杏姫と海とホットミルク
「もう季節も冬になった事だし、そろそろ服を新しくしたいわね。」
「私はお姉さまのお下がりがあるし欲しいものも特にないわ。」
「駄目よ!今年の冬は特に寒いのよ?ちゃんと揃えなきゃ!」
姉は手を叩くと執事を呼び出して色々と指示をする。
「我が家はアンダーウッド準男爵家が開いている商会を毎回屋敷に呼んでいるのよ、どの商品も質がいいからお気に入りなの。」
「確か商家上がりの家でしたね、それなら信頼出来ます。」
「楽しみだわー!可愛い服いっぱい買いましょう!」
「無駄遣いは駄目よお姉さま、お父様は止めないでしょうけど私が止めますからね。」
けちーとでも言いたそうな顔をして、姉は拗ねてしまう。後ろのクロエは私にぐっと親指を立てているので正解なのだろう。
「服しか売りに来ないのかしら?」
「いいえ色々と持ってくるわよ?例えば…靴とか帽子とか……本とかも持ってくるの!あっ!キティの首輪にいい物を持ってきてもらいましょう!」
大きくなったキティは活発で屋敷の庭をウロウロとしているのだが、たまに帰ってこない時があるので、鈴付きの首輪を付けてみてはどうかと考えていたのでちょうど良かった。
「私、新しい本が欲しいわ…そろそろ書斎の本を読み終わりそうなの。」
「アンったらあれ全部読んだの!?」
「でもお父様の仕事に関する本ばかりだから少し物語が読みたいの…もう地形も数字も歴史も見飽きたわ。」
アンダーウッド家と聞いて何か引っかかったが、多分前の記憶で認識でもあったのだろう。
「お嬢様様方、旦那様からお手紙が届いております。」
「見る価値もないから捨てておくわね。」
「駄目ですお姉さま、読みましょう。」
姉の相変わらずの反抗期により捨てられかけていた封筒を何とか取り返し封を切る。
拝啓 愛しい娘たちへ
手紙をありがとう、こちらは寒さはあまり厳しくもなく寧ろ少し暖かい所だ、近くには海もあってとても美しかった…3人で見に行きたいと思ったよ、とても綺麗な貝殻を拾ったので瓶に入れて贈ろう。
ところでそろそろ衣替えだ、毎年のように商会を呼んで好きに買い物をしなさい。
来月には帰ってくる予定だ。
父より
「海ですってお姉さま、私見たことがないの…。」
「私は2回ほど見たことがあるけど、とても綺麗よ!」
手紙を持ってきてくれたメイドから包装された瓶を受け取る、開くと薄いピンク色の貝殻や白い砂が入っていてとても綺麗だった。
「まあ……これが貝殻ね!この砂はもしかして海の砂?」
「ええそうよ!貝殻は他にもユニコーンの角のような貝殻とかカタツムリの殻のような貝殻もあるの!」
「素敵ね!私海に行ってみたいわ!」
「私もアンと貝殻を拾いたい!」
父からのプレゼントで2人は嬉しくなってはしゃぐ、何より父が元気だったことがほっと安心した。
前の記憶の私も海に行ったことは無い、ずっと屋敷と学園以外から出たことはほとんど無かった。今回は色んな世界を見てみたい、狭い世界でずっといることは本当に息が苦しい。
「世界って本当に広いのね…お姉さま。」
「アン……、そうね広いのよ、とっても広いの、見に行きましょうね!お父様にお願いしましょう!一緒に見に行くの!!」
2日後に商会が来ることが決まり、この日はお稽古のある姉と別れて部屋でキティを膝の上に乗せて刺繍をしていた。
「貝殻は他にもどんな色があるのかしら?黄色に緑に青色…金色とかあるのかしら!?銀色の貝殻なんて素敵じゃない?ねぇキティ…貴方も気になるわよね。」
膝の上で丸くなって眠るキティは、すやすやと心地の良い寝息を立てる。机の上に置いている貝殻の入った瓶を見るととても愛おしい気持ちになる。
背後に気配を感じて振り返ると「私」がこちらを見つめている。
「ねぇ前の私……貴方も知らなかったのでしょう?外の世界って素敵よね。」
「………………………………。」
「私」は何も言わない、表情もよく見えない…けど伝えたい、答えて欲しい、未来は少しは変わったのかと尋ねたい、変わっていると一言でいいから言って欲しい。
お姉さまと仲良しなのよ…未来の私はお姉さまを傷つけるだろうけど。
お父様もとっても優しいのよ…未来の私をあの時のように裏切るでしょうけど。
文通出来るお友達が出来たの…前の私を騎士として取り押さえた人だけど。
「答えてくださいまし!未来の私はまた、冷たい牢屋でうずくまっているの!?処刑台の前で泣いているの!?愛されなかったの!?」
「………………………………。」
「教えて欲しいの、このままでいいのか不安なのよ…。」
目からボロボロと涙が落ちて刺繍糸を濡らしていく、キティが驚いたように顔を上げる。
「………ごめんなさいキティ、驚いたでしょう?大声出してしまったわね。はしたないわ……本当に。」
キティが私の頬に流れる涙をペロペロと舐める、ざらついた舌が少し痛い。
「ありがとうキティ…私は大丈夫よ。少し落ち着かないとね、温かいミルクでも飲みましょう…貴方も好きでしょう?」
「にゃあお」
涙をふいて目の赤みが少し落ち着いてから、部屋を出る。ちょうどこちらに歩いていたクロエにホットミルクをお願いする。
「お嬢様大丈夫ですか?なにか怖いものでも見ましたか?」
「壁に頭をぶつけてしまって少し泣いてしまったの…大丈夫よ。」
にこりと笑うとクロエは何故か少し不安そうな顔をした。
「お嬢様の悪い癖は笑って誤魔化すところです、全く誤魔化せておりませんよ…。」
そう言いつつホットミルクを私の前に置いて、床にいるキティにミルクの入ったお皿を置いた。
「ありがとうクロエ、お仕事忙しいのにごめんなさいね。」
「お嬢様が大優先ですので問題ありません。」
ホットミルクを1口飲むと優しいミルクにほんとり甘い蜂蜜が私の心を満たしていく、全て飲み終わるとすっかり身体も心も温かくなっていた。
「お嬢様、ひとつよろしいですか?」
「なぁにクロエ?」
クロエは私の傍によると屈んで私と目線を合わせた。
「私にはキャシーさんのように笑って貴方を励ますことは難しいですが、今みたいに貴方が辛くて泣いた時にホットミルクを入れてあげることが出来ます…お嬢様は1人ではありませんよ。」
「………知っているわ…そんなこと…ふふっ、ありがとうクロエ。」
背後にいた「私」はまたいつのまにか居なくなっていた、私の質問に答えてなどくれなかったけど、前の私とは違って、今の私にはそばに居てくれる人がいる。惨めだけど未来を変えようと抗った過程が正しいかどうかは、私のために入れてくれた1杯のホットミルクが教えてくれた。
目を閉じれば鮮明に蘇る牢屋も処刑台も最愛だった彼の顔も、とても恐ろしくて堪らないけど、私の未来は少しは幸せに救われると信じてもいいのかもしれない。
足元のキティがおかわりのミルクをねだるかのように喉を鳴らした。