕が忙しいと言っていても遠慮なしに押しかけてきていたくせに、全然来なくなったな」
メリッサは黙ったまま、ちらりとアシュードを見遣る。アシュードもじっとメリッサを見つめてきた。しばらくの間そうしていたが、アシュードが急に悔しそうな顔をして、大きくため息をついた。
「ああ、もう! 僕の負けだ。ここは僕が折れてやろう! そんなに学校に行きたいというなら、行くと良いさ!」
「……学校?」
「そうだ。お前、学校に行くのを反対した僕と会うのが嫌だったんだろう? だから、意地を張って、僕に会いに来なかった。違うか?」
メリッサはぽかんと口を開けた。アシュードに会いに行く気になれなかったのは、エマとの一件があったせいである。確かに学校に関しての言い争いで気まずかったというのはあるが、別にそれが原因だった訳ではない。
「あしゅーど、めりっさはげんきないの。いじめたら、だめ」
ディオがぎゅっとメリッサに抱き着きながら注意をする。アシュードはぐっと言葉に詰まったようだった。ディオ、本当に可愛い。天使か。
「めりっさも。よいこにしないと、おれ、おこるからね」
メリッサも注意されてしまった。やっぱり可愛い。怒れる天使か。
和んだところで、久しぶりにアシュードと話をすることにする。「アシュードは渡さない」とエマに宣戦布告してから、初めてのゆっくりと話す機会だ。正直、まだ何をどう話せば良いのか答えは出ていないが、まあ、なるようになれ、だ。
「あの、アシュード?」
「なんだ?」
「えっと……お見合い相手のエマさんとは、最近どうなの?」
なんか、噂好きのおばちゃんみたいな質問になってしまった。
「どうって……まあ、上手くいっているな。この前は刺繍入りのハンカチをもらったし、休みのたびに一緒に街にも行っている」
「そ、そうなんだ……。エマさんのこと、好き……なの?」
「好きというか……結婚相手としては悪くないといったところだな。身分もそこそこ高いし、顔もまあまあだ」
エマが、アシュードの良いところは顔とお金だと言っていたのを思い出す。アシュードから見たエマの良いところは、身分と顔なのか。メリッサは顰めっ面になってしまった。
「なんて顔をしているんだ、メリッサ。貴族の政略結婚なんて、皆そんなものだろう」
アシュードは前髪をかきあげ、やれやれと首を振る。その姿がなんだか人生を諦めているように見えて、メリッサはますます機嫌が悪くなる。
「うう……なんか、納得がいかない」
「まあ、お前は貴族ではないんだし、好きな相手と結婚したら良いだろう? 王立ステラ学園で、そういう相手を見つけるって言ってたもんな」
「それは、そうだけど」
ソファに座り、足を組んでいるアシュード。その隣にぴったりくっつくようにして、ディオがちょこんと座った。メリッサはテーブルを挟んだ向かい側のソファに腰掛けて、スカートの裾を整える。
アシュードの目線はメリッサの後ろにある窓の方へと向いている。翠の瞳は何の感情も抱いていないようで、なんだか心配になってきてしまう。メリッサは上目遣いになりながら、アシュードを見つめた。




