14:アシュはだれのもの(2)
「……は?」
この男、意味不明である。メリッサはとりあえずアシュードの腕から逃れようともがくが、なぜか余計に強く抱き締められてしまう。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。メリッサの好きな香り。アシュードの香りだ。
魔術師たちだと思われる声が遠ざかっていく。完全にその声が聞こえなくなると、漸く少し拘束が緩んだ。
「ちょっと、アシュード! いきなり何なの!」
アシュードの胸を押して、至近距離から睨んでやる。すると、アシュードはますます顔を赤くして、視線を彷徨わせた。それから無言で、またぎゅっと抱き締めてくる。
なんなんだ、この状況。ディオの魔法でびしょ濡れになったというのに、体は冷えるどころか燃えるように熱い。頬を水の雫がひとつ、滑り落ちていく。
「もう、離して!」
思いきり体を捩ると、肘がアシュードの脇腹に当たってしまった。アシュードは「ぐっ」と苦しそうな声を漏らす。それでも腕を解こうとしないアシュードに、メリッサはだんだん腹が立ってきた。
「アシュード! 怒るよ!」
「……服が」
メリッサの叫びに言い訳をするかのように、アシュードがぽつりと呟いた。
「服? 服がどうしたっていうの?」
そう言いながら、メリッサは自分の体を確認する。そして、絶句した。
水で濡れた服は、肌にぴったりとくっついている。体のラインが露わになっており、なんというか、これはよろしくない。太腿にもスカートがぴっちり張り付いていた。夏服の薄い生地の為せる技である。
「きっ、きゃああ!」
メリッサは涙目になって叫んだ。自分で自分を抱くようにして、しゃがみ込む。
「最低! 変態! アシュードの馬鹿!」
「なっ! 僕は他の男に見られないよう全力で隠したっていうのに!」
「こっち見ないで! もう、やだっ!」
潤んだ瞳でアシュードを見上げると、アシュードはさっと目を逸らした。
「めりっさ、なに、さわいでるの?」
ディオが心配そうに近寄ってきた。メリッサは必死でスカートをぱたぱた振って水を払う。
「何でもないよ! 濡れたままだと、風邪をひくかもって思っただけ!」
「ふうん。じゃあ、まほうでかわかせばいいの?」
「えっ?」
その手があったか、とメリッサは今さら気が付いた。魔力を無駄遣いしないように、ずっと魔法に頼らない生活をしてきたので、その発想に至らなかった。子どもの柔軟な発想は、時として、大人が思いつかないような素晴らしい結果を生む。
メリッサは意識を集中し、乾いた風を起こす。風で濡れた体を包み込み、水分を一気に飛ばした。すぐに服はからりと乾き、乙女の体を安全に覆ってくれる。これでもう安心だ。
「おれも、がんばるの!」
ディオもメリッサの真似をして、風を起こした。強くなったり、弱くなったりと安定しない風ではあったが、水分を半分くらいは飛ばせたようだ。メリッサはディオの頭を軽く撫で、仕上げの風を送ってあげた。
メリッサとディオは目を合わせて微笑み合った。すっかり乾いた服は気持ち良い。
「……僕は?」
一人だけ濡れたままのアシュードが真顔で聞いてきた。ディオがぴょこんと跳ねて、アシュードに駆け寄る。
「おれが、かわかしてあげる!」
ディオがうんうん唸りながら、風を起こそうとする。しかし、なぜか今回は風が起きてくれなかった。
「あれ?」
「……魔力を使い切っちゃったね。ゆっくり眠れば回復するから、今日はもう魔法はお休みだよ」
「おやすみかあ、ざんねん」
ディオがしょんぼりと下を向いた。アシュードはそんなディオの頭を慰めるように撫でた後、期待の眼差しをメリッサに向けてきた。
「メリッサ……」
「乙女の体に触れた罰」
「なん、だと……」
「乙女の体に触れた罰」
大事なことなので二回言ってやった。
アシュードは何とも言えないような複雑な顔をして項垂れる。暗めの茶髪がくたりと情けなく揺れて、雫がぽたぽたと落ちた。一瞬、泣いているのかとドキリとして、メリッサはアシュードの顔を下から覗き込む。
アシュードは泣いてはいなかった。それどころか、メリッサと目が合うと、ふっと笑いを漏らした。
「まあ良い。僕は寛大な男だからな!」
明るくそう言って、胸を張るアシュード。濡れたままの髪をかきあげる仕草が妙に決まっていた。中身が残念すぎるのでつい忘れてしまうが、この男、見た目は良いのだった。水を滴らせ、太陽の光を浴びてきらきらしている美青年。メリッサは不本意だが、その姿から目が離せなくなった。
「あしゅーど、かっこいい! おれも、かんだいになる!」
ディオが目をきらきらさせて、アシュードを見上げた。そして、アシュードの真似をして胸を張り、髪をかきあげた。
「……なにこれ、本当」
メリッサの鼓動が速くなる。アシュードがふいに見せた格好良さと、ディオがいきなり見せた可愛い真似っこ。どちらもメリッサの心の奥にきゅんきゅん刺さってくる。
メリッサは両手で顔を覆うと、ぷるぷる震えた。この二人と一緒にいると、いつか心臓が壊れるんじゃないか、と思いながら。
*
「あめ、やまないねえ」
ディオが残念そうに、窓の外を見ながら呟いた。
魔法で水遊びをしたあの日から数日。余程楽しかったのか、あれからずっとディオは「みずあそびする!」と連呼していた。魔法の良い訓練にもなるので、毎日庭園で水と戯れるようにしていたのだが、あいにく今日は雨である。
さすがにこんな天気の日には、水遊びはできない。
「今日はお部屋で絵本を読もうか」
「うん……」
ディオはしょんぼりしながらも、メリッサの隣に座った。そして、机の上に広げている数冊の絵本をじっと見つめる。しかし、どれも興味がないのか、見つめるだけで手に取ろうとはしなかった。
「めりっさ、おれ、せいれいさんのほんがいい」
「え、また?」
ディオは以前アシュードに読んでもらった精霊のお話が大好きで、何度も何度も読みたがった。そろそろ他の絵本も読んでほしいのだが、なかなか上手くいかないものである。
「他の絵本も面白いよ? ほら、これとか」
「いやだ! せいれいさんがいい!」
ディオは勝手に本棚の方に走っていき、お気に入りの絵本を取り出した。そして、青い瞳を眇めてメリッサを見る。「これしか要りませんけど、何か?」と言わんばかりの顔である。
「ディオ……」
ディオの子どもらしからぬ表情にため息をついた時、部屋の前の廊下が急に騒がしくなった。メリッサが何事かと扉を開けてみると。
「ねえね!」
「ひさしぶりー!」
「あそびにきたー!」
そこには三人の幼児がいた。メリッサはぽかんとして、子どもたちを見つめる。




