26:ディオが幸せになりますように(2)
「師匠、やっぱりあたし……」
そう言いかけた時、扉がノックされた。師匠が「どうぞ」と言うと、扉が開いて、アシュードが顔を出した。
「魔術師団長、少しお時間よろしいですか? 魔導具の管理費用に関して確認したいことがあるのですが」
「……メリッサ! これじゃ! これじゃよ!」
師匠の興奮した声に、メリッサはきょとんとしてしまう。その隙に、ディオがぴょこんと立ち上がり、アシュードの元へ駆けていく。そして、ぺたりとアシュードの足に貼り付いた。
「ディオ? それにメリッサもいたのか。……何をしているんだ?」
アシュードはディオを抱き上げると、メリッサの傍までやって来る。それからメリッサが手にしている資料をまじまじと見てきた。メリッサはなんとなく居心地が悪くなって、座っているソファの端へとじりじり移動してしまう。すると、アシュードは何の迷いもなく、空いたスペースに座ってきた。
そう、メリッサのすぐ隣に。
「……なんで隣に座るの」
「ん? 僕のために空けてくれたんだろう?」
「……違うし」
メリッサがぷいっとそっぽを向くと、アシュードが首を傾げた。そんな二人の様子を気にすることなく、師匠ヒューミリスが興奮気味に言う。
「アシュード! メリッサにもその自然な話の切り出し方を教えてやってくれんか? この子ときたら、いつもいきなり話し始めるんじゃよ!」
「ちょっと師匠! あたし悪くないし! 変なこと言わないでよ!」
思わず赤くなって膨れると、アシュードに頭をぽんぽんとされてしまった。
「魔術師団長。僕で良ければ喜んで教えますが。……それより、これ、王立ステラ学園の資料ですよね。もしかして、メリッサを通わせるおつもりですか?」
「ああ、そうじゃな。ワシは行かせたいと思っておる」
師匠の言葉に、メリッサは思わず顔を歪めてしまう。嫌だ、行きたくない。そんなメリッサの気持ちを知ってか知らずか、アシュードが表情を固くして言う。
「僕は反対です。メリッサには必要ないのでは」
「なぜじゃ? おぬしも王立ステラ学園の卒業生じゃろう。学園生活でしか手に入れられないものがあると、分かっておるじゃろうに」
「……あの学園で得たものは、確かに多い。ですが……」
アシュードが険しい顔をしているのを見て、膝の上に乗っていたディオが不安そうな顔になる。メリッサもなんだか不安になって、アシュードをじっと見つめてしまう。
「あの学園は、割と恋愛が自由なんですよ。メリッサに悪い虫がつきます」
「……は?」
メリッサは思いきり訝しげに首を捻ってしまった。悪い虫ってなんだ。師匠もぽかんと口を開けているではないか。
「アシュード。ワシはな、学園でメリッサが良い男を捕まえてくるのも悪くないと思っておるんじゃ。この子は可愛いからな。モテモテになるぞ」
「学園に良い男なんていません。いる訳がない。メリッサが弄ばれて、傷ついて、捨てられたりしたら大変です」
何て悲観的なのだろうか、この男。なんだか男を見る目がないと馬鹿にされているような気さえしてくる。メリッサはちょっとムッとしてしまう。
「とにかく僕は反対です。メリッサは今まで通り、ここで過ごすべきです。それに、学園で友達ができなかったらどうするんですか。ひとり悲しく泣く羽目になったら? 心配で心配で眠れなくなりますよ」
カチンと頭にきた。今までひとりでいたのは、メリッサが「ひとり」を望んでいたからだ。今はもう、そんなことを考えてなどいない。少しずつ交友関係を広げようと頑張っているところなのだ。
大体、この男、何の権利があって口出しをするのか。メリッサの身内でもないくせに、偉そうすぎる。
「……あたし、学校へ行く。それで、大恋愛して、師匠の希望通りの男を捕まえてくることにする」
わざとアシュードに挑戦的な視線をくれてやる。アシュードは目を見開き、唖然とした表情を見せた。それからすぐに、顔を顰める。
「メリッサ。僕はお前のためを思って言っているんだ」
「煩い! あたしがどうしようが、アシュードには関係ないでしょ! 友達だって、恋人だって、あたし頑張ってたくさん作るもん!」
「……恋人はひとりで充分じゃと思うがのう」
師匠が冷静に突っ込んでくる。
「とにかく! あたしは学校へ行く! もう決めた!」
メリッサは勢いよく立ち上がり、学校の資料を胸にぎゅっと抱いた。次いで、ぷいっとそっぽを向く。そんな反抗的なメリッサの態度に、アシュードが大きくため息をついた。
アシュードの膝の上で大人たちの会話を良い子で聞いていたディオが、眉根を寄せて深刻な顔をする。
「がっこうってところには、わるいむしがいるのかあ。わたあぶらむし? おおたばこが? よとうむし? どうがねぶいぶい?」
「……ディオは虫に詳しいんじゃのう」
「うん! おれね、ずかんをよんでもらったの。それで、おぼえたんだ」
師匠に真剣な顔で答えるディオ。
「ななほしてんとう、かまきり、くもはよいむしなんだ。めりっさ、そういうむしとなかよくするといいよ」
「……うん。参考にするね……」
ディオの少しずれた助言が可愛かった。思わずふっと笑ってしまうと、同じように笑っていたアシュードと目が合った。慌ててまたそっぽを向くと、アシュードが呆れたように首を振って呟いた。
「本当、素直じゃない奴」
*
魔術師団に、珍しいお客さんが尋ねてきた。銀色の長い髪。妖精のように可憐な姿。アシュードのお見合い相手、エマである。
「忙しいところ、ごめんなさいね」
「いえ、今はそんなに忙しくないので大丈夫です。えっと、どうぞ」
メリッサは複雑な気分で紅茶を用意して、エマの前に置く。ふわりと紅茶の良い香りが広がった。
突然やって来たこのお客様、なぜかアシュードではなくメリッサに会いたいと言ってきた。魔術師団用の建物は、基本的に部外者は立ち入り禁止。ここまで来るのは面倒臭い手続きが必要になるというのに、ご苦労なことである。
「私、魔術師団になんて初めて来たのよ。お茶とか魔法でぱぱっと出すのかと思っていたけれど、意外と普通なのね」
「魔力を無駄遣いしないように気をつけているので」
エマは紅茶を優雅に一口飲む。白いカップに形の良い唇がつけられるのを見て、なんとなく絵になる女性だなとメリッサは感心した。カップが丁寧に受け皿の上に戻され、ほんのりと湯気が揺れる。
「今日はメリッサちゃんにお願いがあって」
エマはにこりと笑って言った。メリッサは姿勢を正して、エマを見つめた。今日のエマは赤いドレスを身につけており、なんとなく威圧感がある。肩や腰のあたりには光沢のある黒いリボンが結ばれていて、すごく凝っているデザインのドレスだ。メリッサは至って普通のシンプルな服装なので、少し居心地が悪い。




