19:アシュはだれのもの(7)
ディオの魔力はある一点でふつりと途絶えていた。ディオの部屋の扉の位置である。そこから綺麗さっぱり魔力の気配が消えている。
魔法を使ったのなら、その痕跡を辿ってやろうと思ったが、そちらの痕跡も綺麗に消されている。メリッサはさっと青くなった。
魔力を辿るというのは、犬が特定の匂いを嗅いで追跡をするという方法と似ている。そして、魔法の使われた痕跡を辿るというのは、物の記憶を呼び出して、過去の映像を確認するという作業と似ている。
どちらも時間が経てば経つほど新しいものに上書きされていくので、辿るのが困難になってしまう。焦ったメリッサは、何度もディオの居場所を探ろうと魔法を使ったが、無駄に魔力を消費しただけだった。
「まさか、誘拐?」
ディオは高い魔力を持つ、将来有望な子どもである。メリッサから心が離れたこの瞬間を狙って、ディオに甘い言葉で誘いをかけた人物がいたとしたら。ディオは簡単に連れていかれたことだろう。
犯人は魔法でディオを隠したに違いない。メリッサは唇を噛み締めた。
「よくも、あたしの大切な弟子に、手を出してくれたわね……」
とにかく、自分ひとりではどうにもならないと判断し、師匠ヒューミリスの元へと走る。師匠の部屋の扉を乱暴に叩き、返事が返ってくる前にさっさと扉を開けた。
「……メリッサ。なんじゃ、朝っぱらから。行儀が悪い」
「師匠! ディオがいないの! 誘拐されたかもしれないの!」
「……なんじゃと?」
師匠は呆れ顔から、さっと真剣な表情へと切り替えた。
「いつから、いないんじゃ?」
「昨日の夜はいた。二十一時頃に寝かしつけたから。で、今朝七時にはいなかった。魔力も魔法の痕跡も消されてて、辿れない」
メリッサは師匠が立ち上がるのを補助しながら、状況説明をする。師匠はゆっくりと頷くと、すぐに指示を出す。
「メリッサ、魔術師団のみんなにも、協力してもらえるように頼みなさい。犯人が魔法を使う人間なら、騎士よりも魔術師の方が適任じゃろう」
「う、うん。……でも、あたしなんかが言っても、聞いてもらえないかも……」
今まで魔術師団の人に頼み事なんてしたことのなかったメリッサは、急に不安になる。仕事上、どうしても必要な時以外は話もしたことがないのだ。声を掛けられても、全て冷たい対応をしてしまっていた。
今さら、どんな顔をして、彼らに協力を仰げば良いのか。
「師匠。師匠の方からみんなに言ってもらえない? 師匠が頼んだ方が、きっとみんなも聞いてくれると思うし……」
「メリッサ」
師匠がメリッサの名を呼び、しっかりした目で見据えてきた。メリッサはびくりと震え、上目遣いで師匠を見た。
「ディオの師匠はメリッサ、おぬしじゃよ。おぬしが頑張らなくてどうするんじゃ。こうしている間にも、ディオは恐くて泣いておるかもしれんというのに」
メリッサの脳裏に、部屋の隅で丸くなってしくしく泣いていたディオの姿が甦る。今、この瞬間も、ディオはあんな風に泣いているのだろうか。
ディオは大人の男の人を恐がる。もし、犯人が大人の男で、ディオを怒鳴ったりしていたら。ディオはパニックを起こし、また魔法を変な風に使ってしまうかもしれない。そうなると、結局傷つくのはディオなのだ。「おれ、また、わるいまほう、つかっちゃった?」と言って、きっと悲しい顔をする。
メリッサはディオを守りたいのだ。あの、可愛い笑顔を守りたい。
ぱちんと両頬を叩く。そして、師匠をまっすぐ見つめて、メリッサは宣言した。
「あたし、頑張る。みんなに、頼んでみる。ディオのこと、守りたいから」
「よく言った、メリッサ」
師匠が目を細め、メリッサの頭をぐりぐりと撫でた。それから、とんと背中を叩いて、前へ進めとばかりに促してくれる。
「行っておいで」
「うん!」
メリッサは師匠の部屋を飛び出して、魔術師たちがよく集まっている控え室に走った。控え室の前まで来ると、深呼吸をして震える手でノックをする。
「どうぞー」
控え室には、まだ朝早いというのに数人の魔術師がいた。メリッサはその魔術師たちを前にして、ごくりと唾を飲み込んだ。
ディオの捜索を手伝ってもらえるだろうか。いや、絶対に手伝ってもらわなくてはならない。協力すると言ってもらえるまで、メリッサは何度だって頭を下げる覚悟があった。
「あの! み、みなさんにお願いがあって! ……その、あ、あたしの弟子のディオが、えっと」
言葉が上手く出てこない。メリッサは焦りながらもなんとか伝えないと、と言葉を紡ごうとする。
「あの、その。ディオがいなくて、それで、あたし……」
焦れば焦るほど、駄目だった。師匠に説明する時は簡潔に素早くできたのに、なぜここで上手くできないのか。メリッサは悔しくて目をぎゅっと瞑る。
すると、魔術師の若い女性がメリッサに近付いてきた。この女性は、前に経理の書類を押しつけてきた先輩だ。先輩は震えるメリッサの額をつんと指で優しく突いた。
「メリッサ、落ち着いて。ディオが、どうしたって?」
その声色は、メリッサが予想していたよりも格段に優しかった。びっくりして先輩を見上げると、先輩は少し照れ臭そうに笑った。
「あなたにはいつも用事を押しつけちゃってて悪いなあと思ってたのよ。他の誰よりきっちり仕事してくれるから、つい甘えちゃって。……で、お願いって? いつも頑張ってくれてるお礼に、できることなら何でもやるわよ」
「え……」
メリッサがぽかんとしていると、残りの魔術師たちもうんうんと頷いて、先を促してくる。
「俺らもメリッサにはいろいろ頼んじゃってるしな。ほら、何してほしいんだ?」
「ほら、早く言ってみな」
メリッサはほっとして、少し泣きそうになる。なんとか涙は堪えて、事情を説明した。すると、先輩たちは「分かった。任せな」と頷いてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
頑張ってお礼を言うと、先輩たちはひらひらと手を振って応えてくれる。メリッサは胸の前でぎゅっと手を握って、先輩たちの背中を見つめた。
ずっと、世界はメリッサに冷たいのが普通だと思っていたのだけれど。
だからこそ、メリッサもそれに負けないように周りに冷たくして、自分を守ろうとしてきたのだけれど。
世界は意外と、温かくて、優しいものなのかもしれない。
勇気を出して一歩踏み出して触れた世界は、メリッサにとってすごく新鮮で、今までの考えを根底から覆してくれるものだった。
師匠はこうなることを予想していたのだろうか。やっぱり師匠はすごいな、とメリッサはしみじみと思うのだった。




