杏姫の母
ーーーなんて幸せな夢なんだろう。
私は心の底から笑っていて、笑顔を向けた先には愛しい「彼」がいる。不器用な彼は真面目な顔をしているけども、少し照れたようにこちらに手を差し伸べてくれる。
人生で初めて誰かを心の底から好きになった、それまで退屈でつまらない人生は彼のおかげで楽しいものになった。
「愛してるわ、ありがとう。」
私の真っ白な人生を色付けてくれた彼には感謝している。
でも、すぐに目の前は暗くなる。彼が私に差し伸べてくれた手は赤黒い血に染まっている。
光の束を集めたような金髪も逞しい身体も、、、気づいたら全身は返り血まみれで、
それでも彼は私に手を差し伸べる。血塗れの彼がパクパクと口を動かして何か私に言っている。
「愛している。」
何となくそう言っているのだろうと思った。
「ごめんなさい…ごめんなさい、私のせいで………ごめんなさい。」
後悔に罪悪感に、胸が潰れそうになる、、私が貴方を求めてしまったから、自分の身分も立場も考えなかったから……。
私は彼の手をとれなかった、彼はいつまでも私を見つめて手を差し伸べていた。
ーーーー目を覚ますと暖かい光に少しだけ心が和らぐ。
メイド達が入ってきて、私の髪を梳く。
「お母様の髪は、ミルクティーのような髪ね!たっぷりとミルクを入れた私の大好きな髪の色!綺麗だわ!」
愛娘の笑顔を思い浮かべて、笑みが溢れる。
私の髪色はとてもはっきりしない色だから、夫や娘達の陽の光に輝く金色の髪が羨ましかったけど、そう言ってくれるのならこの髪も悪くないかなと思う。
朝食を家族と一緒に食べる、「お母様!お母様!」と元気に話しかけてくる愛娘ーーー7歳になったばかりのリリィは白百合のように美しく優しい子に育ってくれた。
太陽のような笑顔につられて私も笑顔になる。
「ねぇアン!貴方はどう思う?」
リリィが尋ねると妹のアンは食事の手を止めて、
「ええ、すてきだと思います。」
リリィが太陽だとするならば、この子は月のような、、、太陽に照らされないと気づかれることの無い子なのだろう。
アンはもうすぐ6歳になる、私はこの子を………愛せない。
「ごめんなさい」と心の中で謝る、彼女は私を許さないだろう。私にも母がいたからこそ分かる、母に愛されないのは、認められないことはなによりも辛いことだ、私は分かっているのに………愛せない。
アンはとても夫に似ていた、、、金色の髪もアプリコットの色のような瞳も少し不器用な所も何事にも消極的で内気なように見えて実は凄く負けず嫌いな所も、とても似ていたからこそ…………愛せない、あの子を見る度に罪悪感に苛まれる。
私があの子を見ないようにしてから、もうずっとあの子は笑っていない。
あの子に付けていたメイドのキャシーが泣きながら訴えてきた。
「お嬢様は大人びでいるように見えますが、寂しがり屋の女の子なんです!親の愛情が必要なんです!今も熱にうなされて旦那様と奥様を呼び続けています!お願いします!会いに行ってあげてください!」
ーーー知っているわ、母親だもの、、、気にしていないふりをして泣いている事も時折全てを諦めたように遠くを見つめていることも、リリィに憎しみのような嫉妬の感情を向けていることも。
キャシーを辞めさせたのは、彼女の実家からの要望もあるが、その言葉に何も言い返せなくて、あの子の顔を思い出してしまいそうになったからだ。
ーーーごめんなさい、家族は、姉妹は辛い時に支え合う、助け合うべきなのに…私の勝手な感情で家族はめちゃくちゃになってしまった。
それでも夫は何も言わなかった、彼は彼なりに罪悪感のようなものを感じているのだろう。彼の重荷になってしまったことがなにより辛かった。
私の好きだった彼は、唐変木で素っ気ない彼は、私に忠誠を誓ってくれた騎士は、今も変わらず愛してくれる彼は、、、私の願いを叶えるためにその手を血で染めた、多くの罪のない人々を殺し、自らの心も殺した。
「…他国に嫁ぐのは嫌だわ、私は私の好きな人と結ばれたい、、私は貴方の妻になりたいのに。」
そういった時の彼は、困ったような照れたような、、、何か決意したような顔だった。
もうすぐ結婚記念日がやってくる、私が彼の心を殺してしまったあの日が、あの子の誕生日がやってくる。
毎日見るあの悪夢に、私の心は疲れきってしまった。
「…………に愛せなくてごめんなさい、私は本当に…………ダメね。」
ごめんなさい旦那様、ごめんなさいリリィ、………さよならアン。
私の家族、私の子供たち、私の愛する人たち。