16:アシュはだれのもの(4)
アシュードからもらったシャンプーは、とても良い香りがする。毛先の傷みが改善されているのかどうかは正直よく分からないのだが、以前よりもさらさらになった気はする。
黒髪を二つに結って、鏡の前でバランスを整える。それから、スカートの皺を伸ばして、くるりと一回転してみる。
「うん。……おかしくない、よね?」
三人の子どもたちが教えてくれた、アシュードの気持ち。それを知ってしまった時から、メリッサはアシュードを避け続けていた。どんな顔をすれば良いのか、本気で分からないからだ。
しかし、避け続けて、そろそろ一週間になる。これ以上逃げるのは、さすがに不自然な気がする。ディオもアシュードに会えないせいで、だんだん機嫌が悪くなってきている。アシュード不足は良くない。今日こそは覚悟を決めて、向き合ってみようと思う。
「あたしのこと、どう思ってるの? って聞いたら、アシュード、なんて答えてくれるのかな……」
どきどきと痛いくらいになっている胸に手を添えて、メリッサは深呼吸をした。
そんなメリッサのことを、知ってか知らずか。久しぶりに会ったアシュードが口にしたのは、とんでもない一言だった。
「お見合いすることになった」
「……は?」
ディオの魔法の訓練が終わって部屋に戻ると、アシュードが待ち構えていた。そのアシュードがメリッサの顔を見るなり言ったのが、この一言である。
「おみまい?」
ディオが目をぱちぱちさせて聞く。アシュードはふっと笑うと、ディオを膝の上に乗せてソファに座った。
「お見合い、だ。結婚しようと思っている男の人と女の人が、お互いを知るために会うというものだな」
「あしゅーど、けっこんするの?」
「そうだな。上手くいけば、そうなるだろうな」
ディオはうーんと唸って、頭を捻る。
「けっこんしたら、どうなるの?」
「家を継ぐことになるだろうから、魔術師団で働くのは難しくなるな。でも、できるだけディオには会いに来るようにする。心配しなくても良いぞ」
「ふうん……」
アシュードはよく分かっていない様子のディオの頭を撫でた。ディオは気持ち良さそうに目を細めて、にこりと笑う。いつも通り、何も変わらない穏やかな光景だ。
しかし、メリッサはいつも通りという訳にはいかなかった。
「なんで、そんな急に……」
声が震えた。じっとアシュードを見つめると、アシュードはばつが悪そうに目を逸らした。
「いい加減身を固めろと、父様と母様が煩いんだ。僕ももう二十七歳だしな。自由な時間は、そろそろ終わりにしないといけない」
「……いつ、お見合いするの?」
「今度の日曜だな。僕の家で会うことになっている」
思ったよりもすぐのようだ。いつの間に、そんな話になっていたのだろう。メリッサは黙って俯く。唇を噛み、指先の震えをごまかすように拳を握った。
アシュードを避けたりしなければ、もっと早く知ることができたのだろうか。
窓から生温い風が部屋の中に吹き込んできた。淡い青色のカーテンが揺れて、ぱたり、ぱたりと音を立てる。しんと静まり返った部屋では、そんな小さな音でさえも、やけに響いて聞こえた。
「……そんな顔するな。ほら、これでも食べて元気を出せ」
アシュードがポケットからお菓子を取り出した。いちご味のピンク色のチョコレートが挟んであるラングドシャ。ラッピングも可愛らしく、いかにも女の子が好みそうなプレゼントだった。
「……いい。いらない」
メリッサはふるふると首を振って、そっぽを向いた。アシュードは片眉を上げて、じっとメリッサの様子を窺ってくる。メリッサはそれに気付かないふりをした。
メリッサの大好きないちご味のお菓子。今までなら飛び付いて喜んでいたと思う。どんなに機嫌が悪い時であったとしても、いちご味のお菓子さえあれば、すぐに笑顔になれた。
しかし、今、それを受け取ってしまうと駄目な気がした。泣いてしまいそうな気がした。
アシュードはやれやれと肩を竦めると、その包みをディオに渡す。ディオは嬉しそうにそれを受け取ると、アシュードを見上げてにこにこ笑った。
「おいしそう! たべてもいい?」
「ああ、良いぞ。たくさん食べて、大きくなれよ」
「うん! ……おいしいね! おれ、ちょこ、すき」
メリッサはその場にいるのが耐えられなくなって、部屋を飛び出した。
「アシュードの馬鹿! 嫌い! 大嫌いなんだから!」
絶対に泣いてなんかやるもんか、と歯を食いしばった。あんな男のために涙を流すなんてもったいない。涙も、魔力も、無駄遣いなんてしてはいけないのだ。
メリッサはぺしりと自分の両頬を叩いて、前を向く。ほんの少し、強くなった気がした。
*
「……本当に来ちゃった」
日曜日。アシュードがお見合いをする日である。
ここは、アシュードの家の前。ぐるりと頑丈な壁で囲まれた大きな屋敷は、なんだか威圧感がすごい。三年ほど前に来た時も、この大きさに驚いたなとしみじみ思い出してしまう。さすが、裕福な家は違う。
「メリッサねえね、ほら、こっちだよ!」
ちびっこ三人組がメリッサの手を引いて、ぴょんぴょん跳ねる。メリッサは緊張で微妙な顔になりながらも、三人と一緒に屋敷へと歩きだした。
「めりっさ、だいじょうぶ?」
後ろをびくびくしながらついてきているディオが、不安そうな声で聞いてくる。
「うん、大丈夫だよ。ほら、ディオも手を繋ごうね」
小さな手を握ってやると、ディオは嬉しそうな顔をした。
なぜちびっこ三人組と一緒にアシュードの実家に来たかというと。まあ、お見合いを覗き見するためである。
とは言っても、メリッサが言い出したことではない。ちびっこ三人組が「見たい」と喚いたのが発端である。メリッサはアシュードのことなんてどうでも良いと思っているのだが、可愛い三人の頼みであれば仕方ない。一緒にお見合いを覗かざるをえない。
どんな女の人と会うのかとか、アシュードはどんな反応をするのかとか、全然気にならない。ただ、可愛い子どもたちがすごく気にしているようだから、メリッサもちょっと見ておこうと思っただけである。そう、これは子どもたちのためにやっていることなのだ。
「クリス王子殿下、ガント様、ロイ様。そして、メリッサ様、ディオ様。ようこそお越しくださいました。どうぞ、お入りください」
屋敷の使用人が、門のところで声を掛けてきた。事前に話が通してあったようで、すんなりと中に入れた。
「アシュードにはあたしたちが来たってこと、知られてないよね?」
「はい。ユリ様からアシュード様には内緒にするよう仰せつかっておりますので。ご安心ください」
ユリというのは、アシュードの妹のことである。王子であるクリスの乳母をしており、ガントの母でもある。メリッサにとても良くしてくれている女性で、実はメリッサの憧れの人だったりする。将来は彼女のようになれたら良いなと思っているくらいだ。
「こちらへどうぞ」
綺麗に整えられた庭園に案内される。庭園には白いテーブルと椅子が置かれ、お仕着せを身に着けた使用人がぱたぱたと走り回って準備をしていた。どうやらここでお茶でも飲みながら、お見合いをするらしい。




