1:この人には傍にいてほしい(1)
「ひとりぼっち」というのは寂しいものなんだ、と誰かが言っていた。けれど、残念ながら自分には、その寂しいという感情はいまひとつよく分からない。「ひとり」でいる方が気楽で良いと思っている。
人と関わることは、別に嫌いではない。でも、少し面倒だなとも思う。下手に親しい人間を作ってしまうと、その人間に合わせなくてはならない。それは疲れる。自分には向いていない。
仲良くするのは必要最低限で充分。それが信条。
「……だからって、ひとりでこの本全部運ぶなんて、無理でしょうが!」
メリッサ、十五歳。このメイフローリア王国の魔術師団で、最年少魔術師をしている女の子。長い黒髪を高い位置で二つに結っており、ふるふると頭を振ると滑らかに毛先が揺れる。何冊も積み重なっている本の塔を睨みつける瞳は紅く、宝石のようにきらめいていた。
はあ、とため息をついて、本の上に乗っている埃を払う。部屋の中にキラキラと細かい埃が舞い上がった。メリッサは眉を顰めて、近くの窓を急いで開ける。夏の暑い空気が一気に部屋に飛び込んできた。
「……もう!」
こういう時は、親しい人間を作っておくべきだったと後悔する。メリッサは美少女なので、声を掛けてくれる人は案外多いのだ。まあ、その全てに冷たい対応をして遠ざけてしまっているので、今、こんなことになっているのだが。
魔術師団の先輩に無茶ぶりをされても、助けを求められる同僚は皆無である。メリッサは半泣きで本を持ち上げた。重い。手がすぐにぷるぷると震える。それをなんとか堪えて歩きだすと、暑さのせいか、首筋を汗が伝っていった。
廊下をふらふらと蛇行しながら進む。思ったより多く積み重なった本は、メリッサの視界を半分以上塞いでいた。
「きゃあ!」
足元に何かがあったらしく、それに躓いたメリッサは体勢を崩してしまう。
――転ぶ!
ぎゅっと目を瞑ると、不意に甘い香りに包まれた。手に持っていた本が次々と落ちて、大きな音を立てる。
「危ないな」
頭上から落ちてきた言葉に、メリッサは目を開けた。恐る恐る見上げると、暗めの茶髪に翠の瞳の美青年が、顰めっ面でメリッサを見つめていた。
「忙しいのは分かるが、前をきちんと見て歩け」
そう注意してくる青年に、メリッサは抱き留められていた。メリッサの身体を支えるその手が温かくて、どきりと心臓が跳ねる。
「……あたし、悪くないし」
照れ隠しに、わざとぶっきらぼうに言うと、美青年は苦笑した。
「久しぶりだっていうのに、本当、相変わらずなんだな。メリッサ」
美青年はメリッサの落とした本を拾うと、ちらりとメリッサを見遣る。どうやら代わりに本を運んでくれるつもりのようだ。
「それ、図書館に返す本なの。……手伝ってくれる?」
「ああ」
メリッサが上目遣いで頼むと、美青年は即座に頷いた。メリッサが苦労した本の重さも、大したことはないという風に軽々と持ち上げて運んでくれる。すたすたと廊下を進み始める美青年の背中を、メリッサは慌てて追った。
「……ありがとね」
メリッサの口から出た感謝の言葉はとても小さくて、届きはしないと思っていたのに。
「どういたしまして」
美青年は普通に答えてくれた。
美青年の名前はアシュード。メリッサより十二歳も年上の、二十七歳である。背も高く顔立ちも良いので、女性から人気がありそうな気もするが、なぜかモテない。なので、まだ独身である。この国では二十代前半までに結婚するのが普通なので、かなり変わった男だといえる。
そのアシュード、実は中位貴族の嫡子である。周りからは早く結婚をしろと言われているようだが、本人はあまり気にしていないのか、飄々としている。
「そういえば、どうしてアシュードが魔術師団に来てるの?」
図書館に本を返し、部屋に戻る途中のこと。メリッサはアシュードと並んで歩きながら、疑問に思ったことを聞いてみた。王宮にある魔術師団用の建物は、基本的に部外者は立ち入り禁止である。アシュードは魔術師でもないし、何か特別な用事でもない限り追い出されると思うのだが。
「それが、魔術師団の経理担当をやってくれないかという話が来ていてな。とりあえず、詳しい話を聞かせてもらおうと思って、魔術師団長を訪ねるところだったんだ」
「え? アシュード、経理なんてできるの?」
「お前、僕のことを見くびりすぎだろう。僕の家はそれなりに金があるから、そういった方面は強いんだよ」
目を眇めるアシュードに、メリッサは苦笑する。そういえば、アシュードの実家はかなり裕福だったなと思い出す。三年ほど前に、魔術師として仕事をしていた時に、一度行ったことがある。このアシュードと出会ったのもその時だ。
まあ、出会いは最悪だったのだが、それは置いておくとして。
裕福な貴族の嫡男。お金の遣り繰りもできて当然なのかもしれない。魔術師団の経理の話が、どういう経路でアシュードに届いたのかは知らないが、なんとなく心が浮き立った。
「じゃあ、これから魔術師団で一緒に働くことになるの?」
「ふっ。そうなったら嬉しいだろう」
「いや、別に」
偉そうに上から目線で言うアシュードに、冷たい言葉を返す。
久しぶりに会ったので忘れていたが、この男はこういう奴だった。なぜかいつも自信満々で偉そうなのだ。その割に間の抜けたところがあるので、何とも残念な人なのである。精神年齢はメリッサと変わらないのではないだろうか。
「お前、少しは素直になったらどうだ。可愛げがないぞ」
「可愛げなんて、いらないし」
ぷいっとそっぽを向くと、長い黒髪がうねって、毛先がアシュードの腕を叩いた。アシュードは憮然とした表情をしつつ、メリッサの髪をすくいあげる。
「あ、毛先が傷んでいる」
「ちょっと! 何見てるのよ!」
顔を真っ赤にして、メリッサはアシュードから距離をとった。髪の毛を握り締めて威嚇をすると、アシュードはやれやれと肩を竦める。
「まあ、話を聞いてみないとどうなるかは分からないけどな。僕にとって、何か得になるようなことがなければ断るだろうし」
「え、断るの?」
「僕もそんなに暇じゃないからな」
魔術師団の建物に入り、魔術師団長の部屋に向かうというアシュードに別れを告げる。
「じゃあね。もし経理担当に決まったら、こき使ってあげる」
「本当、可愛くないな、お前」
アシュードは呆れたように呟くと、メリッサに背を向けて歩きだした。メリッサはその背中が見えなくなるまで見送る。
「あつい……」
いつの間にか火照っていた頬に、ぱたぱたと手で風を送る。しかし、今は夏まっさかり。温い風しか来ない。
しばらく火照りはおさまりそうにないな、とメリッサは大きく息を吐いた。