11:この人には傍にいてほしい(11)
師匠ヒューミリスがベッドから出られるようになったのは、八月も終わる頃のことだった。
やっと自分の部屋に戻ることができた師匠は、さっそくメリッサ、アシュード、ディオの三人を呼んだ。大事な話があるらしい。
「よく来てくれた、三人とも」
久しぶりに入った師匠の部屋は、随分と物が少なかった。昔は本棚にもたくさん本が並んでいたのに、今はほんの数冊ほどしかない。いつも散らかっていた机の上も、すっきりと片付いている。
「師匠、大事な話って?」
師匠に勧められたソファに座って、メリッサは尋ねた。メリッサの隣にはディオ、そしてその隣にアシュードが座る。
「ディオのことについてなんじゃが」
師匠の言葉に、ディオがきょとんとした顔をする。小さな指で自分を指して、こてりと首を傾げた。
「おれのこと?」
「そうじゃ。ディオにはワシが魔法を教えようと思っておったんじゃが、残念ながら、それは少し難しくなってしまってのう」
「おれ、まほうをおしえてもらえないの?」
しょぼんとディオは項垂れた。魔法の授業をすごく楽しみにしていたようなので、無理もない。
「魔法はちゃんと教える。ワシではなく……メリッサがな」
「え? あたし?」
「そうじゃ。ディオは、メリッサの弟子になるんじゃよ」
メリッサはぽかんと口を開ける。ディオは弟弟子ではなく、弟子になるということか。つまり、メリッサがディオの師匠になる、と。
「ちょっと待って、師匠。あたし、人に教えられるほどの人間じゃないし!」
「他に適任はいない。ディオは他の魔術師を恐がるじゃろう?」
「そうだけど、あたし、自信ない……」
膝の上で拳を握り締めて、俯くメリッサ。師匠は朗らかな笑顔で、メリッサに語りかける。
「大丈夫じゃ。しばらくはワシも協力をする。それに、アシュードの力も借りなさい。何も、全てを一人でやろうとしなくても良いんじゃ」
「でも……」
ちらりと横のディオを見ると、ディオは不安そうに青の瞳を潤ませていた。
「めりっさ、おしえてくれないの?」
「あ、えっと、それは」
「大丈夫だ、メリッサ! 魔術師団長の言う通り、この僕の力を貸してやろう! 僕がいれば、何も心配はいらない!」
アシュードが迷うメリッサの肩を叩いた。なぜか偉そうなこの男、魔法についてほとんど何も知らないというのに自信満々である。しかし、堂々としたその姿は、メリッサの迷いを吹き飛ばしてくれる。
「……分かった。あたし、やってみる。ディオの師匠になるよ」
「やったあ!」
ディオが手をぱちぱち叩いて喜んだ。ソファの上でお尻をぽんぽん跳ねさせて、全身で喜びを表現する。隣に座っているメリッサとアシュードも、その振動で体が揺れてしまう。なんとなく、恥ずかしい。
「ディオ、ソファの上で跳ねないの! 良い子にしないと、魔法はお預けだよ!」
「ええっ! おれ、よいこにする!」
ぴしりと姿勢を正すディオ。師匠ヒューミリスが、そんな素直なディオを見て、楽しそうに笑い声をあげた。
「メリッサ、ディオのこと頼んだぞ。魔法のことはもちろん、嬉しいことや楽しいことも、どんどん教えてあげると良い」
「うん、師匠。あたし、頑張る!」
話も終わって、メリッサ、ディオ、アシュードの三人は、師匠の部屋を出た。ディオはご機嫌で廊下を跳ねながら歩いている。メリッサはアシュードの隣を歩きながら、上目遣いで話し掛けた。
「ねえ、アシュード」
「なんだ」
「本当に、力を貸してくれるの? ……経理の仕事も忙しいでしょ?」
アシュードは片眉を跳ね上げて、メリッサを見下ろす。メリッサはびくりと体を震わせた。
「……お前、僕のこと見くびりすぎだろう。僕はやる時はやる男だ」
「でも、なんか悪いなって思って……」
決まりが悪くなって、メリッサはアシュードから目を逸らした。窓から見える空がやけに綺麗だ。飛んでいく鳥の影が、まっすぐに遠くへ消えていく。
「メリッサ。僕にとってディオはもう他人じゃない。だから、変に遠慮するな。もっと僕を頼れ。僕はもっと、お前に頼られたい」
アシュードはそう言って、メリッサの髪を一房すくい取った。するりとアシュードの指の間を、メリッサの黒髪が滑っていく。
「……アシュード」
残念な男だと思えば、こうやってまた、メリッサの胸をざわつかせてくる。
転びそうになれば、どこからともなくやってきて抱き留める。
可愛くない態度をとっても、なぜかめげずに構ってくる。
落ち込んでいる時には、大好きないちご味のお菓子をくれる。
そして、心細くて震えていたら、大きな温かい手で包んでくれる。
偉そうで、態度が大きくて、女の子の扱いは駄目駄目だけど。
こんな男に事あるごとにドキドキさせられるのも、不本意だけど。
それでも、やっぱり。
この人には傍にいてほしい、なんて思ってしまうのだ。
「あの、あたし……」
「あ、お前、枝毛あるぞ」
アシュードがメリッサの毛先をを凝視しながら呟いた。
前言撤回。やっぱりこの男は腹が立つ。どこか知らない遠くの場所で、勝手に格好良いポーズでも決めていれば良いと思う。
「もう、アシュードなんて知らないし!」
メリッサは力任せに黒髪を引っ張り、アシュードの手から逃れる。そして、思いきり威嚇をしてみせると、アシュードはやれやれと肩を竦めた。
「メリッサ、これ」
アシュードはポケットから細長い袋をひとつ取り出した。メリッサは思わず受け取ってしまったが、眉を寄せてしまう。こんな可愛らしい包装のプレゼントをもらったところで、機嫌が直ると思わないでほしい。
とは思いつつも、袋を開けてみる。ピンク色のキラキラしたボトルが出てきた。
「これ、街で女の子に人気だって噂のシャンプー?」
「ああ。髪に優しく、しかもつやつやになるらしい。……それ買うの、大変だったんだからな」
メリッサの傷んだ毛先を、メリッサ以上に気にするアシュード。なんだか脱力してしまった。怒っていることを忘れ、つい笑いが漏れてしまう。
「めりっさ、あしゅーど! たのしいことでもあったのー?」
ディオがくるりと振り返って首を傾げた。
「ふたりはやっぱり、なかよしなんだねー?」
「そうだな。とっても仲良しだと言っても過言ではないな」
「いや、過言だし」
メリッサとアシュードの間で火花が散った。
ディオはそんな二人をぽかんと見上げ、呟く。
「なかよしなのに、なかよしじゃない? おとなって、むずかしいんだねえ」




