25:ディオが幸せになりますように(1)
十月になった。半袖から長袖へと衣替えをして、気分もなんだか新しく切り換わっていく気がする。外の風景もすっかり秋らしくなっており、色付きはじめた葉があちこちに柔らかい色を広げていた。
今日のメリッサは、ディオを連れて魔術師たちの仕事を見て回っていた。将来、この魔術師団で重要な位置につくことになるであろうディオが、魔術師の仕事に興味を示したからである。
「このメイフローリア王国で悪い魔法を使う人がいたら、魔術師団が止めに行くの。大きな魔法を使う時に、本当に使っても良いのかなって、みんなで考えたりもするんだよ」
「おおきなまほう?」
「えっと、この世界と異世界を繋いだり、時を操ったりする魔法とかが大きな魔法って言われてるかな。魔法はとっても便利なものだけど、危険なものでもあるからね。魔法を授けてくれた精霊さんに喜んでもらえるような使い方ができるように、みんなでいっぱい考えるんだよ。それから、魔導具を管理したりもするの」
ディオはこくこくと頷きながら、魔術師たちが仕事をしている様子をじっと見ていた。見られている魔術師たちの方は、心なしか緊張しているようだ。いつも適当にだらだらと報告書を書いている人が、妙に良い姿勢で書類と向き合っている。
「ほわあ、すごいんだねえ」
ディオが目を輝かせて、魔術師たちの仕事ぶりを褒めた。魔術師たちの顔がキリリと引き締まる。いつものだらけた顔はどこに行ったのか。
「あら、メリッサ。それに、ディオも!」
魔術師の先輩が声を掛けてきた。メリッサがぺこりと頭を下げると、ディオも真似をしてぺこりと頭を下げる。先輩は大量の書類を机の上に置くと、ふうと大きく息を吐いた。
「先輩、すごい量の書類ですね。何かあったんですか?」
メリッサが何気なく聞くと、先輩はへらりと緩んだ顔をした。
「実はね、私、結婚が決まってさあ」
「え、もしかして仕事辞めちゃうんですか?」
「ううん、辞めはしないよ。彼も仕事を続けて良いって言ってくれてるし。ただ、働く時間は短くしてもらう予定だから、いろいろ手続きしてるところ」
ディオが繋いでいる手をくいくいと引っ張ってきた。
「けっこん? めりっさ、だいじょうぶ?」
「え、大丈夫だよ。なんで?」
「あしゅーどがけっこんするっていったら、かなしいかおしてたでしょ? せんぱいがけっこんするのも、かなしいかなって」
「悲しくないよ。むしろおめでたいことだから、嬉しいよ?」
こてりと首を傾げて見上げてくるディオに釣られて、メリッサも首を傾げる。揃って斜めになった二人の姿を見て、先輩が笑った。
「メリッサは、そのアシュードって人に懐いているものねえ。他の女の人に取られるのは嫌なのよ」
「先輩。あたし、あんな人に懐いてなんていないです」
「またまたー。素直じゃないなあ、メリッサは」
むすっと膨れて先輩を見ると、先輩はますます楽しそうに笑い声をあげた。
「あ、そういえば、メリッサは学校に行くつもりなの?」
「学校、ですか?」
「そう。十六歳から二年間通える王立ステラ学園。師団長が資料を取り寄せているみたいよ?」
学校。同じ年頃の人たちが集まって勉強できる場所。メリッサはこの魔術師団に引き取られてからずっと、師匠ヒューミリスに勉強を教えてもらっていた。たまに家庭教師のような人がやって来て教えてくれることもあったが、それくらいである。学校なんて、行ったことはない。行こうと思ったこともない。
「私も通ってたけど、良い学校よ? 同じ年頃の友達もできると思うし。それに、恋人だって見つかるかもよ?」
「恋人?」
「うん。実を言うと、私が結婚することになった彼と出逢ったのは、そのステラ学園なの」
「そうなんですか」
メリッサは学校に通う自分を想像しようとした。しかし、同じ年頃の人と接する機会なんて今まで碌になかったため、上手く想像することができなかった。友達や恋人。一体どんな感じなのだろう。
先輩の仕事の邪魔にならないように、話を切り上げて部屋を出る。そして、ディオの手を引いて、今度は師匠ヒューミリスのところへ行くことにした。
「ディオ、師匠のところへ行ってみよう。学校の話、ちょっと気になるし」
「めりっさ、がっこうってなあに?」
「……それを聞きに、今から行くのよ」
廊下で擦れ違う魔術師が、時折声を掛けてくる。相変わらず大人の男性が恐いディオは、声を掛けてきたのが男性だと分かると、メリッサの後ろに隠れてしまう。しかし、半分だけ顔を出して様子を窺ったりすることも多くなってきた。少しずつ、恐怖を乗り越えてきているのだろう。良い傾向だと思う。
そんなディオの小さな手をぎゅっと握って、メリッサは師匠の部屋の扉をノックする。師匠の「どうぞ」という声が聞こえてから、ゆっくりと扉を開いた。
「師匠、あたし学校へ行くの?」
「なんじゃ、いきなり」
単刀直入に聞くと、呆れを含んだ声で返された。師匠ヒューミリスは髭を撫で付けながら、眉間に皺を寄せる。
「そういうところは、一体誰に似たんじゃろうな……」
「あたしを育てたのは師匠だよ? 師匠に似たんじゃない?」
「そうかのう……」
メリッサは五歳の時に、孤児院からここに引き取られた。それから約十年。ずっと師匠が親代わりだった。師匠以外の誰に似るというのか。
それはそうと、学校の話である。師匠は資料をメリッサに渡してきた。
「王立ステラ学園は、貴族の子女が多く通う学校じゃ。落ち着いた雰囲気で、人気があるんじゃよ」
「……師匠。あたし、貴族じゃないよ。馴染める気がしない……」
「そう言うな。メリッサはこの魔術師団で一定の成果を出しておるじゃろう? その功績が認められて、学園のほうから是非にと声を掛けて来とるんじゃ」
王立ステラ学園は、優秀な人材との繋がりを作る場でもあるという。だから、優秀な魔術師として活躍するメリッサに、是非入学してほしいのだとか。
「朝から夕方まで、ずっと学校にいなきゃいけないの?」
メリッサは学校の資料に目を通し、うーんと唸る。
「学校って興味はあるんだけど……こんなに時間取られるの? しかも、学校って毎日あるの? どうやって魔術師団の仕事をすれば良いの? ディオの面倒はいつ見れば良いの?」
「仕事は無理してやらなくとも良い。ディオのことは魔術師団の皆で面倒を見るようにしよう。それと、学校は毎日じゃない。土日は休みじゃ」
「うーん……」
学校は四月に入学式があるらしい。そこから二年間、ほぼ毎日通わなくてはいけないようだ。資料を見れば見るほど、その生活が窮屈に思えて、メリッサはしょんぼりしてしまう。
学校、行きたくない。




