21:アシュはだれのもの(9)
「メリッサ」
アシュードがメリッサに声を掛けてきた。メリッサは振り返って首を傾げる。
「どうしたの?」
「なぜ、すぐに僕のところへ知らせに来なかった?」
アシュードの声は怒りを含んでいた。翠の瞳は強い光を宿し、メリッサをまっすぐに射貫く。メリッサは思わず後ずさった。
「だ、だって、アシュードは忙しいと思って」
「どんなに忙しくても、ディオのためだったら何とかする。言っただろう。変に遠慮するな、もっと僕を頼れ、と」
メリッサがアシュードに知らせに行かなかった、本当の理由。それは、メリッサがアシュードの顔を見るのが恐かったからだった。お見合い相手のエマのことを考えて、へらへら笑うアシュードなんて見たくなかった。それに、ディオが行方不明になったことを責められるのではないかという恐れもあった。
メリッサが口を噤んだままそっぽを向くと、アシュードがわざとらしくため息をついた。
「メリッサ。……お前は本当に可愛くないな」
呆れたような口調でそう言われ、メリッサもカッと頭に血がのぼった。固く握り締めた拳をアシュードに向け、繰り出そうとする。しかし、その手はあっさりとアシュードに捕らえられてしまった。
「すぐ暴力をふるおうとするところも、いい加減直せ」
「煩い! アシュードには関係ないでしょ! なによ、あたしの気持ちも知らないで!」
アシュードに掴まれていた手を、力任せに振り切った。
「メリッサ、落ち着け。ディオが起きてしまう」
「あたし、悪くないし! アシュードがお見合いなんかするのがいけないんだし! だからディオも不安定になるし、あたしだって……!」
喉の奥が詰まったような感じがして、メリッサはそれ以上何も言えなくなった。下を向いて唇を噛む。握った拳は、力を入れすぎて痛みすら感じていた。
しんと静まり返った部屋に、ディオの可愛らしい寝息が響いた。それから、少しの間を置いて、アシュードが小さく笑う気配がした。
「……なんで、笑ってるの。あたし、怒ってるんだけど」
「いや、うん。お前、やきもちをやいているんだろう」
「……は?」
腹の底から「何言ってるんだコイツ」という思いがこもった声が出てしまった。
「これはあれだな。この僕が見合い相手に取られるのが嫌なんだろう? ふっ。モテ期だな、うん」
やたら嬉しそうに、にやにや笑う男。メリッサはなんだか拍子抜けしてしまう。お見合い相手のエマは、こんな変な男の一体どこを気に入ったのだろう。メリッサは心の底から全力で疑問に思った。
「やきもちじゃないし。モテ期じゃないし。アシュードなんてどうでも良いし」
メリッサが冷めた目でアシュードを見るが、アシュードはやはりにやにやしている。
「照れなくても良いさ。ディオだけじゃなく、メリッサからも愛されているなんて……僕は罪な男だな」
「あ、愛……?」
メリッサは一気に顔を赤らめる。なんて恥ずかしいことを躊躇なく言うんだ、この男。思わずふらふらとよろけると、アシュードがさっと近寄ってきて、メリッサを抱き留める。
「ちょ、ちょっと! 今回は別に転んでないし!」
「遠慮するな。この僕に抱き着けるなんて、嬉しくて仕方ないだろう?」
本当にこの男ときたら。こうなったらなんとかして一矢報いたい。メリッサは目を閉じて深呼吸をする。
この男の弱点と言えば。メリッサは美少女を抱き締めてご満悦な男の顔を、薄目を開けて観察する。そして、視線をずらし、油断しているであろうその箇所に狙いを定めた。
アシュードの肩に掴まって、ぐっと伸び上がる。狙いを定めたその場所にできる限り口を寄せ、メリッサはふっと息を吹きかけた。
「うわあっ?」
アシュードは息を吹きかけられた左耳を押さえて、床にひっくり返った。その顔は真っ赤になっており、翠の瞳も潤んでしまっている。何度も何度も左耳を擦って、慌てているアシュード。
「い、いきなり、何をするんだ、メリッサ!」
「……そっちこそ、ひっくり返るなんて大袈裟すぎだし!」
メリッサはアシュードの肩に掴まっていたせいで、アシュードと一緒にひっくり返る羽目になっていた。一応、アシュードが下になり、クッションの代わりになってくれていたので痛くはなかった。とはいえ、これは恥ずかしい。
体を起こし、アシュードの上に馬乗りになる形になった。見下ろすと、まだ赤い顔で耳を擦っているアシュードと目が合う。
「……ねえ、アシュード」
「なんだ?」
「どうして、ディオの居場所が分かったの?」
メリッサの疑問に、アシュードは耳を擦るのを止め、ため息まじりに答える。
「あの子は恐がりだからな。行ったこともない場所には行かないと思った。この魔術師団用の建物か、僕の実家、それかあの町のどれか。とりあえず、僕の実家には行っていなかったようだから、町の方に行ってみたんだ」
「で、でも、誘拐されてる可能性もあったわけだし……」
「ディオは賢い子だ。無理矢理連れて行こうとされたら、大声でもあげていたはずだろう。だとしたら、メリッサが気付かないなんてありえない。それに、メリッサが誘拐犯の痕跡を辿れないなんて、それこそ考えられない。僕は、ディオもメリッサも優秀だと信じているからな。だから、誘拐の可能性は低いとすぐに思った」
それならそうと、もっと早くメリッサに教えてくれれば良かったのに。不満げに頬を膨らませると、アシュードが苦笑した。
「もちろんお前にも伝えようとは思ったんだ。でも……お前、魔術師たちと随分仲良くやっていただろう? ……僕には何も言ってこなかったくせに」
「……え」
メリッサが目を瞬かせながらアシュードを見ると、アシュードは鼻を鳴らして視線をずらした。どうやらこの男、魔術師たちと仲良くしているメリッサを見て、拗ねていたらしい。
「やきもちをやいているのは、アシュードの方じゃないの」
呆れた声で言ってやると、アシュードも気まずそうに返してくる。
「……そうかもな」
メリッサはなんだかおかしくなってきて、くすくす笑った。漸く肩の力も抜けて、ほっと息を吐く。アシュードも柔らかい表情になって、メリッサを見上げていた。
そこに突然、可愛らしい子どもの声が飛んできた。
「めりっさ? あしゅーど?」
はっとして顔を上げると、そこには眠そうに目を擦りながら立っているディオがいた。
「ディオ、目が覚めちゃったの? ごめんね、煩かった?」
メリッサが慌てて謝ると、ディオはぼんやりした顔のまま、じっとメリッサとアシュードを見つめた。




