17:アシュはだれのもの(5)
メリッサたちはその席の近くにある生け垣の方へと連れていかれる。生け垣の裏にはシートが敷いてあった。ここに座ってお見合いの様子を見ろということだろう。クッションやパラソルまで準備してある。
「何か他に必要なものがあれば、いつでもお申し付け下さい。では、ごゆっくり」
使用人は深い礼をして、去っていく。ちびっこ三人組はさっそくシートの上に座り、生け垣の隙間からいろいろと確認を始めた。
「メリッサねえね! ばっちりみえるよ、これ!」
「あ、おやつがある! ねえね、たべる?」
「こえはきこえるのかなあ。きになるねえ」
三人はわいわい騒ぎながら、どこから覗くのが一番なのかを探しだす。メリッサもシートの上に座って、生け垣の隙間から庭を覗いてみた。確かに、白いテーブルも椅子もばっちり見えた。この距離なら、声も簡単に届きそうである。
「みんな、アシュードが来たらお喋りは駄目だよ。気付かれちゃうからね」
「はーい!」
子どもたちの元気な返事に、メリッサはうんうんと頷いた。ディオだけは眉を下げて、メリッサの服を掴んでおろおろしていたので、その頭を軽く撫でて落ち着かせる。それから、ディオを膝の上に乗せてやり、その口にお菓子を入れてやった。
「……おいしい」
ディオの頬が緩んだのを見て、メリッサも微笑んだ。可愛い弟子には、つい甘くなってしまうメリッサである。
「あっ! ずるいのー!」
「オレも、メリッサねえねにおやつもらうの!」
「ぼくもー!」
三人組が我も我もとメリッサにお菓子をねだってくる。メリッサは「仕方ないなあ」と言いつつも、可愛らしい口に次々とお菓子を放り込んであげた。
みんながもぐもぐ口を動かしていると、生け垣の向こうに今日の主役が現れた。アシュードである。
今日のアシュードは、いつもと違って盛装をしていた。暗めの茶髪は後ろに撫で付けられ、整った顔が良く見える。大人っぽい雰囲気をしているので、なんだか別人のような気がしてくる。
その隣には、銀色の長い髪を緩やかにまとめた女性が立っていた。淡い黄色のキラキラしたドレスを着ている。まるで妖精のように可憐なその姿に、メリッサは息を呑んだ。
お似合いだな、と素直にそう思った。優しそうな微笑みを浮かべた女性は、年齢的にもアシュードにぴったりに見えた。
「メリッサねえねのほうが、かわいい」
「メリッサねえねのほうが、きれい」
「メリッサねえねのほうが、かみさらさら、おめめきらきら」
三人組がこそこそと呟いた。どうやら相手の女の人のことがお気に召さなかったようだ。ディオもお見合いの様子が気になったらしく、生け垣の向こう側を覗き込んだ。
「めりっさのほうが、あしゅーどに、にあう」
ぽつりと零したディオの一言に、メリッサは不覚にもどきりとしてしまう。ディオの目には、メリッサとアシュードはどんな風に見えているのだろう。今でも「なかよし」に見えているだろうか。
アシュードとあの女性が結婚することになれば、もう「なかよし」ではいられなくなる。アシュードの「なかよし」はメリッサではなく、あの女性になるのだから。
もうすぐアシュードは手の届かない存在になってしまう。そう思った途端、胸の奥が急に、すごく、すごく痛くなった。
「……めりっさ? ないてるの?」
ディオが青い目を丸くして、メリッサを見上げてきた。メリッサは慌てて首を振る。ぽたぽたと冷たい雫が頬を伝って落ちた。
「な、泣いてなんかないよ。ちょっと、目にゴミが入っただけだし!」
しかし、子どもたちはメリッサの嘘にごまかされてはくれなかった。三人組は揃って顔を青くする。
「たいへんだ! メリッサねえねがないちゃった!」
「メリッサねえね、どこかいたいの?」
「いたいの、いたいの、とんでいけー!」
子どもたちは隠れていることをすっかり忘れて、大声で騒ぎ始める。メリッサはなんとか子どもたちを静かにさせないと、と冷や汗をかく。しかし、もう遅かった。生け垣の裏をアシュードが覗いていた。
「こんなところで、何をしているんだ」
見つかってしまった。子どもたちは小さな手で口を覆うが、後の祭りである。アシュードの呆れを含んだ視線が飛んでくる。居心地が悪い。
とりあえず謝ろうと、口を開きかけた瞬間。
「メリッサ、どうした?」
アシュードがさっとメリッサの傍に寄り、頬を伝う涙を指で拭った。メリッサがびくりと体を震わせると、アシュードは痛みを堪えるように顔を歪めた。
「そんな顔するな。ひとまず、屋敷の中に行くぞ。みんな、ついておいで」
アシュードは子どもたちに呼び掛けると、メリッサを抱き上げた。メリッサは驚いて固まる。一体、何がどうしてこうなったのか。子どもたちは素直にアシュードの後についてくる。みんな、目をきらきらさせながら。
「アシュード、あたし歩けるから。お、おろして」
「遠慮するな。言っただろう、もっと僕を頼れ」
「でも、服が皺になっちゃうし! お見合いの途中でしょ!」
「仕方ないだろう。お前をこのまま放っておくなんて、僕には無理だ」
ふわりと甘い香りがする。アシュードの香りだ。大人っぽい格好をしていても変わらない、いつも通りのアシュードだった。
「アシュード様? その子どもたちは……?」
アシュードのお見合い相手の女性が、呆然としてこちらを見ていた。彼女にしてみれば謎すぎる展開だろう。話をしている途中で見合い相手が急に席を立ち、戻ってきたと思ったら女の子を抱き、幼児四人を引き連れているのだから。
「すみません、エマ様。この子たちは僕の甥っ子たちです。遊びに来ていたみたいで……騒がしくて申し訳ないです」
「いえ、大丈夫です。あの、その女の子は?」
「具合が悪いみたいで。少し席を外させていただいてもよろしいですか?」
「あ、はい」
お見合い相手であるエマという女性は、不機嫌になる訳でもなく、至って普通に頷いた。
メリッサはアシュードにぎゅっとしがみついて、顔を隠す。エマという女性を間近で見るのが恐かったからだ。アシュードはそんなメリッサの気持ちを理解したかのように、すぐにエマから離れた。
屋敷の中に入ると、使用人が驚いた顔をしてこちらを見てくる。メリッサはなんだか落ち着かなくてむずむずしてしまうが、アシュードは平然とした顔で進む。この男、「恥ずかしい」という感情が欠落でもしているのだろうか。
じっとアシュードの顔を観察してみる。睫毛が意外と長い。翠の瞳は爽やかな若葉のように透き通っている。肌もするりと滑らかで、ちょっと腹が立つ。メリッサは油断しているとすぐに肌荒れとかするのに、この男はそんな苦労とは無縁らしい。
むっとしながら見上げていると、アシュードが視線に気付いてしまった。透き通った翠の瞳と目が合う。
「……メリッサ」
「なに?」
「……お前、良い匂いがするな」
メリッサの髪に顔を近付け、すんすんと匂いを嗅ぐアシュード。後ろをついてきていた子どもたちが「ひゃあ!」と嬉しそうな声をあげた。
「ちょっとアシュード、止めて! みんな見てるし!」
「ん? これ、僕があげたシャンプーの匂いだろう? 何が問題なんだ」
「問題だらけだし! もう!」
ぷいっとそっぽを向くと、アシュードが噴き出した。
アシュードの腕の中は温かかった。もう、胸の奥は痛くない。変わらないアシュードの姿にこんなに安心するなんて。我ながら単純だとメリッサは苦笑した。




